10月27日礼拝説教
「その時歴史は動く」 エステル記2章1〜11節
2:1これらのことの後、アハシュエロス王の怒りがとけ、王はワシテおよび彼女のしたこと、また彼女に対して定めたことを思い起した。
2:2時に王に仕える侍臣たちは言った、「美しい若い処女たちを王のために尋ね求めましょう。
2:3どうぞ王はこの国の各州において役人を選び、美しい若い処女をことごとく首都スサにある婦人の居室に集めさせ、婦人をつかさどる王の侍従ヘガイの管理のもとにおいて、化粧のための品々を彼らに与えてください。
2:4こうして御意にかなうおとめをとって、ワシテの代りに王妃としてください」。王はこの事をよしとし、そのように行った。
2:5さて首都スサにひとりのユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシのひこ、シメイの孫、ヤイルの子で、ベニヤミンびとであった。
2:6彼はバビロンの王ネブカデネザルが捕えていったユダの王エコニヤと共に捕えられていった捕虜のひとりで、エルサレムから捕え移された者である。
2:7彼はそのおじの娘ハダッサすなわちエステルを養い育てた。彼女には父も母もなかったからである。このおとめは美しく、かわいらしかったが、その父母の死後、モルデカイは彼女を引きとって自分の娘としたのである。
2:8王の命令と詔が伝えられ、多くのおとめが首都スサに集められて、ヘガイの管理のもとにおかれたとき、エステルもまた王宮に携え行かれ、婦人をつかさどるヘガイの管理のもとにおかれた。
2:9このおとめはヘガイの心にかなって、そのいつくしみを得た。すなわちヘガイはすみやかに彼女に化粧の品々および食物の分け前を与え、また宮中から七人のすぐれた侍女を選んで彼女に付き添わせ、彼女とその侍女たちを婦人の居室のうちの最も良い所に移した。
2:10エステルは自分の民のことをも、自分の同族のことをも人に知らせなかった。モルデカイがこれを知らすなと彼女に命じたからである。
2:11モルデカイはエステルの様子および彼女がどうしているかを知ろうと、毎日婦人の居室の庭の前を歩いた。
歴史物語エステル記は無名の著者による作品ですが、それが聖霊に霊感され、神の視点に人が立つよう聖書に納められることで、他の歴史書とは性格を異にするものです。
2章に至ってようやく主人公が登場します。1章のペルシャ王家の華やかさに比較して、6節には3度も「捕らえ移され」が繰り返され紹介されるモルデカイには残留捕囚民の暗い印象が付きまといます。
エステルはといえば幼くして両親と死別し、叔父の養女とされ、行政府の美女狩りの網に引っ掛けられてしまう。自分ではどうしようもない歴史の激流に翻弄されるかに見えます。
ところが「これらのことの後」という導入によって再び登場するペルシャ王に、預言者ダニエルの11章の光を照射する時、そこに骨太の歴史理解が開かれます。何故ならその2節にはペルシャに起こる王の第四の者としてアハシュエロス王が半世紀も前にその登場が預言されているからです。
彼が総動員してギリシャを攻めたサラミスの海戦すら予知されていたのです。王は大敗北し傷心の面持ちでこの2章が始まっていたのです。
歴史は神の御手の中にあるということなのです。
イザヤ書46章3節によれば、捕らえ移された捕囚民ですら、実は神に担われ「持ち運ばれた者」だったのです。
今現時点で最もクリスチャン人口の多い国は共産党一党独裁の中国で、戦後百万足らずであったにもかかわらず、その数は1億人を超えます。マルクス主義を貫徹せんと毛沢東はキリスト教会の撲滅を画策したのに、その政策のすべては裏目に出て、結果的には中国は最大のキリスト教国になったのです。現中国政府がキリスト教会に対するその締め付けの度合いを一層強化すること自体が、クリスチャン信仰の浸透の深さを証明するものです。
古代ペルシャの異教徒の只中で果敢に生き抜いたエステルを支えたのは、恐らく伝え聞いていたエレミヤの29章11節の「わたしがあなた方に対して抱いている計画はわたしが知っている」の預言でしょう。
平安と将来と希望を約束される神を見上げるとき、人はどんな歴史の奔流にも耐えることができるのです。
10月20日礼拝説教
「時を熟知する者」 エステル記1章10〜22節
1:10七日目にアハシュエロス王は酒のために心が楽しくなり、王の前に仕える七人の侍従メホマン、ビズタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタルおよびカルカスに命じて、
1:11王妃ワシテに王妃の冠をかぶらせて王の前にこさせよと言った。これは彼女が美しかったので、その美しさを民らと大臣たちに見せるためであった。
1:12ところが、王妃ワシテは侍従が伝えた王の命令に従って来ることを拒んだので、王は大いに憤り、その怒りが彼の内に燃えた。
1:13そこで王は時を知っている知者に言った、――王はすべて法律と審判に通じている者に相談するのを常とした。
1:14時に王の次にいた人々はペルシャおよびメデアの七人の大臣カルシナ、セタル、アデマタ、タルシシ、メレス、マルセナ、メムカンであった。彼らは皆王の顔を見る者で、国の首位に座する人々であった――
1:15「王妃ワシテは、アハシュエロス王が侍従をもって伝えた命令を行わないゆえ、法律に従って彼女にどうしたらよかろうか」。
1:16メムカンは王と大臣たちの前で言った、「王妃ワシテはただ王にむかって悪い事をしたばかりでなく、すべての大臣およびアハシュエロス王の各州のすべての民にむかってもしたのです。
1:17王妃のこの行いはあまねくすべての女たちに聞えて、彼らはついにその目に夫を卑しめ、『アハシュエロス王は王妃ワシテに、彼の前に来るように命じたがこなかった』と言うでしょう。
1:18王妃のこの行いを聞いたペルシャとメデアの大臣の夫人たちもまた、今日、王のすべての大臣たちにこのように言うでしょう。そうすれば必ず卑しめと怒りが多く起ります。
1:19もし王がよしとされるならば、ワシテはこの後、再びアハシュエロス王の前にきてはならないという王の命令を下し、これをペルシャとメデアの法律の中に書きいれて変ることのないようにし、そして王妃の位を彼女にまさる他の者に与えなさい。
1:20王の下される詔がこの大きな国にあまねく告げ示されるとき、妻たる者はことごとく、その夫を高下の別なく共に敬うようになるでしょう」。
1:21王と大臣たちはこの言葉をよしとしたので、王はメムカンの言葉のとおりに行った。
1:22王は王の諸州にあまねく書を送り、各州にはその文字にしたがい、各民族にはその言語にしたがって書き送り、すべて男子たる者はその家の主となるべきこと、また自分の民の言語を用いて語るべきことをさとした。
主人公エステルが未だ登場しないこの場面で注目されるのは、その状況を判断し適切な行動を取った人物です。勿論、アハシュエロス王は該当しません。
軍事会議を意味した180日に及ぶ酒宴に続く打上げの7日の宴会のフィナーレを王は王妃ワシテの美貌で飾ろうとする。だが王妃のにべも無い拒絶により面目失墜です。
彼の感情は喜びの絶頂から憤怒のドン底へ振り子のように揺れます。「人の心の高ぶりは滅びにさきだつ」のです。(箴言18:12)王は続くサラミスの海戦では大敗し、やがて腹心の部下に暗殺され非業の死で幕を閉じます。
では王に諮問した大臣たちはどうか?その王を巡る状況を察知し、王妃の不遜な態度の国民に及ぼす影響を熟慮し、王妃排斥の法制化、男尊女卑の文化強化を図ります。しかし女性の心を法律で規制し男性に強制的に服従させることなどあり得ないことです。
大臣達の背後に見え隠れする動機は女性に対する恐れと不安でした。古代の大勢は女尊男卑社会であり、当時は男尊女卑へ移行する過渡期でした。
「人を恐れると、わなに陥る」(箴言29:25)彼らから透かし見えてくる真の「時を熟知する知者」は主イエスです。
公生涯において「わたしの時はまだ来ていない」としばしば語られた主は、自分の時を察知されるや、十字架の受難に果敢に進み行かれました。このお方を聖書は「神のことば」と呼びます。
その意味で、エステル記は「書かれた言葉が持つ力」を印象付ける点でユニークな書です。書き物を表す箇所が63箇所もあります。王の口から出た言葉が書留められ、それが朗読公布により効力を発揮する事例が随所に見受けられます。思えばこの物語の時代にこそ聖書が収集編纂されていたのです。
「人は神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(申命8:3) 神の言葉が書留られたことの意義ばかりか、その言葉が朗読される意義をエステル記の著者は意図したのです。書かれた言葉は、それが読まれないままなら力を失うのです。
今こそ聖書の力が求められる時代はありません。
10月13日礼拝説教
「見えてくるもの」 エステル記1章1〜9節
1:1アハシュエロスすなわちインドからエチオピヤまで百二十七州を治めたアハシュエロスの世、
1:2アハシュエロス王が首都スサで、その国の位に座していたころ、
1:3その治世の第三年に、彼はその大臣および侍臣たちのために酒宴を設けた。
ペルシャとメデアの将軍および貴族ならびに諸州の大臣たちがその前にいた。
1:4その時、王はその盛んな国の富と、その王威の輝きと、はなやかさを示して多くの日を重ね、百八十日に及んだ。
1:5これらの日が終った時、王は王の宮殿の園の庭で、首都スサにいる大小のすべての民のために七日の間、酒宴を設けた。
1:6そこには白綿布の垂幕と青色のとばりとがあって、紫色の細布のひもで銀の輪および大理石の柱につながれていた。
また長いすは金銀で作られ、石膏と大理石と真珠貝および宝石の切りはめ細工の床の上に置かれていた。
1:7酒は金の杯で賜わり、その杯はそれぞれ違ったもので、王の大きな度量にふさわしく、王の用いる酒を惜しみなく賜わった。
1:8その飲むことは法にかない、だれもしいられることはなかった。
これは王が人々におのおの自分の好むようにさせよと宮廷のすべての役人に命じておいたからである。
1:9王妃ワシテもまたアハシュエロス王に属する王宮の内で女たちのために酒宴を設けた。
10章から成る短編歴史物語のエステル記は、ペルシャのアハシュエロス王が主催する豪華絢爛な酒宴により導入されます。
帝国支配はその父ダリヨス王によりインドからエチオピアに到るまで拡大されすでに頂点に達していました。
180日に及ぶ酒宴の目的は3年後に控えたギリシャとの戦争に備える軍事会議です。
127州からの全総督や大臣らをもてなす酒宴の盛大さは王の威光が遺憾無く発揮され、近づく戦争への士気は高揚するばかりです。
本書の主人公エステルの登場も未だ無いこの導入部分から透かし見えてくるものがあります。
それはこの王が父ダリヨスの唱えた称号『諸王の王』を譲り受け自称したことです。
諸王の王とは、自分は地方のただの一為政者ではなく全世界の王達の上に君臨する絶対支配者という意味なのです。
では文字通り彼は正真正銘の「諸王の王」なのか。歴史を検証して分かってくること、それは「否」でした。
3年後のサラミス海戦に20万の大軍を動員したにもかかわらず、10万のギリシャに完敗したばかりか、15年後には側近の部下により暗殺されてしまいます。
では真の「諸王の王」キング・オブ・キングスは誰か?「彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。(黙17:14)」聖書は神の小羊イエス・キリストであると証言します。
十字架に罪の赦しを完成され、復活されたキリストが、『わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。(マタ28:18)』と言われます。
世界制覇を目指したフランスの大ナポレオンの最後は捕らわれてセントヘレナの孤島に流刑となり最期を迎え、貴重な告白を残しました。
『私ナポレオンは、力の上に帝国を築こうとして失敗した。イエス・キリストは、愛の上に彼の王国を打ち立てている』と。そしてそれが真理なのです。
権勢、金力、武力によらず主イエスは人の心を愛で治めたもうのです。
エステル記には一度も神の名が出ません。神はご自分を隠される方です。例え物事がどのように展開しても私たちと共におられ、治め、万事を益としてくださるお方なのです。
10月6日礼拝説教
「致命的な愚かさ」 出エジプト20章17節
20:17あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない。
第十戒は「むさぼってはならない」と人の心の貪欲を戒めます。しかしながら人間に本来与えられている所有欲を否定したり、向上する意欲を抑制するのでもなく、ましてや質素倹約の奨励でもありません。
『隣人の家をむさぼってはならない』と言われた家は他人の所有物を代表するものなので、貪欲とは自分の持っているものに満足せず、他人のものまで欲しくなる飽くなき欲望なのです。
アハブ王が宮殿の隣のナボテの葡萄畑を自分の野菜畑にしたいと譲渡を求めるところまでは問題は無かったでしょう。(列王上21:1-3) 所有者のナボテに断られたアハブ王が欲するあまりに訴訟を起こし、二人の偽証人を立て、ナボテを有罪に定め死刑に処し、畑を我がものとした時、彼の愚かさは頂点に達しました。
心の貪欲は誰にも見えません。だがそれが行動に出ると殺人、姦淫、盗み、偽証の罪に直結するのです。『人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。(ヤコブ4:14,15)』この果てしない欲望、貪欲の本質を聖書は『貪欲は偶像礼拝にほかならない』(コロサイ3:5)と指摘します。
人が無意識のうちに貪りの思いを抱くと、真の神をないがしろにし自分が主人となり自分の思いとおりに生きようとするのです。
第一戒で『あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない』と偶像崇拝が戒められ、最後の第十戒で偶像崇拝の根が明示されたのです。
人を取り巻く環境、取り分け高度の文明開化の現代社会は人間の欲望を強烈に刺激する誘惑に満ちています。
主イエスはルカ12章の「富める農夫」の喩えを前に、『あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい』と警告されました。
自分が具体的な犯罪行為に走っていないからと言って、犯罪者よりマシである訳ではないのです。
聖書は「金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい」(ヘブル13:5)と勧めます。
持てるもの全ては神が与えてくださった、必要は必ず満たされると慈愛に富める主に感謝し、主を見上げて生きるすべを身につけたいものです。
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