4月24日礼拝説教(詳細)

「見ずして信じる」  ヨハネ20章24〜29節

十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。

八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。

 私ごとで申し訳ないのですが、皆さんから私の顔をご覧になり、いつもより「お目出度く」見えるでしょうか。先週水曜日が私の誕生日ということで、先週日曜日から多くの方々から「おめでとう!」と祝っていただき、中には拍手されたり、お祈りくださったりで、祝福されっぱなしなのです。77歳は喜寿だからと特に目出度いと言われます。長生きすれば目出度いなら、まだまだありますね。百寿100歳にはあと23年、大還暦120歳にはあと43年、天寿250歳にはまだまだ173年生きなければなりません。それを思ったらゾッとするのですが。しかし、今日、私は開かれた聖書箇所から、そのような長寿の幸いではなく、真の幸い、幸福をご一緒に確認し共に受けとめることにしたいと思います。主イエスがトマスに語ったとされる言葉で、この箇所が括られています。「イエスはトマスに言われた、『私を見たから信じたのか、見ないで信じる人は、幸いである。』」 この「幸い」は、山上の垂訓のあの「幸い」です。マカリオスです。恵まれている!幸福だ!祝福されている!羨むべき!そういう喜ばしい言葉です。先週のイースターでは一人の女性、マグダラのマリアを取り上げました。

今週は、男性を、弟子の一人、デドモと呼ばれたトマス取り上げます。このトマスに因んで三つの幸いを確認してください。

 その第一の幸いは、「一緒に集まる幸い」です。 主イエスは復活なされました。死から蘇られました。先週、私たちはその喜びをイースターで祝ったのです。その主イエスご自身が、あの日曜早朝に復活なされたその日の夕方に、家に籠っていた弟子達に、突然現れたのです。弟子達は、主イエスの十字架の死を悲しみ嘆き、打ち萎れていました。三日も経過していましたから涙も枯れ果てていたことでしょう。彼らは迫害を恐れ、家の戸は厳重に施錠していました。ところが、不思議なことに、主イエスが入ってこられたのです。しかも、24節によれば、その時トマスは不在だったことが分かります。「トマスは、、、彼らと一緒にいなかった」トマスは他の弟子たちとは別行動を取っていたのです。更に、26節によれば、その日から八日後のこと、つまり次の日曜に、何と、再び主イエスが弟子達に現れておられます。しかも、その時には、トマスも同席していました。最初の日曜日の弟子達の表情を想像してみてください。迫害の恐ろしさ、愛する主イエスとの死別の悲しさで、暗く沈んでいたことでしょう。しかし二度目の日曜日は違います。戸に鍵を掛けていたとしても、違っていたことでしょう。覚えておきましょう。この一週間後の週の初めに、主イエスの復活の顕現が再びあったことが、初代教会がそれから日曜日を「主の復活の日」として守る根拠になっている事実です。当時のユダヤ人達は、土曜安息を守るのが習慣でした。 日曜日にキリスト教会が集まって礼拝するようになったのは、主イエスが日曜に復活なされたからです。そればかりか、日曜に集まる弟子達に現れてくださったからなのです。それゆえに、日曜日に一緒に集まることは幸いなのです。

 19〜23節をご覧ください。復活顕現された主イエスは、第一に、弟子達に平和を宣言なされました。第二に、主イエスを見て弟子達は喜びに満ち溢れました。第三に、弟子達は主イエスに息吹きかけられ聖霊の命に満たされました。主イエスは「あなたがたに平和があるように」(19節)と弟子達を祝福されました。これは、ユダヤの普通の挨拶「シャローン」です。ありふれた挨拶と言えばそれまでです。だが、主イエスが宣言されると、それは挨拶を超えるのです。そこには、人が念願してやまない神の平安、平和、シャロンが、現実に人々の心に満ち満ち溢れるのです。教会に、人が一緒に集まり礼拝する時に、何故かそこは平和が溢れるのです。神の平安が満ち満ちるのです。勿論、一人一人の置かれた生活状況は違っております。 苦しみや困難や、悲しみ、病気や失業、失恋、様々な問題に取り囲まれております。だが、それにも関わらず、礼拝に集まると、何故か、心が平安に満たされるのです。安心するのです。落ち着いて来るのです。嵐で荒れる波風に翻弄される小舟のようであっても、神の御守りを確信させられるときに、安心することができるのです。詩篇46篇の一節が思い起こされます。「神は我らの逃れ場、我らの力。苦難の時の傍の助け。それゆえ私たちは恐れない。」(2、3節)恐れない、平安である、それは神が助けであると確信させられるからです。戦火にまみれるウクライナのクリスチャンたちを思うと心が痛みます。糧食に事欠き、逃げ惑い、殺害されるかもしれない。それでも彼らは、倒壊した教会に集まり、家庭に集まり、アパートの地下室に集まるでしょう。その時、言い知れぬ平安に満たされているに違いないのです。速やかな戦争の終結を求め、平和の回復を祈り願い、手を挙げることにしましょう。

 この日曜日の交わり集まりから外れると、クリスチャンは多くのものを失います。一人でいては起こらないことが、教会の交わりで起こるからです。トマスは、最初の日曜日に「彼らと一緒にいなかった」のです。他の弟子達は、復活の主イエスに驚きをもって出会い、平安、喜び、命に満たされていたのに、トマス一人だけが損なわれていたのです。この主の日に礼拝の場にいる、これが重要なのです。主イエスは約束してこう言われていた、『二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。』(マタイ18章20節)主イエスの御名は「インマヌエル」です。その意味は、「神、我らと共に居られる」です。一緒に集まるところに神が共に居られるのです。集まりの只中に神の臨在を経験する、それに勝る幸い、幸福、祝福は他にはありません。

 復活の主に出会った他の弟子達が、「私たちは主を見た」とトマスに報告し、証した時、トマスは、彼らにこう返事しました。「あのかたの手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れて見なければ、また、この手をその脇腹に入れなければ、私は決して信じない」(25節)この彼の発言のため、トマスには、もう一つの不名誉なアダ名が付けられました。最初のあだ名はデドモで、双子の意味です。二つ目のあだ名は「懐疑家トマス」です。疑い深いトマス、Doubting Thomasです。勿論、トマスだけが疑い深く信じられなかったのではありませんでした。それは、マルコ16章を見れば明らかです。その9〜11節には、マグダラのマリアが弟子達に復活の主を証したのにもかかわらず、弟子達が「信じなかった」と言われています。同じ章の12〜13節によれば、エマオの途上の二人の弟子達が、主イエスに会った証しを弟子達にしているのに、「彼らは二人の言うことも信じなかった」とも報告されています。その同じ章の14節によれば、復活の主イエスご自身によって、弟子達が咎められていることが分かります、「その不信仰と頑なな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」これは、人間的に考えれば、死人が蘇ること自体、到底信じられないのは当然であります。通常ありえないことだからです。だが、その中でも、トマスの疑い深さはダントツでした。彼の信じようとしないその念入りな理由の語り口調を見れば明らかです。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘痕に入れて見なければ、また、この手をそのわき腹に入れなければ、私は決して信じない。」 私は、石川県で教会の牧師をしていた頃、洗礼を受けられた一人の女性を思い出します。彼女は高校国語教師でした。近くの公園で私たちの子供達が一緒に、その方の息子さん達と遊んだことがきっかけで知り合い、求道されるようになられ、告白に至りました。だが、この方がご自分の気質を率直にこう言われたのを忘れられません。『「私は石橋を叩いて渡る」よりももっと慎重派なのです。「石橋を叩いても渡ろうとしない」方なんです』

 恐らく、トマスの疑い深さは、生来の内向的で悲観的な気質が原因したのかもしれません。同じヨハネ14章で、主イエスが「私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」と弟子達に語られると、トマスが、直ちに『主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道が分かるでしょう』(4、5節)と応じていたと記され、そこにも彼の気質が表れています。このような内向的、悲観的な人は、深い悲しみや悲惨さに沈むと、自分を閉ざして殻にこもり、独りだけになりやすいものです。しかし、そんなトマスに対して、八日目に現れた主イエスが語られたお言葉に、彼は、おそらくひどく驚嘆したに違いありません。主イエスは言われました。  『あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。』(27節)これは、トマスが弟子達に反論した言葉の一部始終を、誰かが、主イエスにチクったわけであるはずがありません。トマスは、主イエスが自分の語った言葉の全部を詳細にご存知であることに、正直、驚嘆したことでしょう。主イエスは、トマスの疑問に丁寧に答えるために、わざわざ、現れ、そして、ご自分の体を差し出されたのです。トマスは、もうこの事態に至って、主の体に触ってみるどころではありませんでした。彼は直感的に「私の主。私の神よ」と告白せざるを得なかったのです。見えないものを見させられたのです。主、神、それは、聖書の天地創造の唯一の神です。「イエス様、あなたこそ、唯一の真の神です。」と、トマスはそう告白したのです。ここで、おぼえておきましょう。 トマスのように懐疑的になることが必ずしも悪いことではないことです。分からないことは、分かったような振りをして誤魔化さないで、分からないとする、それはいいことなのです。私たちは、このトマスの生き方に、どんな些細なことでも、よく分からないことがあれば、主イエスに問いかけ、お尋ねしてもいいのだと教えられます。主イエスは、私たちの心の疑問点をよく理解され、然るべき仕方できっと教え、明らかにしてくださるに違いないのです。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」疑わずに信じることは、本当に幸いなのです。

 最後に主は、トマスにこう言われた、「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸である。」マカリオスだと! トマスは、釘跡を見なければ、脇腹に手を入れて見なければ、そうでなければ信じないと断言していました。ところが、実際に主イエスが現れてくださった時、実際に手を見せられ、脇腹を差し出された時、彼は信じたのです。言ってみれば、トマスは「見たから信じた」のです。では、他の弟子達は違っていたかと言えば、彼らも同じだったのです。彼らも「見たから信じた」のに変わりはありません。復活の主イエスが弟子達に現れた20節でもそうです。「そう言って、手と脇腹をお見せになった」とあります。そして、「弟子達は、主を見て喜んだ」とあります。彼らも見て信じたのです。ところが、主イエスは、ここで、これからの全く新しい次元の信仰の基準を提示されているのです。「見ないで信じる人は幸である。」見ることはある意味で信じることに繋がります。しかし、真の信仰は、感覚的視覚、感性によるものではなく、内面的な霊的視覚、心の目で見る、洞察によるべきなのです。主イエスはそれから、40日間、弟子達にご自身を現されたのですが、雲に包まれオリーブ山から昇天され、人間の視界から去って行かれました。それ以後、人はどうして見えない神を信じることができるのでしょうか? それは、神の言葉による信仰なのです。語られる神の言葉に聖霊が働いてくださる時に、人の心に信仰が賜物として呼び覚まされるのです。主イエスが天に昇られて以後、初代教会から今日に至るまで、信仰は見ないで信じる信仰なのです。使徒ペテロも、書き送った手紙にこう書き記しました。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛しており、今見てはいないのに信じており、言葉に尽くせない素晴らしい喜びに溢れています。それは、あなたがたの信仰の目標である魂の救いを得ているからです。」(1章8、9節)これは、この主イエスの「見ないで信じる人は、幸いである。」を言い換えたもの、同じ意味でしょう私共は主イエスを見たことがない、でも愛している。見たことはないけれど信じている。そして、喜んでいます。それは、救われているからです。何と幸いなことでしょう。ありがたいことです。 ヨハネの福音書は、トマスについての最後の記事を残しています。21章には七人の弟子達がティベリア湖で経験した不思議な漁が記録されております。彼らは、そこで復活の主に不思議な仕方で、再び会いました。その七人の序列の二番目に、ペテロに続いてトマスが置かれているのです。これは、トマスが初代の教会で極めて重要な位置を占めていたことを示唆するものです。トマスは、古代の伝承によれば、まずシリアとペルシアで福音を宣べ伝え、後に西インドに至り、さらに南インドまで行ったと伝えられ、そこで殉教しています。それは、トマスが、主の語られた通りに、「見ずして主を信じ」主に従い通した結果であったことでしょう。イエスが最後に語った言葉は、成熟した信仰の真の意味を思い起こさせ、どんな困難があっても、イエスに忠実に歩み続けるようにわたしたちを励ますものです。私たちは、疑い深いトマスを非難することはできません。私共も実はそうなのです。トマスは、実に私共キリスト者の代表としてここにいたのではないでしょうか。トマスはディディモと呼ばれていました。ディディモとは双子という意味です。トマスは双子でした。トマスの双子の片割れが、実は私共なのです。今日のお言葉は、どのような疑いも、最後には、迷いを超えて明らかにされうることを、わたしたちに示してくれるものです。今週も、主の日に一緒に集まり、疑わずに信じ、見ずして信じる幸いの中、主の御国に向かって歩んでまいりたいと思います。

 

417日礼拝説教(詳細)

最も偉大なのは」  ヨハネ20章11〜18節

さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。

そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。

そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。

しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。

イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。

イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。

マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

 今日の聖書箇所の表題は「イエス、マグダラのマリアに現れる」です。その最後18節は、マリアの語ったとされる言葉で結ばれています。マリアはこう語りました。『私は主を見ました』 これは非常に短い言葉です。しかしながら、これほど偉大な言葉はありません。彼女は、死から復活した主イエスを私はこの目で確かに目撃したのです、と言っているからです。キリストは蘇りました。復活されました。そして、その最初の目撃者が、他の誰でもありません、マグダラのマリアだったのです。主イエスは、それから40日間、全ての弟子達に次々に現れておられます。一度に500人に同時に現れたとも、コリント上15章の中で言われています。ところが、誰よりも先に、復活の主イエスが現れたのはマグダラのマリアだったのです。その復活の主イエスに会うことの偉大さの理由は、5つ挙げることができます。

第一に、復活は、主イエスが主張された通りの神の御子であることが証明されたからです。

第二は、復活は、主イエスの十字架の死によって、罪の赦しが確証されたからです。 

第三に復活は、私たちの弱さを知る主イエスが、昇天され永遠に大祭司として取り成し祈って下さることが確証されたからです。

 第四に復活は、信じる者もやがて蘇えらされ、個人の不滅が保証されたからです。

最後に復活は、主イエスが未来に再び来られ、不義なる者を裁き、義なる者に報いを与えられることが確証されたからです。ですから、これほど偉大な出来事はありません。

 今日の礼拝後、私たちは直ちに、教会墓地に集まり、墓前礼拝を行う予定にしています。私たちの教会の墓地には、これまでに既に天に召された17名の兄弟姉妹達の遺骨が埋葬されています。私たちが今日、彼らの埋葬された墓地に集まり、その墓前で礼拝する目的は何でしょうか。その目的の根拠は、ただ一つの事実にあります、主イエスが復活なされたことに掛かっているのです。使徒パウロは、コリント第一の手紙15章20〜24節にこう証言しています。『今や、キリストは死者の中から復活し、眠りに就いた人たちの初穂となられました。死が一人の人を通して来たのだから、死者の復活も一人の人を通して来たのです。つまり、アダムにあってすべての人が死ぬことになったように、キリストにあってすべての人が生かされることになります。しかし、一人一人にそれぞれ順番があり、まず初穂であるキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属する人たち、それから、世の終わりが来ます。

この初穂とは、田圃(たんぼ)で最初に顔を出す穂のことです。教会の裏の田圃で生育するイネに毎年見かける光景です。それは、その後に次々と穂が出てくることの保証でありしるしなのです。キリストは死なれたのに、初穂として復活なされました。それは、やがてキリストに属する人たちも、キリストと同じように、栄光の身体で復活する保証なのです。私たちが今日、墓前礼拝する目的は、既に天に召された17名の方々が、やがて必ず蘇ること、この私たちもやがて復活することが約束されていること、そして、やがて天国で、彼らと再会することができることを確認し、神に感謝し、神を褒め称えるためなのです。

 では、この復活の主イエスに会うことの偉大さの背景には、どんな事情があったのかを、今日はこの聖書箇所から確認しておくことにしましょう。聖書からわかっているのは、復活の第一発見者のマグダラのマリアは、主イエスの女弟子達の一人だったことです。ルカ8章1〜3節にこう伝えられています。「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」 ここからマリアに関して3つの事実が浮き彫りされます。

第一に、マリアは非常に重い病気を癒された女だったことです。

第二に、マリアは女弟子達のリーダー格であったようで、聖書の女弟子が登場するどの箇所でも、最初に出て来るのは彼女でした。

第三に、マリアは、他の女達と一緒に、持ち物を出し合って、主イエスとその弟子団に終始奉仕していたことです。マグダラのマリアは、主イエスから大きな恩恵を受けた女性でした。他人から人望を集める信頼できる人格者でもあり、犠牲的な大きな精神の持ち主だったと思われます。

復活の第一発見者に選ばれたマリアの背景に一体何があったのでしょうか。

 その背景の第一は、マグダラのマリアが全身全霊を傾けトコトン現実に向き合う人物であったことです。マリアは、悪霊から解放され、悪質の病気が癒されてから、他の女弟子達と持ち物を出し合い、イエスの弟子団に寄り添い続けていました。マリアは、ガリラヤからエルサレムに向かう主イエスの一向に付き従い、受難週をも彼らと共にしていました。マリアは、総督ピラトによって主イエスが死刑に定められ、十字架を担いつつ、鞭打たれ悲しみの道ドロローサを行くイエスに寄り添って歩きました。

マリアは、主イエスがゴルゴダの丘に五寸釘で打ち付けられた時でさえ、十字架の側に立ち尽くしていました。マリアは、アリマタヤのヨセフとニコデモが、痛ましい主イエスの身体を十字架から降ろし、墓に埋葬するのを、他の女達と見届けていました。

その上で、マリアは、安息日の終わるのを待ちかねたように日曜早朝、墓場に向かい、許されるなら、主イエスの亡骸に埋葬の手当てをしようと出かけていたのです。ペテロが辛うじて恐る恐る、イエスの裁かれた大祭司の庭まで入り込むことができただけで、他の男の弟子達は、主が逮捕されると、蜘蛛の子を散らすように逃亡してしまいました。しかしマリアは踏みとどまったのです。

マリアは、徹底して現実に向き合う女性でした。20章1節を見てください。「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。」厳しい現実に向き合った結果、マリアはその現実に一つの発見をしたのです。それは驚くべき事実であり、墓の重い石戸が空いているのを見たのです。マリアは、直ちに弟子達に報告し、二人の弟子ペテロとヨハネが、事実確認のため墓に急行しています。マリアはと言えば、その後、彼女は直ちに墓地に戻ったことが11節で分かります。「マリアは墓の外に立って泣いていた」マリアは飛び込んでくる現実に圧倒され感情が引き裂かれていました。主イエスの引かれ行くドロローサ(悲しみの道)でマリアは泣いたでしょう。主イエスの十字架の側に立ち、マリアは泣いていたでしょう。主イエスが冷たい墓地に埋葬された時に、マリアは涙したことでしょう。今、空の墓の傍らで泣き崩れるマリア、ここには、泣くしかないマリアがいます。そのマリアの涙は、愛する大切な方を失った悲しみの涙であり、大切な方を誰かに奪われ盗まれた怒りの涙でありました。それこそ、マリアが、全身全霊を傾け現実に向き合った結果でありました。私たちもまた、現実に向き合うときには、しばしば、その厳しさに感情が圧倒されてしまうものではないでしょうか。

 ところが、主の復活の第一発見者に選ばれた背景には、マグダラのマリアには、続きがあったのです。それが二人の天使達との向き合いでした。マリアは、泣きながら、空の墓を覗くと、何と、そこに座っている二人の天使が見えたのです。その天使と目線があったのでしょう、天使がこう問いかけました。『女よ。なぜ泣いているのか』 

普通、私たちは泣いている人に、失礼ですから、このように問うことはないでしょう。

しかし、天使達は、空の墓に向かって、厳しい現実を見ていたマリアに対し、墓の中から、実は、マリアの背後の別な現実を、見つつ語っていたのです。その別の現実とは、マリアの背後に、復活のキリストが立っておられるという現実でした。天使の問いかけを受けたその時でした、マリアは思わず知らず「誰かが私の主を取り去りました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」と訴えたのですが、そう言いつつ、何気なく振り向くと、何とそこに復活の主イエスが立っておられるのを見たのです。しかし、「それがイエスだとは分か」りませんでした。

実は、これと同じ現象が、今現在も、この礼拝でも起きているのです。天使とは、聖書では神のメッセージの伝達者です。教会の礼拝では、神のメッセージを伝達するのは牧師であり説教者の役割です。勿論、牧師は天使ではありません。しかしながら、牧師が説教するのは、神から与えられたメッセージを伝達する事であり、それが務めなのです。礼拝で語り出される説教は、毎日、毎日、厳しい現実に直面している人々に向かって語りかけるものです。かつ、その厳しい現実を超えた背後に、復活されたキリストが立っておられることを伝達することが務めであります。ところが、メッセージを聞いた皆が皆、アーメン!感謝!と言えるわけではない現実があることもまた事実なのではありませんか。マリアには「それがイエスだとは分からなかった」。分からないだけでなく、マリアは、後ろに立たれた主イエスを園の番人だと勘違いまでしておりました。このマリアのように、ある方々にとっては、牧師の説教はチンプンカンプンで、そればかりか何故か勘違いされ、中には「もう沢山だ」と2度と来ない人もおるのです。

 ところが、そんなマリアに、偉大な出会いをもたらした、もう一つの決定的な背景がありました。それが、もう一度振り向いて、マリアが主イエスに向き合い直したことです。その時、イエスが「マリア」と呼びかけられました。16節。そう呼ばれたマリアが、振り向いて「ラボニ」と答えていました。主イエスは、マリアの個人名で呼びかけました。マリアはそれまでの弟子生活で使用されていた親しい呼びかけ「先生」(ラボニ)で答えました。肝心なのは、マリアがイエスに対して二度「振り向いて」いたことです。しかし、これは、おかしくないだろうか。14節のところでは、マリアが墓に向かって天使の問いに答え、それから、振り向いてイエスを見ています。

イエスと既に向き合っているはずのマリアが、二度目に振り向いて、主イエスの呼びかけに答えたとすれば、物理的には、マリアは墓場に向かっていたことになるのではありませんか。同じ箇所で、同じ用語「振り向く」が使われているのですから、これはどう見ても矛盾することになろうというものです。「振り向く」とは物理的に180度方向を変える動作でありましょう。福音書の著者ヨハネが、敢えて同じ用語をここで使用しているのは、どうしてでしょうか。二度目の「振り向き」を、物理的方向転換の意味ではなく、マリアの内面の180度の転換を意味したからではないでしょうか。イエスは「誰を捜しているのか」とマリアに問われました。マリアの捜していたのは、自分を重い病から解放し癒してくれたイエスです。マリアが先生として学び仕えていたイエスです。十字架に殺され埋葬されたイエスでした。しかし、マリアの前に立つ主イエスは違っていたのです。死んだが復活されたイエスなのです。栄光の復活の身体でよみがえられたイエスなのです。

マルコ16章12節には、エマオの途上の二人の弟子達に現れたイエスのことが短く、こう書かれている。『その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿でご自身を現された』同じ事件を、ルカは、ルカ24章15節に詳しく記録しているのですが、そこには、「イエスご自身が近づいて来て、一緒に歩いて行かれた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」伝えています。マグダラのマリアに起こったことが、二人の弟子にも起こっていたのです。彼らも復活の主イエスが目の前におられたのに分かりません。「別の姿でご自身を現された」からです。栄光の復活の身体で現れたからなのです。

 では、マリアの心に180度の方向転換が起こり、復活のイエスを認めることができたのは、何故でしょうか? それは、ただ一言イエスの呼びかけ『マリア』にありました。主イエスにより、マリアの自分の個人名が呼ばれることによってでした。「相手を親しく呼び合える関係」これが、復活の主イエスを認識する鍵なのです。不思議なことですが、復活の主イエスを認識するのは、ただ、主イエスと個人的関係が成立している人に限られるということです。主イエスが、40日間、ご自身を現されたのは、すべて既にイエスと個人的な関係に入れられていた弟子達だけでした。

今日、教会の礼拝でも同じことが言えます。賛美し、説教を聞いていても、チンプンカンプンの人もいれば、目に見えなくても、復活の主イエスの臨在を実感し、感謝に溢れる方がいます。復活のキリストとの個人的関係は、ただ、キリストの招きの声に、応答することによってのみ成立するものなのです。今日、あなたはどうですか、主イエスに、自分の名を持って呼ばれている個人的関係に入れられているでしょうか。そうでないのであれば、今日、復活節のこの日、イエスの招きに応じて、個人的に親しい関係に入ることができます。礼拝に参加される時、「説教においては、私の名が呼ばれ、私に向かって、私のために、主イエスが語っておられる」と理解してください。復活された主イエスは、主イエスの方から、その姿を現してくださるのです、お声をかけてくださるのです。私たちが、復活の主イエスを捜して、探して、遂に出逢ったというようなものではないのです。復活の主イエスご自身が、私たち一人ひとりに近づき、お声を掛け、聖書を解き明かし、ご自身を現そうとされるのです。ご自身を現した主イエスは、マリアに「私の兄弟達のところへ行って、こう言いなさい」と、弟子達に対するメッセージを託されました。それは、復活された主イエスが、昇天され父なる神のところに戻られることであります。昇天されることによって、聖霊が来られ、聖霊のご人格において、弟子達と共にいつでも居られることです。

この箇所から、マグダラのマリアは、「使徒の使徒」と呼ばれるようになりました。弟子とは、先生について学び訓練を受ける者です。しかし、使徒は主イエスから遣わされて福音を伝え、癒し解放する者です。マリアは12使徒に先駆け、使徒とされ、将来の使徒達にメッセージを伝える第一の使徒とされました。「私は主を見ました」私たちに今日、期待されているのは、マリアの後に続く、現代の使徒とされることではないでしょうか。「行って、すべての国民を弟子とせよ」と主は命じておられます。主のみ声に応じて、遣わされていこうではありませんか。

4月10日礼拝説教(詳細)

「目を覚まし祈る」  マルコ14章32〜42節

さて、一同はゲツセマネという所にきた。そしてイエスは弟子たちに言われた、

「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」。そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」。そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、

「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、

「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。また離れて行って同じ言葉で祈られた。またきてごらんになると、彼らはまだ眠っていた。その目が重くなっていたのである。そして、彼らはどうお答えしてよいか、わからなかった。三度目にきて言われた、

「まだ眠っているのか、休んでいるのか。もうそれでよかろう。時がきた。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。

 教会暦では、今日から一週間を受難週、今日を棕櫚の聖日と呼び、来週の礼拝を復活節(イースター)としています。この一週間、主の受難と復活に思いを寄せ、世界中の教会が、神に栄光を帰することが目的なのです。

受難週の第一日目、日曜日に主イエスはロバに跨り、エルサレムに入城されるや、棕櫚の葉を振る群衆によって大歓迎されました。第二日目、月曜日に主イエスは、エルサレムの神殿に入り、両替人や商売人を追放し、宮清めをされました。第三日目、主イエスは、火曜日には、種々の奇跡としるしを行い、多忙な一日を過ごされました。第四日目、水曜日には、ベタニヤで休息され、マリアから香油を注がれています。第五日目、木曜日に、主イエスは、弟子たちと過越の食事を共にされ、夕べにゲツセマネの園で祈られました。そこでユダに裏切られ逮捕され、その晩、夜を徹して大祭司の審問を受けられたのです。第六日目、金曜日に、ローマ総督ピラトはイエスを死刑に定め、主は十字架につけられ、夕べに墓に埋葬されました。主イエスが墓から復活されたのは、三日目の日曜早朝でした。今日、開かれた聖書の箇所は、その受難週の五日目木曜日のことです。

 32節「一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、『私が祈っている間、ここに座っていなさい』と言われた」 主イエスは、過越の食事を済ませると、エルサレムを出て、弟子達とオリブ山のゲツセマネの園に祈るために行かれました。その場所で、三人の弟子、ペテロ、ヤコブとヨハネを選ぶと少し進み行かれ、更に少し離れて主イエスは、そこで独り祈られました。ここで私たちは、マルコが記録した三つの事実から、主イエスの祈りが激しい苦悶の祈祷であったことが分かります。

33節「イエスはひどく苦しみ悩み始め」とあり、34節には、主イエスが「私は死ぬほど苦しい」と弟子に語られており、35節によれば、「少し先に進んで地にひれ伏し」て祈られたことが分かります。ユダヤ人は祈る時、通常は立って両手を挙げて祈っておりました。主イエスが「うつ伏せになり」祈られたその姿勢は、それが切迫した事態を暗示し、重大な危機に遭遇していたことを指し示すものであります。主イエスが「私は死ぬほど苦しい」と語ったところを、マタイは「わたしは死ぬばかりに悲しい」と伝えています。ルカはといえば、その苦しみを「イエスは苦しみ悶え、汗が血の滴るように地面に落ちた」と更に一層具体的に伝えております。

 ところで非常に残念なことに、この主イエスの苦悶の本当の理由が分からないために、信じようとはしない人々の中には、イエスを批判し、躓(つまづ)いている人が沢山います。「自分の死を前にして、こんなに恐れ苦しみ悲しむような者が神の子であるはずはない」と言います。「あのソクラテスでも、『悪法もまた法なり』と言って毒杯をあおった。ソクラテスの死に際しての姿の方が、余程堂々としているではないか」と言います。「日本では武士は切腹をしたものだ。その時は辞世の句を詠んでもいた。一流の武士は、自らの死を前にこんなに恐れたり、悲しんだりする姿を人に見せることはなかった」と言います。

私たち人間の死に対する恐れの主な理由は、第一に死の痛みの苦しみ、第二は家族や友人との別離、第三は仕事のし残し、第四は死後の不安だと言われています。主イエスは、そのような人間存在としての死に対する恐れのゆえに、死を目前にして苦悶したのでしょうか。そうではありません。主イエスの激しい苦悶の祈祷の理由が、全く別なところにあったことが、この箇所でも二つの言葉で明らかになります。その一つは、35節の「この時を過ぎ去らせてくださるように」の「この時」です。主イエスはすでに弟子達に三度、エルサレムでの受難を予告されていました。その受難の死の時は、この後に続く記録を見れば、それが明日金曜日の目前に迫っていたことが明らかです。主イエスが「この時」と祈られた時とは、マルコ15章25と33節に記された三つの時のことです。25節にはこう記されています、『イエスを十字架につけたのは、午前九時であった』そして、33節には、『昼の十二時になると、全地は暗くなり、三時に及んだ』とあります。この時とは、これにより明らかに、十字架の死刑執行の時のことを意味しています。

 そして、この十字架刑の死の意味を明らかにする二つ目の言葉が、36節の「この杯」なのです。主イエスはその激しい苦悶の祈祷の中で「この杯を私から取りのけてください」と祈られました。聖書においては、神の与える杯は、幸運、悲運の運命の象徴でした。例えば、詩篇23篇5節にこう語られています。「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。」この杯とは、神の与えたもう幸運の運命のことです。神の祝福です。

ところが、詩篇11篇6節ではこのように語られています。「主は悪しき者の上に罠を、火と硫黄を降らせる。燃える怒りの風は、彼らの杯が受けるべきもの」ここで使われているこの杯は、不運の運命、神の怒りの裁きを指し示す象徴なのです。主イエスが「私から取りのけてください」と苦るしみもだえて嘆願された「この杯」とは、十字架の死であり、その十字架の死は「神の怒りの裁き」でありました。しかも、罪なき神の子イエスが受けようとされた「神の怒りの裁き」は、身代わりの死であり、私たち人類の罪責を全て引き受け、受けようとされた審判の苦難でした。

私たちの人類の犯した罪責の一部を、具体的に理解するため、ローマ1章18〜32節を、少し長くなりますが、ここで読むことにしましょう。「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、 無知、不誠実、無情、無慈悲です。彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。

 これを要約すれば、悟性の乱れた罪、情性の乱れた罪、意性の乱れた罪となります。私たち人類は、天地創造の真の神ではなく、偶像を拝む罪を犯し、悟性が乱れています。私たち人類は、男女の欲情に汚れ、同性愛や不品行、姦淫で体を汚して罪を犯し情性が乱れてしまいました。私たち人類は、その意志を歪め、してはならない諸々の罪悪を犯し意性が乱れています。聖書は「罪を犯した魂は死ぬ」と言います。死は肉体と魂の分離、死は人と人との社会的な分離です。しかし、それより遥かに比較しようのない恐るべき死は、人が永遠に神から引き離され、捨てられ、地獄の苦しみに突き落とされることなのです。今現在でも70億人以上の人間が棲み分けています。現在に至るまでにおびただしい人類が存在しました。そして、これからも生まれてくる人間の数はおびただしいものです。主イエスは、十字架において、この私たちの罪責の全て汚れを飲み干そうとされ、身代わりとなって神の義の審判を受けられたのです。

「アッバ、父よ」と祈られた主イエスは、神の子として、慈愛に富める父なる神との永遠の素晴らしい、喜ばしい、祝福に満ちた交わりをご存知でした。だが、十字架に付けられ裁かれることは、神に顔を背けられ、神に見捨てられ、神から分断され、暗黒に突き落とされることを意味していたのです。マルコ15章34節よれば、十字架上の叫びが残されております。「三時にイエスは大声で叫ばられた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』このヘブライ語の叫びは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味でした。主イエスが、ゲツセマネの園で激しい苦悶の祈祷を祈られたのは、その翌日に迫る十字架の身代わりの死による、神との決定的な断絶の恐るべき苦しみを、予め予感することができたからであったのです。

 一方、私たちは、このゲツセマネのもう一つの現実を認めなければならないでしょう。それは私たちを代表した弟子達の姿であります。イエスを裏切ったユダを除く11名の弟子達は、最後の晩餐を済ませると、主イエスと共にゲツセマネの園に来ておりました。弟子達の著しい目立った行動、それは、主イエスと共に祈るため来たにも関わらず、終始、眠りこけてしまった事なのです。主イエスは「ここに座っていなさい」と弟子達に指示されました。主イエスは「ここを離れず、目を覚ましていなさい」と弟子達に命じられました。更に主イエスは「目を覚まして祈っていなさい」と弟子達に勧告なされました。彼らは確かに、指示された場所に座っていることはできました。彼らは確かに、指示された場所から離れずにいることはできました。ところが、彼らは、主イエスが苦悶の祈りを捧げる間中、眠気に襲われ、まぶたが重くなり、眠りこんでしまったのです。ここで、眠る事を非難し、睡眠の価値を否定しようとしているわけでは、決してありません。詩篇127篇2節を見れば、『空しいことだ、朝早く起き、夜遅く休み、苦労してパンを食べる人々よ。主は愛する者には眠りをお与えになるのだから。』と、睡眠が神の賜る祝福であることが、明瞭に教えられています。ここで問題にされているのは、眠るべき時に弟子達が眠らず、目覚めて祈るべき時に、眠り込んでしまっていた点でありました。主イエスは三度祈りを捧げに進みゆかれました。そして、三度弟子達のところに戻ると、三度とも弟子達は眠りこけていたのです。三度というのは、聖書においては単に回数を示すだけではありません。完全に、徹底的に、否定出来ないほどに、ということなのです。主イエスに「まだ眠っているのか。休んでいるのか。」と指摘された弟子達は、恐らく痛恨のショックを受けたことでしょう。

 目覚めて祈るべき時に、休眠した弟子達の原因を指摘して主イエスは、38節に「心ははやっても、肉体は弱い」と語っておられます。私たち人間は、見える部分と見えない部分の複合体です。見えない部分を心、霊、魂、霊魂と呼び方は変わっても同じことを指しているでしょう。見える部分は肉体であり、自然世界につながっている身体です。先日、NHK番組の「クローズアップ現代」で、気圧の変化による体の変調についての研究成果が発表されていました。低気圧に覆われると何故か変調を来す人が多いと言われます。頭痛や肩こりになるのです。その研究によれば、気圧変化を耳の器官が察知し、それが脳神経に伝わり、脳血管が収縮膨張することで、あちこちに変調を来すとのことでした。極端な例の一つには、ジェット機で急上昇することで耳が「ツーン」とおかしくなり、異常が発生するのを知っていることでしょう。それほど体は敏感であり精巧にできているものです。しかし、この「肉体」には、原語でサルクスが使われており、しばしば、このサルクスは聖書では「肉」と訳され、肉はその場合には、罪により汚染された生まれながらの人間性を意味して使用されているものなのです。そこに、私たちはそもそも霊的なものを求めきれない弱さをもっているということが分かります。霊的なものを求めて祈り続けることができない、たえず祈ることができない、祈りの戦いをすることができない者であるということなのです。ルカはここのところを「彼らは心痛のあまり眠り込んでいた」(22:45)と記しており、彼らが極度の差し迫った緊張に、耐えきれなかったことを強調しています。

 私たちは、このゲツセマネで、そんな弟子達の弱さ惨めさ、顔向けできないほどの恥ずかしい経験が、聖書に書き残されることによって、一つの真理を発見させられのではないでしょうか。それは、こんなにも弱い私たち、祈れず眠りこけてしまうような私たちをも、主イエスはご自分と一緒に祈るように招かれていることなのです。

サタンの誘惑に負けて躓いてしまうような私たちです。罪の誘惑に負けて祈れない私たちです。しかし、それでも、主イエスは、私たちを主と共に祈るように求めておられるのです。勿論、祈れないから祈らなくていいのではありません。肉体は弱い、なかなか祈れない、時間が無くて祈れない、祈っていてもすぐに眠くなってしまう。だが、そうであっても「目を覚まして祈っていなさい」と主は、私たちに勧告なされるのです。主イエスは、祈りを通して私たちが、主ご自身と共に居ることを望まれるのです。あの9章に登場した悪霊憑き(あくれいつき)の少年の父親は、「信じます。信仰の無い私をお助けください。」と主イエスに願い求めました。私たちは「祈ります。祈れず眠りこけてしまう私をお助けください」と願い求めてよいということなのです。私たちが、水曜日の祈り会に集まる理由は、ただこの一事に尽きると言えるでしょう。主イエスが共に祈ることを求められるからなのです。イエスと共に霊的な戦いを戦うことを私たちに求めておられるからなのです。

 41節で最後に、「イエスが三度目に戻って来て言われた。『まだ眠っているのか。休んでいるのか。もうよかろう。時が来た。人の子は罪人たちの手に渡される。立て、行こう。見よ。私を裏切る者が近づいて来た。』と記されています。主イエスは、祈りの苦闘を通して、自分に打ち勝たれたのです。全人類に代わって罪に対する恐るべき神の審判、裁きとしての死に与ることを、主イエスは避けようとすれば避けることができたことでしょう。逃げようとすれば、薄暗闇の迫るゲツセマネから逃亡することができたはずです。しかし、主イエスは、「アッバ、父よ。あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私の望みではなく、御心のままに。」と祈られました。そこで、主イエスは、ご自分の意志を放棄し、父なる神の意志に従う従順の決断をなされたのです。ご自身が弟子達に教えられた主の祈りを、自ら祈り決断なされたのです。『御心が行われますように。天におけるように地の上にも。』(マタイ6章10節)主イエスは、父なる神の御心が地に実現成就するようにと、十字架の死を決断されたのです。そして、「立て、行こう。」と弟子達に呼びかけられました。イエスは十字架の苦難を受け入れ、前進されようとしました。裏切るユダが、直ぐにも暴徒を引き連れて現れるのを知っておられました。逮捕されたならば、大祭司カヤパに尋問されることを知っておられました。死刑を決定できない大祭司が、ローマ総督ピラトの前に引き出し、彼によって、無実にも関わらず死刑が宣告されることを知っておられました。イエスは、鞭打たれ、釘付けられ、イバラの冠を被せれられ、槍を突き通され、酸いぶどう酒を飲まされ、炎天下の十字架上で、残酷に処刑されることを知っておりました。しかし、主イエスは、祈りで決断されるや、敢然と立ち上がり、前進なされたのです。主は、弟子達にかつて「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」(ヨハネ16:33)と励まされました。主イエスは、私たちもまた、この世にある限り、苦難が艱難が困難があることをご存知であります。

しかし、恐れず勇気を出して、困難に立ち向かいなさいと言われるのです。「立て、さあ行こう」と言われるのです。すでに世に勝たれたイエス、罪に勝たれたイエス、悪魔に勝たれたイエスが、私たちの前を進んで行かれるのです。今や、世界は一段と混迷を深め、混沌として参りました。この世の君であるサタンは、最後的に混乱を巻き起こそうと懸命にあがいているのです。私たちはどんな困難、艱難が迫り来ることがあっても、恐る必要はありません。

勝利者なる主イエスは蘇られ生きておられ、私たちの前に進み行かれるからです。ですから、目を覚まして祈っていましょう。勝利に向かって主イエスと共に今週も進み行きましょう。

43日礼拝説教(詳細)

「何を論じるのか」  マルコ9章14〜29節

さて、彼らがほかの弟子たちの所にきて見ると、大ぜいの群衆が弟子たちを取り囲み、そして律法学者たちが彼らと論じ合っていた。群衆はみな、すぐイエスを見つけて、非常に驚き、駆け寄ってきて、あいさつをした。

イエスが彼らに、「あなたがたは彼らと何を論じているのか」と尋ねられると、群衆のひとりが答えた、「先生、おしの霊につかれているわたしのむすこを、こちらに連れて参りました。霊がこのむすこにとりつきますと、どこででも彼を引き倒し、それから彼はあわを吹き、歯をくいしばり、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。

イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。その子をわたしの所に連れてきなさい」。

そこで人々は、その子をみもとに連れてきた。霊がイエスを見るや否や、その子をひきつけさせたので、子は地に倒れ、あわを吹きながらころげまわった。

そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、父親は答えた、「幼い時からです。霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。

イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。

イエスは群衆が駆け寄って来るのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、「おしとつんぼの霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」。

すると霊は叫び声をあげ、激しく引きつけさせて出て行った。その子は死人のようになったので、多くの人は、死んだのだと言った。しかし、イエスが手を取って起されると、その子は立ち上がった。

家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」。

 開かれている今日の聖書箇所の表題は、「汚れた霊に取り憑かれた子を癒す」とされています。主イエスが、三人の弟子達と高い山から下山すると、そこにある父親によって連れてこられたのは、聾唖の悪霊に憑かれた気の毒な少年でした。この少年は、耳が聞こえず、一言も話すことができません。悪霊に憑かれると引き倒され、歯ぎしりし、泡を吹き、激しい癲癇症状を呈する悲惨な病状でした。今朝は、主イエスがこの子を癒されるに際して語られた、23節のあの一つの言葉に注目することにいたしましょう。主は、父親にこう語られたのです。『「もしできるなら」というのか。信じる者には何でもできる。』 主イエスは、抑圧に苦しむ息子の父親に、「信じる者には何でもできる。」と語られました。すなわち、信仰には驚くばかりの無限大の可能性が秘められているということなのです。

 主イエスの語られたこの「信じる者」が、誰であるか、ここではハッキリしているわけではありません。しかしながら、そこに主イエスご自身が含まれていることは確かであり、間違いありません。その証拠に、父親に連れてこられた少年に取り憑く聾唖の悪霊に対して、「ものを言わせず、耳も聞こえさせない霊。私の命令だ。この子から出て行け。二度と入って来るな。」とイエスが叱りつけると、どうでしょうか、霊は叫び声を上げ、ひどく痙攣を起こさせて、その少年から出て行ってしまったからです。その少年は、すっくとその場に立ち上がり、耳がすっかり聞こえるようになり、普通のように口で喋ることができるようになり、完全に癒されてしまいました。これによってでも、主イエスが何事もできる方であることが明らかです。

悪霊を瞬時にして追い出し、抑圧から解放することのできるイエスとは、一体誰なのでしょうか。私たちは、イエスが少し前に、ピリポ・カイザリアの村で、弟子たちを信仰の告白に導かれたことを知っています。あのペテロはそこで、「あなたは、メシアです。」と弟子達を代表して告白することができました。私たちは、イエスが三人の弟子達、すなわちペテロ、ヤコブそれにヨハネを連れて高山に登り、そこで突然、変貌されたことを知っています。イエスの顔は太陽のように輝き、その衣は真っ白に光ったのを彼らは目撃させられました。その山頂で彼らは、突然雲に覆われ、天から「これは私の愛する子、これに聞け」との神の声までも聞かされました。イエスは、神の御子なのです。しかも人となられた救い主なのです。神の御子であるとは、イエスが神であることです。その本質において同等であられ、位格においては混同することのない三位一体の神の第二位格であられるということです。

 しかしながら、主イエスが何でもできたのは、全能の神だからではありませんでした。なぜなら、ピリピ2章6、7節に、使徒パウロがその核心を書いています。「キリストは、神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の形をとり人間と同じ者になられました。」この文言は「キリストの謙卑(けんぴ)」として知られており、これによれば、イエスは神であって同時に人間であられるということなのです。イエスは、何と神性と人間性の二つの性質を同時に保持されるという、想像も及ばぬお方なのです。

イエスは福音書によれば、病をことごとく癒されました。諸々の人を悩ます汚れた悪霊どもを追い出されました。古代では業病と恐れられたライ病をも清め、ガリラヤ湖上を吹き荒れる嵐を瞬時に鎮め、カナの婚礼においては、水をぶどう酒に変えられました。少年のお弁当であった5つのパンと二匹の魚で5000人に給食を与えてもおられる。ガリラヤ湖の嵐の最中に水の上を歩くことさえなされました。人間であって、しかも何でもすることのできたイエスは、当然、驚きをもって人々に迎えられました。しかし、主イエスが、何でもおできになったのは、ご自身が神であり全能の神性を保持されたからではありませんでした。そうではなく、人間として、全能の父なる神を絶対的に信頼なされ、聖霊の力によって業をなされたのです。イエスのなされたこと全て、それは神を信じ、聖霊に依存された結果でありました。

 しかも、この信仰によって何でもできる、主イエスの最大の働き、究極の働きは、無数の不思議な癒しや奇跡ではなかったのです。その事実を使徒パウロが、テモテ上2章4〜6節に明らかにし、このように記しています。「神は、すべての人が救われて、真理を認識するようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との仲介者も唯一であって、それは人であるキリスト・イエスです。この方は、すべての人のための贖いとしてご自身を献げられました。これは、定められた時になされた証しです。」そうなのです。主イエスが、信仰により成し遂げられた最大の働き、それは、贖いとして、即ち、罪の赦しを得させるために、十字架にご自身を捧げられることで、神と人との仲介者となることだったのです。

現在、世界の耳目を集め、心悩ませるのは、ウクライナとロシアの敵対、悲惨な戦争の泥仕合です。マリウポリ市はロシア軍に包囲され、厳しい人道的危機に陥っています。その無益な戦いを辞めさせようと、ドイツ首相、フランス大統領、トルコ大統領等が、次々と仲裁者が入ったのですが、依然として停戦に至ることができていません。しかし、この戦争よりもっと遥かに恐ろしい敵対関係があることを私たちは聖書を通して知っています。それは神と人類の敵対関係なのです。人類は最初の人間、アダムとエバが神に罪を犯した結果、神に逆らい敵対関係にある、と聖書は教えるのです。旧約の人物ヨブは、全財産を失い、健康を損ね、そのどん底で、「神は私のように人ではないから『裁きの場に一緒に出ようではないか』と私は応じることはできない。我々の間には、我々二人の上に手を置く仲裁者がいない。」ヨブ9:33、と嘆いて呻きました。しかし、神は、人間とご自身の間に立つ仲裁者を送ってくださったのです。「神は唯一であり、神と人との仲介者も唯一であって、それは人であるキリスト・イエスです。」そうです。イエス・キリストが十字架に犠牲となり、罪の赦しをもたらされ、今では、主イエスの仲介によって、誰でも神と和解することできるようになったのです。イエスが、聾唖の悪霊を追い出すと、直ちに、少年は聞くことができ、語ることができるようになりました。今では、人が主イエスを信じ受け入れると、恵みにより、誰でも、神に聞くことができるようになり、神に語りかけることができるようになったのです。

 主イエスが、「信じる者は何でもできる。」と言われた「信じる者」には、イエスの弟子達が含まれ、彼らに向けても語られています。では、弟子達には「信仰」があったのでしょうか。何でもできるような固い確かな信仰が、それによって信じて何でもできたのでしょうか。残念ながら、少年のあの少年の父親によって、完全に否定されてしまいました。18節で、父親はイエスに訴えてこう言っています、「この霊を追い出してくださるようにお弟子達に申しましたが、できませんでした。」期待されても弟子達にはできなかったのだと。そればかりか、主イエス自身も嘆いてこう言われました。『何と不信仰な時代なのか。』19節です。彼らは不信仰な世代だと。主イエスが三人の弟子達と下山され、残留の九人の弟子達に見たもの、それは、彼らが律法学者たちと口角泡を飛ばして議論ばかりしている姿でした。ですから、イエスは彼らに「何を議論しているのか」と問われています。弟子達は、何も答えていませんが、間違いなく議論の中心は、悪霊解放だったに違いありません。頭脳明晰な学者達と悪霊論を闘わすことによって、しっかり分析され、整理され、納得できたことでしょう。しかしながら、問題を分析はできても、肝心の悲惨な悪霊憑きの少年を癒すことはできなかったのです。父親は大変失望落胆し、「弟子達には、できませんでした」と嘆かざるをえなかったのです。私たちは、あの12人の弟子達が、使徒として召された時に、主イエスから「悪霊を追い出す権能」を授けられたことを知っています。私たちは、そればかりか、12人が出て行って実際に悪霊を追い出し、イエスに喜び報告していたことをも知っています。ところがどうでしょうか、今ここで、残留の9人の弟子達は「会議は踊る、されど進まず」ではありませんが、無能をさらけ出し、何も出来ずにいたのです。これは、一体どういうわけなのでしょうか。

 主イエスが側におられれば、力を発揮できていたのに、主イエスがちょっとでも、二、三日不在となるや、無力を露呈してしまう。主イエスは、ご自分の去って行く時の近いことを覚えて、こう言わざるを得ませんでした、「いつまで私はあなたがたと共に居られようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」神の子イエスが、人間となられたことは、当然、何事でも制約され、制限されることを意味します。主イエスは肉体にある限り、弟子達と同時にいつでも、どこでも居ることができませんでした。しかし、主は別の箇所で、こう語られたのです。「実を言うと、私が去って行くのは、あなたがたのため(益)になる。」と。ヨハネ16章7節です。主イエスが短期不在でも、弟子達が弱さ露呈したというのに、本当でしょうか。主イエスは続けてこうも言われておられるのです、「私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。私が行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」

 さて、この弁護者とは誰のことでしょうか。聖霊のことです。原語でパラクレートスは直訳すれば、「側に来て助ける者」の意味です。受肉されたイエスは、弟子達と行動を共にした時には、いつも彼らの側におられる助け主でした。だからこそ、彼らは主イエスと同じことができたのです。ところが、目に見える主イエスの不在が、残留9人の弟子達を全く無能にしてしまったのです。しかし、そのような弱さを抱える弟子達に、主イエスは、ご自分とは別に、助け主を送ると約束されたのです。そのお方こそ、実は、神の第3神格であられる聖霊なのです。この聖霊の約束について、ヨハネ14章16節をも読んでおきましょう、「私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」するとどうなるのでしょうか。その前の箇所で主イエスはこう約束されておられる。「よくよく言っておく。私を信じる者は、私が行う業を行うだろう。そればかりか、もっと大きなことを行うであろう。私が父のもとへ行くからである。私の名によって願うことを何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光を受けになる。私の名によって願うことは何事でも、私がかなえてあげよう。」(12〜14節) 驚くべき言明です。主は言われました、「信じる者は何でもできる」と。この信じる者とは、この無能に見えもした弟子達のことなのです。やがて聖霊に満たされるであろう弟子達のことなのです。彼らは信じたからこそイエスに従い、信じたからこそ使徒に召されたのです。弟子達は間違いなく「信じる者」でした。この信じる弟子達が、約束の聖霊に満たされる時に、初めて、何でもできるようにされる、と主は約束されたのです。この信じる弟子達とは、今日の牧師でしょう、伝道者でしょう、教会の奉仕者のことでしょう。礼拝後に、今日も祈りの家チームミニストリーが予定されています。そのチームの一人一人は、聖霊に満たされる時に、「何でもできる」ことが保証されていることを信仰をもって受け止め感謝しましょう。

 最後に、この「信じる者」は弟子だけでないことを覚えておきましょう。この不幸な少年の父親のことであるのです。『「もしできるなら」と言うのか。信じる者には何でもできる。』と、主イエスのこの言葉は、第一義的に、父親に対し語られていたのです。この父親が連れて来た少年が、悪霊によって酷い発作症状で転げ回っているのをご覧になると、イエスは「いつからこうなったのか」と尋ねられました。すると「幼い時からです」と父親が答えていました。つまり、息子の悲惨な状態は、実に長く長く、続いていたのです。そうであれば、当然、父親は惨めな息子の回復を願い、頼りになる医者はいないかと、尋ね歩いたことでしょう。効きそうな薬があれば買い求めたことでしょう。治るかもしれないと怪しげな加持祈祷師に呪文を唱えてもらったこともあるでしょう。しかし、それでも、何をしても癒されなかったのです。そこで、主イエスの噂を耳にした父親は、最後に一縷の望みを繋いで弟子達のところに来たのです。ところが主は不在です、残留の弟子達は治すことができません。そういうわけですか、父親が、「もしできますなら、私どもを憐れんでお助け下さい。」と嘆願した時には、何度も何度も期待を裏切られた結果、失望落胆し、ほとんど捨て鉢状態であったに違いありません。だからこそ、それしか言えなかったのです。ところが主イエスは、「『もしできるなら』と言うのか」と父親に切り返されました。それは信仰ではないからです。主イエスができるかできないかではない、あなたが信じることができるかどうかが問題なのだ、と言われたのです。すると、父親は、直ちに『信じます。信仰のない私をお助け下さい』と応じました。彼は「信じます」と言いつつ「信仰のない私」と、どう見てもおかしな、矛盾した言葉を口走りました。この父親には果たして信仰があったのでしょうか。しかしながら、主イエスはこの父親の心を受け入れられておられるのです。この言葉を受け止め、少年の癒しの解放をなされました。父親は主イエスに最初に言いました。『先生、息子をおそばに連れて参りました。』 イエスのところに惨めな息子を連れて来たことは、それが、例えどんなにささやかであったとしても、父親には、信仰があったからでしょう。イエスは、この小さな芥子種の信仰を軽んじられませんでした。

 私共は自分に「信仰がある」「信仰がない」と言った場合、その信仰とは、自分の神様に対しての確信、揺るがぬ思い、そんなイメージを持つのではないでしょうか。

ですから、「私の信仰を強くしてください。」とか「弱い信仰を強くしてください。」という言い方にもなるのでしょう。しかし、どんなことがあっても揺るがぬ確信、どんな時でも神様を信じ切る信仰、そんなものを持っている人が果たしているのでしょうか。この父親は、「わたしにはそんなものはありません。」そうはっきりイエス様に告げたのです。しかし、「それでも、お助けください。」そうイエス様に助けを求めたのです。「信仰のないわたしをお助けください。」とはそういうことでしょう。

そして、「信じます。」なのです。『揺るがぬ信仰も確信もないような私です。でも、私は今、あなたに頼るしかないのです。助けを求めるしかないのです。憐れんでください。不信仰な私のすべてをあなたは御存知です。信じ切ることの出来ない私のすべてを、今あなたに委ねます。あなたの御心のままに為してください。』そう言ったのです。それが、「信じます。」と言った父親の思いだったのではないかと思うのです。イエス様は、それを良しとされたのです。私には信仰がある。私には確信がある。そんなことではないのです。私共には、イエス様の前に誇れるような信仰などありませんし、それがなければイエス様の憐れみに与(あずか)ることが出来ないというようなことでもないのです。そうではなくて、『私には何もない、この問題を解決する力も知恵も能力もない。信仰さえない。しかしイエス様、あなたはそのような私を憐れんでくださいます。あなたは何でもお出来になります。どうか憐れんでください。助けてください。』そうこの父親はイエス様に願い求め、イエス様はそれを良しとされたのです。

今日、私たちはこれから、聖餐式に与(あずか)ろうとしています。聖餐のパンと盃に預かるのは、これによって、私たちが、神の恵みの座に近づく道を確信させられるからです。

イエスは父親に招いて言われました。「その子を私のところに連れて来なさい。」私たちは例外なく、今日も、イエスの招きの中に置かれているのです。抱えている問題が何であれ、ありのままの姿で、イエスの前に近づいて行くことが許されているのです。

聖歌651番の1節はこう賛美します。「罪とがをにのう 友なるイエスに 打ち明けうるとは いかなる幸ぞ 安きのなき者 悩み負う者 友なるイエスをば 訪れよかし」これは、私たちへの招きの言葉です。主イエスは、聖餐のパンと盃と共におられます。憐れみを受けて、主に近づくことにしましょう。