4月28日礼拝説教(詳細)

「主の戦い最前線」  ガラテヤ5章16〜25節

私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。肉の望むことは霊に反し、霊の望むことは肉に反するからです。

この二つは互いに対立し、そのため、あなたがたは自分のしたいと思うことができないのです。霊に導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。

肉の行いは明白です。淫行、汚れ、放蕩、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他このたぐいのものです。以前も言ったように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはありません。

これに対し、霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制であり、これらを否定する律法はありません。キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。

私たちは霊によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか。思い上がって、互いに挑み合ったり、妬み合ったりするのはやめましょう。

主の御名を賛美します。今日4月28日は教会暦では復活節第五主日、聖書はガラテヤ5章16〜25節を読みます。

妻と私は、朝のお祈りの後、朝食が8時前後になるので、朝ドラを見るのが日課になっています。朝ドラ「虎に翼」は愉快ですね。ご覧になっていますか。昭和15年に女性初の弁護士となり鳥取市で活躍された中田正子さんがモデルだそうで、主人公の名前がまた猪爪寅子と滑稽です。虎年生まれなので寅子と付けられ、皆から「トラちゃん」と親しまれています。

自分の名前は親か誰かに付けてもらうものですが、中にはどうしても自分の名前が嫌いだ、気に食わないという人がいます。実は私もその一人で、父は三男の私に「攻一」と付けました。長男は匡、次男も伸と一字なのに、三男だけ二文字、しかも数字の一。昭和20年のドサクサだったから仕方がなかったかもしれません。それに特攻隊をイメージして攻撃の一字を使ったのかと思うと嫌ですね。それに誰もまともに書いてくれる人がいません。成功の功と書く人がほとんどです。お分かりのように私は終戦の年、昭和20年生まれ、ここにおられる方はほとんど、戦争を知らない世代ではありませんか。しかし、今から79年前に、日本人だけでも軍人、軍属、准軍族合わせて230万人、外地の一般邦人30万人、内地の戦災死者50万人、合わせて310万人が犠牲となった事実を忘れるべきではありませんね。今日のメッセージは、戦いをテーマとして語るように導かれており、ガラテヤ5章から「主の戦い最前線」と題しました。

1.主の戦い

この聖書の中には、「主の戦い」という表現が何回か出てくるのですが、今日はよく知られた有名な事例を二つ最初に取り上げることにしましょう。

  ダビデによる主の戦い

その第一番目は、少年ダビデによる主の戦いです。これはイスラエルの軍隊が、敵対するペリシテの軍隊と戦争をした際に、実際に起こった、サムエル上17章に記されている出来事です。サウルを王とするイスラエルの軍勢は、圧倒的に強靭なペリシテの軍勢に包囲され、戦々恐々としていました。そして、それは膠着した戦況を早く終わらせ、戦いの決着をつけようではないかと、ペリシテ軍からの勇者による一騎打ちの提案で頂点に達します。ペリシテ軍からは強靭な武具で身を固めた巨人ゴリアテが名乗り上げ、「相手を出せ。一騎打ちだ。」とイスラエルに大声で挑戦するのですが、イスラエル軍人は怯んで出てくる勇士がいません。

そこに、戦争に従軍していた二人の兄に弁当を届けるために少年ダビデが現れ、ことの次第を察知したこのダビデが、ペリシテの挑戦に応じたのです。ダビデは末息子で紅顔の美少年。野原で父の羊の番をする牧童でした。そんな少年が、こともあろうに、小さな石をつめた石投げを片手に、巨人ゴリアテに立ち向かい、このように宣言したと聖書が語ります。「お前は剣や槍や投げ槍で私に向かって来るが、私はお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によって、お前に立ち向かう。今日、主(しゅ)はお前を私の手に渡される。私はお前を討ち、その首をはね、今日、ペリシテ軍の屍を空の鳥と地の獣に与える。全地はイスラエルに神がおられることを知るだろう。主が救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主の戦いである。主はお前たちを我々の手に渡される。」ダビデはこのゴリアテとの一騎打ちを「この戦いは主の戦いである」と宣言したのです。そして、ゴリアテに向って前に進み行き、手にした石投げを回転させて小石を投げつけるや、何とゴリアテの額に命中し、ゴリアテは即死する、ダビデはゴリアテの腰の剣を抜き取ると、その首を刎ね、イスラエルに大勝利をもたらしたというものなのです。

  ヨシャパテによる主の戦い

その二つ目は、歴代誌下20章に記されたヨシャパテ王による主の戦いの記録です。ヨシャパテは南ユダ王国 4代目の王です。この年、敵対するモアブ人を中心とする連合軍に攻撃され、その劣勢のため苦境に立たされてしまいました。その時、ヨシャパテ王ができたことは、主(しゅ)を求めることだけでした。ユダの全国民に断食を呼びかけ、王自らが主なる神に嘆願の祈りを捧げたのです。20章6節をご覧ください。

「私たちの先祖の神、主よ。あなたは天におられる神であり、諸国民のすべての王国を支配される方です。あなたの御手には勢いと力があり、あなたに立ちはだかる者は誰もいません。」と呼びかけます。更に彼は祈り進み、11節、12節にこう訴えます。「しかし、今、彼らが私たちにしようとしていることを御覧ください。彼らは、あなたが与えてくださったこの土地から私たちを追い払おうと攻めて来たのです。私たちの神よ、どうか彼らを裁いてください。私たちに向かって来るこの大軍を前にして、私たちには力がなく、何を行うべきか分からず、ただあなたに目を向けるのみです。」

するとどうでしょう。主の霊が預言者に臨み、このような言葉が主からあったと告げられました。「ユダのすべての人々よ、エルサレムの住民とヨシャファト王よ、耳を傾けよ。あなたがたに対し、主はこう言われる。『この大軍を前にしても恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。明日、彼らに向かって攻め下りなさい。この時、彼らはツィツの坂を上って来る。あなたがたはエルエルの荒れ野の前、谷の端で彼らに出会うが、その時は、戦う必要はない。しっかり立って、主があなたがたを救うのを見なさい。ユダとエルサレムの人々よ、恐れてはならない。おののいてはならない。明日、彼らに向かって出撃しなさい。主があなたがたと共におられる。』」

これに奮い立って彼らはどうしたでしょうか。預言で指示されたように、敵軍に立ち向かって出て行くのですが、何と彼らは、軍隊の前に聖歌隊を繰り出し、「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに」と歌わせたというのです。その結果が22節です。「彼らが喜びと賛美を始めたとき、主は、ユダに攻め込んで来たアンモン、モアブ、セイルの山の人々に伏兵を向けられたので、彼らは打ち破られた。」その次の23節によれば、それは敵軍同士の同士討ちによる全滅であったことが分かります。

  主の戦いの意味

この二つの事例によって主の戦いが、イスラエルにとって何を意味したかが分かろうというものです。それを解き明かしているのが、イスラエルの民がエジプトの奴隷から解放されて、付与された律法の戦争についての規定です。申命記20章1〜4節にこう記されています。「あなたが敵に向かって出陣するとき、馬や戦車、また自分よりも数の多い軍勢を見て、恐れてはならない。エジプトの地からあなたを導き上ったあなたの神、主が共におられる。戦いの場に臨むときは、祭司は進み出て民に告げ、次のように言いなさい。『聞け、イスラエルよ。あなたがたは今日、敵と戦おうとしている。気弱になるな。恐れるな。うろたえるな。敵の前でおののくな。あなたがたの神、主が共に歩み、あなたがたのために敵と戦い、あなたがたを救うからである。』」これが主の戦いの意味です。それは、彼らにとって、主の命により、主が共にいまして戦う戦いは、正に主の戦いである、ということです。神は、罪を犯して堕落した人類を救うための一つの計画を立てられました。それは、一人アブラハムを選び、その末から世界に神の証人となる神の民を起こす計画です。神は、イスラエルがエジプトの奴隷から解放され、パレスチナに定着できるよう、民のために戦われました。神は、更に定着したイスラエルが周囲の大国から防衛するためにも戦われました。神がイスラエルと主の戦いを共に戦われたのには、その背景に大きな人類救済の目的計画があったことを覚えておきましょう。

.人の戦い

では、人間を創造された神様が、何故人間同士が、悲惨極まりない戦争をするのをお許しになるのでしょうか。

  戦争の悲劇

私たちが世界の歴史を学んでも、日本の歴史を学んでも、間違いなく言えることは、人類の歴史は血で血を洗う悲惨な戦争の悲劇の連続であるということではありませんか。私たち人間は、高度の文明文化を築き上げることによって、偉大な進歩発展を遂げ、未来は薔薇色に輝くようになると考えました。しかし、期待は全く裏切られ、18世紀、19世紀、20世紀と時代が進めば進むほどに、戦争の規模は拡大を続け、ついに20世紀の初頭には第一次世界対戦が勃発、かと思えば20世紀半ばには、第二次世界大戦に突入してしまいました。それで、戦争の悲劇に目覚めて平和が構築されたかと思えば、米ソ冷戦時代に突入、核戦争の脅威に晒され続けます。やがてソビエトが崩壊すると、これで平和な時代が到来するかと思えば、共産党一党独裁の中国が経済軍事大国となり、新しい冷戦時代に突入してしまったではありませんか。そうこうするうちに、民主化されたかと思ったロシアが、2年前にウクライナに軍事侵攻することによって、またまた新しい緊張が発生する。昨年11月には、中東に火が付き、ガザ地区のハマスがイスラエルに突然テロ行為を実行し、1200人を惨殺した挙句、250人を人質にして立てこもる。それに対するイスラエルのハマス殲滅作戦がすでに六ヶ月を過ぎ、すでに3万人以上のガザ住民が殺害されている。先週、米国議会でウクライナ、イスラエル、台湾への軍事支援予算が通過し、バイデン大統領が24日に調印したことで執行されることが決まりました。総額953億4000万ドル、14兆7000億円です。ウクライナにはそのうち610億ドル、9.5兆円が支給されようとしています。すでにウクライナ戦争では、戦死傷者数は50万人を超えており、悲劇は増大するばかりなのです。

  戦争の原因

聖書は、戦争の原因を明確に指摘し、こう語ります。ヤコブ4章1、2節です。「あなたがたの中の戦いや争いは、どこから起こるのですか。あなたがたの体の中でうごめく欲望から起こるのではありませんか。あなたがたは、欲しがっても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。」聖書は戦争の根本的な原因は「欲望から起こる」とします。欲しがっても得られないと人を殺すのだと言います。聖書は、この人間の心の欲望が罪であると言います。礼拝では毎月第一の礼拝で、十戒を朗誦するのを常としています。十戒は、イスラエルがエジプト奴隷から解放された直後に、シナイ山でモーセを通じて神から授かった戒めです。奴隷から恵みによって解放されて自由の民とされたのだから、この十戒を基本の律法として生きるように、イスラエルに授けられたものです。この十戒こそ、万国の法律の基本を為すものです。人間の生きる基本になっているものです。その最後、十番目が貪り、貪欲の戒めなのです。この貪欲こそ罪の本質を成すものです。人殺しの根底に貪欲があります。姦淫の根底に、盗みの根底に、偽りの根底にあるのが貪欲なのです。すべての戦争を突き詰めていけばわかることです。その戦争を開始した動機の根底にあるのは貪り、貪欲なのです。

  戦争の許容

この悲惨な戦争を神様が許容される理由を、主に三つあげることができるでしょう。

第一に言えることは、罪の結果を罰として負わせるためです。罪は必ず罰せられること、これは神が正しい義なるお方であるから定められた基本原則です。ローマ書13章には「今ある権力はすべて神によって立てられたものです」と教えられています。どんな政治形態であっても、その秩序が最低限保全されるために、神様によって許容されているのです。その権力について4節でこう言われています。「権力は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権力はいたずらに剣を帯びているわけではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるからです。」いつの時代にローマ書は書かれたでしょうか。そうです。あの古代ローマ帝国時代です。残忍非道な皇帝ネロの時代です。それでも、聖書は、政治権力の本質的役割を語るのです。「神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるからです。」神は既存の政治権力を用いて罪を罰せられる、それが戦争を許容される理由の一つなのです。

第二に言えることは、神が戦争を許容されるのは、罪の正体を見抜けるようにするためです。国と国の争い事が起こった時、どこに罪過ちがあるのか判定するのは非常に難しいものです。私たちは国際連合に安全保障理事会が、国家間の問題に決着をつけるために機能していることを知っています。私たちは、国際司法裁判所が国家間の揉め事に判決を下す働きをしていることを知っております。それでも戦争に突入することがほとんどです。しかし、その戦争をすることで、どこに犯罪があったのかが、すべての人の目に明らかにされるものなのです。

第三に言えることは、神が戦争を許容されるのは、私たちを神に立ち返らせるためです。勿論、戦争をして散々惨めな思いをさせられたからといって、すべての関係者が、神様に立ち返ることはないでしょう。しかし、その悲惨さを通じて、自分自身の罪深さを示されて、悔い改め、神に立ち返ろうとする者が起こされることは間違いないことです。

.霊の戦い

では、今日、ここに神を礼拝するため集まった皆さんに求められていることは、どういうことでしょうか。ガラテヤ5章15、16節に勧められている御言葉に聞いてください。「互いにかみ合ったり、食い合ったりして、互いに滅ぼされないように気をつけなさい。私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」この御言葉によれば、私たち一人一人の立ち位置が、実は厳しい戦争の最前線に居るのだということなのです。戦争の原因は欲望にあると聖書は指摘していると申しました。欲望とは一人一人の内側にあるのです。ということは戦いの最前線は自分の内側にあるということになります。戦争の原因が欲望という罪であるとすれば、一人一人が自分の欲望を対処することができない限り、戦争を終わらせることはできないのです。戦争の最前線に立っているとの自覚のもとで、私たちが成すべきことを三つ聖書からお勧めします。

  罪の赦しを受けること

その第一に成すべきことは、罪を悔い改めて、イエス・キリストの十字架の死と復活を信じて罪の赦しを得ることです。罪とは聖書原語でハマルティアと言い、その意味は、的外れです。弓で矢を放っても的を外すことです。罪とは、人間を創造された唯一の神から離れ、神を無視し、神無しに生きることによって、生きる目的を外していることです。罪なき神の御子イエス・キリストは、十字架に私たちの罪の身代わりとなって罪の罰を受けてくださいました。このイエス・キリストを救い主として信じ、心に迎え入れる人は、罪赦され神の子とされます。

  肉を十字架に付けること

その第二に成すべきことがあります。それは、自分の肉を十字架に付けてしまうことです。この聖書箇所で肉とは、私たちの肉体、身体のことを意味しておりません。聖書で言う肉とは罪に侵され影響された人間性を指すものです。イエス・キリストを信じるまでは人は罪の奴隷です。罪の奴隷であるから罪を犯すのです。しかし、イエス・キリストを信じて救われれば奴隷から解放されたとしても、その罪の影響力を免れることは生きている限り完全にできません。その罪の影響を受けた人間性のすべて具体的な表れが、19、20節の一覧です。見てください。「肉の行いは明白です。淫行、汚れ、放蕩、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他このたぐいのものです。」この私たちの内にある肉が、実は、イエス・キリストを信じて洗礼を受けた時に、処分されていたのだと聖書は教えています。24節をご覧ください。「キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。」キリスト・イエスに属する者とは、イエスを主を信じて洗礼を受けたクリスチャンです。イエス様を信じた恵みは第一に罪が完全に赦されたことです。しかし、そればかりではないのです。キリストは私の身代わりとなって十字架で死んでくださったということは、私自身が十字架で一緒に死んだことを意味するでしょう。十字架でキリストと共に死んだとは、この罪の影響を受けている自分の人間性のすべてが葬り去られたことを意味するのです。キリスト信者に大切なこと、それは罪の赦しと共に、自分の肉が十字架に付けられた事実を信仰を持って受け入れることです。神様はあなたのどうしようもない罪に犯された人間性を十字架でキリストにあって処分してくださいました。

  聖霊に満たされること

その信仰に立って、更に求められることこそ聖霊に満たされることなのです。16節で「霊によって歩みなさい。」と言われます。18節で「霊に導かれる」と言われます。25節に「私たちは霊によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか。」と勧告されています。この霊とは神の霊です。イエス・キリストが復活・昇天された後に来てくださった聖霊のことです。イエス様は後から「別な助け主」が来られると約束されました。聖霊はそば近くにきて私たちを助けてくださる神ご自身です。この聖霊に自分を委ねるときに、何が起こりますか。そうです。霊の実を結ぶことになるのです。「霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」御霊による9つの霊的な実が実るのです。

教会の道路向こうに小さな公園があります。何年も管理されず放置されたため、背丈に達するような雑草に覆われ悲惨でした。そこで私は数年前から除草作業を一部ですが引き受け開始しましたが、地面深くに雑草の根が深く絡まり合って張り広がり、困難を極めました。しかし、繰り返し繰り返し除草作業をすることで改善されて行き見違えるように変わりました。一年に一回、大阪府の方で業者を派遣し全体の除草をしてくれるようになったので、私は早め早めに作業をし、雑草の芽の若いうちにバーナーで焼き切ることにしています。

使徒行伝2章の聖霊降臨の有り様を見ると「炎のような舌が別れ別れに現れ、一人一人の上にとどまった。」と記録されています。聖霊が火に象徴されるように、聖霊が人に臨まれると、人の内側の汚れた肉を焼き切ってくださるのです。完全な人などいません。戦いは生きている間続くのです。大切なことは、神が十字架で成し遂げてくださった罪の赦しと肉の処分を信じ受け入れ、聖霊の満たしを日々に祈り求めることです。主は言われました。「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つけます。叩きなさい。そうすれば開かれます。」それは、神様に約束された聖霊を祈り求めることの勧告です。「私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」共に十字架を仰ぎ、祈り聖霊を求めましょう。

4月21日礼拝説教(詳細)

信望愛の総点検」  ヨハネ21章15〜23節

食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「私の小羊を飼いなさい」と言われた。

二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「私の羊の世話をしなさい」と言われた。

三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」

イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。よくよく言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すことになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。

このように話してから、ペトロに、「私に従いなさい」と言われた。

共に礼拝できる恵みに感謝です。今日21日は教会暦によれば復活節第四主日、そこで聖書はヨハネ21章15〜23節をお読みします。

私事で恐縮ですが、昨日20日に誕生日を迎え79歳を数えました。来年4月には満80歳を数える訳で、こうして現役の牧師として奉職できる恵みに感謝しております。2年前には直腸癌の手術を受けました。果たしてどうなるやら心配でしたが、癌の転移もなく健康が支えられています。担当された外科医によれば、5年間は3か月毎に追跡検査をするよう指示されており、来月には手術後2年目ということで、大腸の精密検査を受ける予定にもなっています。振り返って考えてみれば、直腸癌と分かったのは人間ドック検査を受けた結果でした。癌が転移せずに済んだのは、ドック検査が早期発見に繋がったからなのです。

検査の大切さは体の健康検査だけではありません。車にも定期に車検があり、先日も事務室のコピー器の点検がありました。エレベーターの定期検査も定期的に行われています。何故、点検検査が必要大切か、それは分かりきったことです。問題点を早期に発見することで、大事に至らぬよう未然に対処することができるからです。

今日の聖書箇所は、復活されたイエス・キリストがガリラヤ湖で漁をしていた七人の弟子たちに、ご自身を現された場面の続きです。主イエスは、それから間も無くオリーブ山から昇天されようとしておられました。弟子たちは弟子たちで、主から派遣された宣教の働きに向かおうとしておりました。岸辺で弟子たちと朝食を共にされた主は、特にペテロ一個人に対して語りかけ、彼の内面深くを点検された出来事です。

1.愛しているか

ペテロは第一に、主イエス・キリストに対する愛が点検されます。キリストは弟子たちに「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と呼びかけ、ご自分が炭火で焼いた魚とパンを弟子たちに与えられました。ペテロに対する主の問い掛けは、その朝食後のことでした。その朝食の間は沈黙が続きます。12節によれば「弟子たちは誰も、『あなたはどなたですか』と問いただそうとはしなかった」とあります。沈黙は時に饒舌に優って非常に大切なものです。それはお互いにわかり合っている事の印でもあるからです。なぜ弟子たちは黙々と食べたのでしょう。それは彼らには、この方が、主イエスであるともう分かっていたからです。黙って彼らが食べるのを黙ってご覧になる主イエスもまた、弟子である彼らのことをよく分かっておられたのです。

  愛の問掛け

そのしばらく続いた沈黙を破って、主は一人ペテロに向き直り「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しているか」と問いかけられました。おそらくペテロはドキッとし、非常に驚き、イエスに向かい合ったことでしょう。しかも主は、「私を愛しているか」「私を愛しているか」「私を愛しているか」と同じ質問を三度もペテロに語りかけられます。三度もしつこいように繰り返し質問したのは、ペテロの愛を主イエスが疑っておられたからでしょうか。日本語訳では使われる愛は同じ漢字ですが、原語では最初と2回目はアガペで、三度目にはフィリアが使われています。アガペとは、見返りを求めない無条件の愛、どんなに裏切られても、どんなに自分が損をしても、愛し抜く愛です。フィリアとは、友情、好意を示す愛です。多少の自己犠牲を払うことも厭わない強い友情です。友愛とも訳されます。

この三度の主イエスの問いかけに対するペテロの答えは、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と、これまた三度とも同じ仕方でした。では、ペテロの三度の答えで彼が使用した愛は、原語でアガペの愛が使われたでしょうか。いいえ違うのです。3回ともフィリアの愛が使われていたのです。ペテロは最初の質問にも二度目の質問にも、アガペの愛で愛しているかと問われ、アガペの愛で愛しているとは答えていません。

そこで主は、三度目には、アガペではなくフィリアの愛で愛するかと問われます。するとペテロは、同じくフィリアの愛で愛すると答えました。私は想像するのです。この背景には、間違いなくヨハネ13章36〜38節に残されている、最後の晩餐の席上での主イエスとペテロの対話があったに違いないと思うのです。その対話のきっかけは、その前の33節に記されている主の発言にあったと思われます。主は弟子たちに「子たちよ、今しばらく、私はあなたがたと一緒にいる。あなたがたは私を捜すだろう。『私が行く所にあなたがたは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今あなたがたにも同じように言っておく。」と語られています。それを受けてペテロは質問せざるを得ない心境に迫られたのでしょう、

「主よ、どこへ行かれるのですか。」(36節)と尋ねます。それに対してイエスは、ペテロに「私の行く所に、あなたは今付いて来ることはできないが、後で付いて来ることになる。」(36節)と語られていたのです。するとペテロは強く反駁し、「主よ、なぜ今すぐ付いて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」(37節)と、自分の覚悟ができていることを断言しました。しかし、それに対して主はペテロに、「私のために命を捨てると言うのか。よくよく言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」と予告されました。そしてその通りになったことを私たちは知っているのです。

主が逮捕され大祭司の公邸に連行された際には、ペテロは隠れ隠れ何とか付いて行きましたが、裁判進行中に、彼がそこに居合わせた者たちに「あのイエスの仲間だろう」と問われると、三度イエスを知らないと公に否認してしまったのです。この主イエスの三度の問いかけは、魚を焼く炭火を囲んでなされました。ペテロが大祭司の公邸で三度イエスを否認したのも、祭司の庭で暖を取る炭火を囲んでのことでした。この三度の愛の問いかけによって、ペテロを非難叱責したのではありません。主イエスは、ペテロが「あなたのためなら命を捨てます」とどんな犠牲を払ってでも主をアガペの愛で愛すと断言したことをご存知です。にもかかわらず、実際には公に主を知らないと大祭司の庭先で否認したことを知らないはずがありません。

この三度のイエスの愛の問い掛けは、ペテロの主イエスに対する愛の理解を示す言葉だったのです。これによって、主はペテロの弱さを理解しておられること、その上で、ペテロの心にある主へのひた向きの愛を確認しようとされたのです。

  愛の応答

ペテロは、この主イエスの愛の問いかけに、「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と遠回しな返事しかすることができず、「はい、主よ、私はあなたを愛しています」と、ストレートには答えることができません。そして、主が三度も愛の問いかけをされた際には、「ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。」と17節に記されています。口語訳は「悲しくなった」を「心を痛めた」と訳しています。ここで使用された原語は、悲嘆、悲痛、苦悩、苦痛、残念、遺憾、悔しく思う事などを意味する非常に強い言葉です。それは自分が理解されていないことを悲しく思ったのではありません。三度の主の愛の問いかけによって、自分自身の内面の真相をはっきりと照らし出されたからなのです。自分がどんなに自信に満ちていたか、神の代弁者のように思っていたか、他の誰よりも主を愛している、自分が一番仕えている、そう思い、他の人々を見下していたか、その自分の罪深い姿を思い起こされて、悲しく思い、心を痛めたのです。

  愛の責任

しかし、ご覧ください。そのように心を痛め悲しむペテロに対して、ストレートに「愛しています」と言えないペテロに対して、もはや命懸けで愛しますとは言えないペテロに対して、主イエスは、厳しく非難叱責して退けるどころか、彼に「私の小羊を飼いなさい」「私の羊の世話をしなさい」「私の羊を飼いなさい」と新たに、教会の魂を看取る指導者としての職務を負託されました。主はこのように問いかけることによってペテロの愛を点検し、3回の否認の記憶を拭い去り、ペテロ本来の職務に復帰させてくださいました。

.信じているか

更に主は、朝食の後で、ペテロの主ご自身への信仰を再点検されたことが分かります。主はペテロに、「私を愛しているか」と三度繰り返し問い掛け、ペテロの主に対する愛を確認されるや否や、彼に、「私に従いなさい。」と二度命じておられます。19節と22節です。信仰とは何でしょうか。以前の説教で同じ問いかけをした際に、「信仰とは神の確かさに信頼することである」と言ったことを覚えておられるでしょうか。しかし今日、ここでもう一歩進んで言い表すとすれば、信仰とは主イエスを信頼し、なおかつ主イエスに付き従うことなのです。信仰とはただ神の存在を認めることではありません。信仰とは、ただ自分が困ったとき神に信頼して助けてもらう、支えていただく、守っていただくことでもありません。信仰とは言葉を替えて言うなれば、信仰とは従順なのです。ヘブル11章6節に「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」と教えられていることをご存知でしょう。その神に喜ばれる信仰とは、それは神に信じ従うことなのです。

イエス・キリストが、公生涯の初めに、ガリラヤ湖で漁をするペテロを見つけると、主は彼に呼びかけられた最初の言葉は、「私に付いて来なさい」でした。(マタイ4章19節)主が「あなたがたは私を何者だと言うのか」と弟子たちに尋ねた時、いの一番に「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えたのはペテロでした。その直後に、主が十字架の受難を弟子たちに予告すると、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」とイエスを脇へお連れして、いさめたのがペテロでした。しかし、そんなペテロに振り向いて主は「サタン、引き下がれ」と叱責されたのです。この「引き下がれ」とは、文字通りには「私の後ろから付いてこい」なのです。前に出てはならないのです。並列してもならない。後に付き従うことです。そして、主は弟子たちに教えられたのです。「私に付いて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい。」(マタイ16章24節)「フォロー・ミー」です。主イエス・キリストを信じるとは、主イエスの後ろから、どこまでも、どこまでも、付き従って生きることです。

ヨハネ21章の18節を見てください。主はペテロ個人に対して「よくよく言っておく」と次のように告げられたのです。「よくよく言っておく」このように主が語られる時は、語る内容の重大さが強調されているのです。こう主は語られます。「あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる。」一般的にもよく知られている格言があります。「若い時には人の助けは要らぬ。まだ元気なのだから。年をとれば急に弱くなり、老いぼれて人の助けを頼りにする」来年には80歳になろうという私に言われているような格言です。やがていつか、老人になり人の助けを頼りにするようになることでしょう。しかし、主はこの格言を用いてペテロの信仰を再点検されたのです。「ペテロよ、あなたは私を愛し、私に信頼して付いて来ようとするのであるならば、これから「行きたくない所」に行くことになるのだぞ、それでもいいのか、その覚悟、その信仰があるのか。」そのような意味で語られたのです。生来の生まれつきの人間性は、「行きたい所」へ行こうとするものではありませんか。

最近、参考資料として本としては愉快な一冊を入手しました。題名は「CW ニコルの生きる力」です。長野県の信濃町に在住する日本に帰化したウエールズ人です。自然保護活動家で、テレビなどでも出演され知っている方もいるかもしれません。この書物の中で「好きなことを極める」という中で、「何かに夢中になること、好きになること、興味を持つこと、これほど人間にとって大切なことはない。それが人生の大半を決定する。」と断言します。そして彼は文字通り、実践し実行した珍しい人です。「12 歳で北極探検に取り憑かれ、14 歳で日本に魅せられたことで、心の中に自分の世界ができた。」と言います。「この二つの好きなものを好きでい続けられることで、今の私がある。」彼は北極のイヌイット族の間に生活し、やがて、日本に移住し、日本国籍を取得し、小説を書き、自然保護活動で大活躍して85歳を迎えている。私は彼の自伝的なこの書を読んで、まさに生まれつきの人間の本性をそのまま生きている見本を見ているような気がしました。自分の好むことをする、好む所へ行く、有益と思えることをする、楽しいことをする。誰に気兼ね無しに、思う存分に、妨げられず、煩わされず、自分の思う道を歩むのです。多くの人は、イエスに召し出されるまでは、どちらかと言えば平和に楽しく生きているのです。そう言えるのです。

ところがどうでしょうか、信じて主の弟子となると、戦いに引き摺り込まれるのです。辛いことに巻き込まれるのです。ペテロの場合は「両手を広げ、他の人に帯を絞められる」これは、十字架に磔にされることを意味しました。「両手を広げる」とは十字架の横木に手を伸ばして縛られることです。伝説では、ペテロはローマで十字架にかけられ、逆さ磔にされたと言われます。小説「クオバデス」はそのペテロの受難物語です。勿論、これはどこまでもペテロのことで、皆そうなると言うことではありません。しかし覚えておきましょう。主を信じその後に付き従って生きることは、「行きたくない所」へ行くことになる点では、ペテロも私たちも変わりがないということです。

私共も、いつでも自分が願ったように、願ったところで、願ったことだけをして生きていけることなどないでしょう。「こんなことしたいわけじゃないけれど」あるいは「断り切れないで」ということだって多いでしょう。自分が行きたい大学に入って、就きたい職業についている人がどれだけいるでしょう。あるいは、希望の会社に入るには入ったけれど、思っていたのとは大違いという人もいるでしょう。結婚したり、子供が出来て、その仕事を辞めなければならなかった人もいるでしょう。私共の人生は、自分ですべてを決め、選択しているように見えて、自分で決めたわけじゃない、そうなってしまったんだということが実に多いのではないかと思うのです。

主に従って生きるということは、その与えられた状況の中で精一杯、神様・イエス様を愛し、隣人を愛し、神様・イエス様に仕え、隣人に仕えていく。主イエスの愛を伝えていく。それが、主イエスに従って生きるということなのではないでしょうか。アメリカの著名な神学者ライホルド・ニーバーの作った詩に「Bloom where God has planted you.」があります。和訳するとこうです。「置かれた場所で咲きなさい。仕方がないと諦めるのではなく、人生の最善を尽くし、花のように咲くことです。咲くことは、幸せに生きることです。あなたが幸せになれば、他の人も幸せになります。あなたの笑顔が広がっていきます。あなたが幸せで、それをあなたが笑顔で示せば、他の人たちもそれがわかり、幸せになります。神はあなたを特別なところに植えたのです。もし、あなたが他の人たちと分かち合うことを知れば、あなたの人柄は輝きます。輝くことを咲くと言うのです。神が私を置いた場所で私が花開くとき、私の人生は人生の庭で美しい花になるのです。置かれた場所で咲きなさい。」この詩を翻訳した方がコメントを次のように書き記しています。『私たちも、今いる場所で花を咲かせたいものです。辛い時があるかも知れません。苦しい時、悲しい時、悔しい時、泣きたい時もあるでしょう。不平不満を言いたくなる時があるでしょう。でも、そういう時でも、花を咲かせようとしていれば、根は見えないところで、ぐんぐん成長していくのです。そして、そのおかげで、いずれあなたは美しい花を咲かせます。』その通りですね。主はペテロに「私に従いなさい」と言われました。主は、今日、あなたにも「私に従いなさい」と言っておられるのではありませんか。

.望んでいるか

最後に主は、この湖畔の朝食の後で、ペテロの未来への希望を再点検なされます。何故なら、ペテロがそこで振り向くと、弟子の一人ヨハネが付いてくるのを見た時、ペテロが思わず主にこう質問したからです。「主よ、この人はどうなるのでしょうか」(21節)ペテロが「この人は」と指し示した弟子は、12弟子の中でも中心となる三人衆のペテロ、ヤコブ、ヨハネの一人です。この三人は一番早く選び出された弟子達であり、主イエスの行かれる所には、いつでもどこにでも同伴していました。主と共に祈るため高い山に登り、主の変貌を見せられたのも三人です。ヤイロの娘を生き返らせる時にも部屋に入れられたのはこの三人でした。最後の晩餐の準備を任されたのもペテロとヨハネ、ゲッセマネの祈りに連れて行かれたのもこの三人でした。ヤコブとヨハネはゼベダイの子とされ、その母サロメはイエスの母マリアと姉妹同士、ヨハネはイエスの従兄弟になります。他の弟子たちを差し置いて、イエスに王国が確立した暁には、右大臣と左大臣に指名してくれるように願い出たのは、このヤコブとヨハネでした。このヨハネがこの福音書で繰り返し「イエスの愛しておられた弟子」と評価されていると言うことは、特に優れた弟子であることを印象付けないわけにはいきません。ということはヨハネが、ペテロにとっては、弟子仲間の中でもライバルのライバルであったということです。ペテロの目にヨハネは、いつも自分よりも先に行っているように見え、気になって仕方のない存在だったのです。主が自分の運命に付いて語られた時、ペテロはどうしても自分とヨハネを比較しない訳にはいかない心境に捕らわれてしまいました。あの愛弟子ヨハネの運命はどうなるのか。主は彼にどんな運命を与えられたのか。果たしてヨハネはどのように一生を終えるのか、神の彼に対する計画は如何なるものなのか。しかし、主はこのようなペテロの思惑に対して、キッパリとこう語られ、彼の思惑を取り去られてしまいました。「私の来るときまで彼が生きていることを、私が望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、私に従いなさい。」英語で言う「Thats none of your business」です。あなたには全く関係のないことだとされたのです。主の弟子であるヨハネの究極の結末は、神が関わる問題である。人間が関わる問題ではないとされたのです。

歴史的事実として私たちには、使徒ペテロが紀元64年頃にローマで殉教していること、一方、使徒ヨハネは紀元100年頃、老いて平和に亡くなったことが分かっています。「他の者にどんな勤めが与えられようが、気にかけるな。あなたの任務はわたしに従うことだ」と主はペテロに言われたのです。ペテロが未来を見据えて抱くべき希望は何であるべきだったでしょうか。それはキリストの再臨に他なりません。主はこう言われます。「私の来るときまで彼が生きていることを、私が望んだとしても」「私の来る時」とは主の再臨のことです。主は繰り返し約束されたことこそ再臨でした。「私はすぐに来る」そう主は約束されたのです。時間の未来に主の再臨を見据えて、主の弟子たちは、それぞれ違った課題を与えられ、違った最期を与えられ、自分の責任を果たすべきなのです。

復活の主イエス・キリストがペテロの愛と信仰と希望とを総点検されたことを、今朝、私たち一人一人が自分自身への問いかけとして受け止めることにしましょう。あなたは主イエスを愛しておられますか。あなたは主イエスを信じ従っておられますか。あなたは主イエスが再び来られることを待望し、自分の果たすべき役割を忠実に果たそうとしておられますか。この主の点検を受けて、新しい思いをもって、この新しい週を生き抜いていくことにしましょう。祈ります。 

414日礼拝説教(詳細)

「さあ行こっかな」  ヨハネ21章1〜14節

その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちにご自身を現された。その次第はこうである。

シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それにほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「私は漁に出る」と言うと、彼らは、「私たちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何も捕れなかった。

すでに夜が明けた頃、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何かおかずになる物は捕れたか」と言われると、彼らは、「捕れません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れるはずだ。」

そこで、網を打ってみると、魚があまりに多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。

陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚が載せてあり、パンもあった。イエスが、「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。そこで、シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多く捕れたのに、網は破れていなかった。

イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちは誰も、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であると分かっていたからである。イエスは来て、パンを取り、弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

主の御名を賛美します。今日は、復活節第三主日なので、ヨハネ21章1〜14節をお読みします。この聖書箇所は、十字架に架けられ死んで三日目に復活された主イエス・キリストが、ガリラヤ湖で漁をする七人の弟子達に、不思議な仕方でご自身を現された場面のことです。その日、弟子のペテロが「私は漁に出る」と言うと、他の弟子達も「私たちも一緒に行こう」と言ったというので、私は今日の説教題を「さあ行こっかな」としました。9年前に赴任して間もなくのことでした。Y兄が美味しいレストランがあると車で案内してくださいました。到着して「ここです。」と言われ、見ればそれは住宅街の何の変哲もない一軒家、その小さな看板にはカタカナで「イコッカ」と描かれていたのです。それが何を意味するか暫くは分かりませんでした。それが「行こうか」の関西弁であることが後で説明されてようやくわかった次第です。数年前に自動改札機で使える定期券を買う機会がありました。驚いたことにその定期券の名前も「ICOCA」でありました。関西人にはどうってこともないのでしょうけれど、よそ者の私には非常に新鮮な響きがあって、大変印象的でした。

さて、キリストは何故、復活後にガリラヤ湖で弟子達に現れたのでしょう。それは、復活直後に、主が彼らに先駆けガリラヤに行く、そこで会うことにすると約束されていたからに違いありません。思うにそれは、それによって復活の現実性を弟子達に決定的に示すためであったためでしょう。復活の現実性はすでに、第一にキリストが埋葬された墓が空(から)であることによって示されていました。その現実性の第二は、復活された日曜の夕暮れに、迫害を恐れ隠れ潜む弟子達に忽然と現れ、十字架の釘による手の傷跡、槍で刺された脇腹の傷跡を示すことで確認されていました。それに加えて主は、弟子達の故郷ガリラヤで、彼らの生活の現場に現れることによって、復活の現実性をより確かにしようとされたのであります。

I. 働きに行こっか

ペテロが「私は漁に出る」、関西人であるなら「俺は漁に行こっかな」と言うと、「私たちも一緒に行こう」と応じたのは、同じ弟子仲間の6人でした。名前の分かっているのはトマス、ナタナエルです。ゼベダイの子たちとはヤコブとヨハネのことです。後の二人は不詳です。私たちが、他の聖書箇所からこれまで分かっていることは、主イエスが復活された日曜の夕方に、弟子達の隠れ潜んでいた家で、突然彼らに現れたことです。そればかりではありません。その一週間後の日曜日に、同じ隠れ家でもう一度、復活の主の顕現を、弟子達が経験していることです。これは私が想像することですが、彼らは恐らく、それからエルサレムの都を後にし、泉佐野からすれば150キロ先の京都程離れた故郷のガリラヤへ、4、5日かけて戻っていたのでしょう。その当座のペテロの心境たるや察して余るものがありますね。

彼らは、この方こそメシア、救い主だと期待して従って来たのです。そのイエスがユダに裏切られ捕らえられてしまう。宗教議会の法廷で大祭司には裁かれる。その場に紛れ込み居合わせていたペテロは、自分が仲間であることを否認してしまいました。イエスはローマ総督ピラトによって死刑判決が下され十字架に磔にされ、死んで埋葬されてしまう。しかも三日が過ぎた日曜の早朝に、女たちの知らせで墓に行ってみると墓は何と空である。そうこうしていると、恐れ隠れ潜んでいた鍵のかかった家に、復活の主イエスが忽然と現れる。このような錯綜とした出来事が、1、2週間の短期間に、連続集中したとすれば、彼らの頭が混乱し、まともに整理することすら困難至極であったであろうこと、容易に想像できます。こんな状況で、ペテロや弟子達がエルサレムの隠れ家に閉じ籠るのをキッパリやめて、住みなれた故郷に立ち戻り、自分の得意とする漁師の仕事に、我を忘れて打ち込もうとしたことは、精神的にも、これは好ましい判断ではなかったでしょうか。

ではその結果はどうだったでしょうか。3節にはこう記されています。「彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何も捕れなかった。」漁は早朝、暗い内に行われるものです。魚が腹を空かせて岸近くに回遊して、エサを探す時を狙うのです。ペテロは6人の仲間を誘って手馴れた漁船を操り、沖に漕ぎ出し漁に出たのですが、しかし、結果は惨憺たるものでした。ペテロは漁師としてプロの中のプロでしたが、何とその晩は 1匹も魚が獲れなかったのです。ところが、4節をご覧ください。「すでに夜が明けた頃、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。」復活の主イエスが岸辺に立っておられました。船から岸までは100メートルそこそこの距離で、そんなに遠くありません。そして、その岸辺から主がこう呼びかけられたのです。「子たちよ、何かおかずになる物は捕れたか」この「おかず」とはパンと一緒に食べる副菜のことです。それには、支えるもの、力つけるもの、滋養といった付随した意味もある言葉です。復活された主イエスは、弟子達の生活の現場の只中で、生命を支えるものが取れたのかと、大切な問いかけをされたのです。

ペテロにとって魚を取ることは本来の生業でした。仕事でした。人間とは何か、ホモサピエンス(英知人)とかホモルーデンス(遊戯人)とかいろいろ定義されますが、その一つには「言葉をもって協同して労働する生命体」という定義があります。人は働きつつ生きる生き物なのです。仕事をする、働くこと、それは生活の糧を得るための基本的な手段であります。食べるためには働かねばなりません。そればかりではありません。人は働き仕事をすることにより隣人に奉仕するのではありませんか。人という漢字は 2本の棒が支え合う形ですね。それは互いに支え合い仕えあうことで生きる生き物であることを象徴しているのではありませんか。更に一歩進んで聖書を見れば、それ以上に、人が働くことは神による創造の秩序であることが教えられています。

最初の人アダムはエデンの園に置かれ、「そこを耕し、守るためであった」と創世記2章15節に記されていることが分かります。人間は神により創造され、神が創造された被造物の管理者として任命されていたのだと聖書は啓示するのです。ペテロはその意味で、漁師として働いていたのです。しかし、主イエスが、彼らに対して更なる働きに任命されたことを先週、私はヨハネ20章からお話ししたところです。もう一度読み返すと、主はこう言われましたね。「父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす」(20:21)それを別の言い方で主が語られたのがルカ5章10節の言葉ですね。「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」ペテロはガリラヤ湖の魚を漁る漁師でした。それが人間を漁る漁師となる、そう主は彼に語られました。それは福音の宣教をするための新しい任命です。ペテロは福音を宣教することによって、それまでは魚を漁る漁師でしたが、人を漁る漁師に任命されていたのです。 そのペテロと弟子達に「子たちよ、何かおかずになる物は捕れたか」と、復活の主に問われたその時、彼らは残念ながら「捕れません」と答えざるを得ません。

私が35歳ごろだったでしょうか、前妻が病死し、再婚した直後の過渡期の事が思い出されます。3人の幼い子供達含め5人で札幌で生活したのですが、六ヶ月も過ぎると蓄えを使い果たし、私はバイト情報を頼りに仕事をせざるを得ませんでした。最初の仕事は年末年始に限定のクロネコヤマトの宅配でした。バイト情報によれば、小包一個配れば100円、1日2万円が可能であるというのです。1日に200個配れば2万円、これはいけると私は思い、車持ち込みで応募したのです。しかし、結果は散々でした。最初の1日の成果は何と配れた数は5個だったのです。それから4年間、生活のために、家族を養う責任を果たすために、それこそ何でも応募して仕事をしたものです。この時の辛い体験は私にとって貴重な教訓となりましたね。

私共は、この時の弟子たちと同じように、やってもやっても成果が上がらない、自分は何をやっているのか、そういう徒労感を味わうことがあると思います。牧師だって、教会だってそういう時があるのではありませんか。主イエスの御命令に従って事を為しているつもりなのだけれど、少しも成果が上がらない。そういうことがあるのです。主イエスはどうして事を起こしてくださらないのか。そう呟きたくなることだってある。

するとどうでしょう、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れるはずだ。」と、岸辺に立つ主イエスが、沖合の漁をする弟子達に指示されたのです。そして、彼らが言われた通りにやってみると、何と大漁だったというのです。「そこで、網を打ってみると、魚があまりに多くて、もはや網を引き上げることができなかった。」それは弟子達にとっては驚きを超えた感動的瞬間だったでしょう。主イエスは、彼らの置かれた状況を全てご存じであり、彼らの心境がどれほど惨めであるかもご存じだったのです。

今日私たちは覚えようではありませんか。復活の主イエスは、ペテロと弟子達にガリラヤ湖でなされたことを、私にもあなたにも為してくださることです。復活された主イエスは、今朝、あなたの仕事、あなたの働き、あなたの現実の生活に深い関心を寄せておられます。岸辺に立つ方が主イエスであることを、船上の弟子達はそれとは気づかなかったように、私たちも私たちに深い関心を寄せて見ておられる主イエスに、それとは気がついていないかもしれません。しかし私たちがどんな状況にあっても、主イエスは私共のすべてを見ておられるのです。どんな仕事、職種であれ、あなたは神様から派遣されて、その働きについているのであると聖書は教えています。仕事だけではありません。復活された主イエスは、今朝、あなたの福音を述べ伝える証しの働きにも深い関心を寄せておられます。そして、その使命課題を首尾よく達成できるようにと、助け導いてくださるお方なのです。そのみ声に耳を傾けようではありませんか。

II. 会いに行こっか

その時です、驚異的な大漁を経験したその時です、「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。」のです。「イエスの愛しておられたあの弟子」とは、この福音書を書いたヨハネのことです。ヨハネは非常に洞察力の鋭い持ち主でした。岸辺に立ち、語りかけ、指示する見知らぬよそ者が、主イエスであることを瞬時に察知することが彼にはできたのです。彼らが次に取った行動は、直ちに主イエスに会いに行くことでした。ペテロはどうしたでしょうか。7節によれば「シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。」ヨハネが洞察の人なら、ペテロは機敏な決断と行動の人でした。ペテロは大漁の網を引いて船で岸に辿り着くのを待つことができません。彼は湖にざんぶと飛び込み泳いで、しかも服を纏ってイエスに会いに行こうとしたのです。何も飛び込まなくたって、舟で岸に向かっても、そんなに時間は違わないでしょう。それに、主イエスの前に出るからと上着を着て飛び込むというのは、泳ぎづらいし、上着だってずぶ濡れです。冷静に見れば、間の抜けた愚かな行為です。しかし、ここには熱があります。ただの馬鹿ではない。熱い馬鹿です。主イエスに対する熱い愛によって突き動かされた愚かな行為です。私はこれが美しいと思うのです。この熱い愚かさこそ、ペトロが一番弟子であった理由です。この熱い愚かさこそ、キリストの教会に脈々と受け継がれているものなのではないでしょうか。

14節によれば、「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。」とあります。一度目は復活の日曜夕方です。二度目は一週間後の日曜夕方です。私は想像するのですが、三度目のこのガリラヤ湖の再会もまた日曜、しかもその早朝ではなかったかと思うのです。それまでは、ユダヤ人たちは土曜日を安息日として守るのが習慣でした。しかし、キリスト教会は、キリストが日曜早朝に復活されたのを記念し、日曜を安息日とし、日曜に礼拝することを新しい習慣とするようになって行くのです。日曜日を聖別し、何故、教会の礼拝に我々は集まるのですか。それは、ただ一つの目的のためです。復活の主イエス・キリストにお会いするためです。主イエスを礼拝するためなのです。21章の1節に「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちにご自身を現された。」とあります。「また弟子たちにご自身を現された」この「また」とは繰り返し、繰り返し、復活の主は私たちに現れてくださるという意味です。一度主は顕現され、二度現れ、そして今また三度、彼らに現れてくださいました。日曜に私たちが礼拝を守るのは、復活され現れてくださる主に幾たびも、それこそ幾たびもお会いするためなのです。

ご覧ください。7人の弟子達は、魚で満ち溢れる網を引いて、岸に立たれるイエスに会いに行こうとしています。網の象徴的な意味は教会です。夥しい魚が獲れたのに網は破れていなかったと語られています。それは、全世界のどれほど多種多様な大勢の人々が救われても、決して破れることのない公同の唯一の教会を表しているのです。覚えてください。日曜日の度毎に、それこそ全世界の数十億のキリスト者が、3人に一人の割合のクリスチャンたちが、主イエスにお会いするために、24時間、時間と場所を異にしつつ、礼拝に集まっているのです。

11節によるとペテロが引き上げた網の中の獲れた魚の数が、153匹、しかも大きな魚ばかりだったと報告されています。なぜ大雑把に「沢山の」とか「150匹ほど」とヨハネは書かなかったのでしょう。より具体的に数字を示すことで、読む人に印象付けようとしたのでしょうか。それにしてもこの153という数字は非常にユニークな数なのです。153をバラバラに1、5、3の数とし、それぞれを 3 乗した合計(1の 3乗は1、5の 3乗は125、3の 3乗は27)が不思議と153となるのです。そればかりではありません。

153とは、1〜17の自然数を加算した合計なのですね。1〜10の合計はご存じでしょう。そうです、55です。そのようにして1から17までを加算すると、何とこれが153なのです。昔、神学者のアウグスチヌスが、この17は10と7を足した数字である、10も7も完全数である、この10は律法を象徴し、7は恵を象徴していると解釈したことがよく知られています。このアウグスチヌスの解釈を拝借すれば、私たちが日曜日のこの礼拝に集まるイメージが浮かび上がって来るのではありませんか。私たちはあの律法の十戒に照らし合わせば、皆恐るべき罪人なのです。殺すな、盗むな、姦淫するな、偽るな、貪るな。一つでも破れば全部破ったも同然です。裁かれて滅びる他ない者でした。しかし、十字架にイエス・キリストが身代わりとなり、私たちの罪を全部引き受け裁かれたので、神の恵と憐れみによって、私たちは皆、罪赦され救われた者なのです。あの7人の弟子達が153匹の魚で一杯の網を引いて、復活の主イエスに会いに行くその姿は、恵みにより罪赦されて感謝でいっぱいの私たちの姿そのものでありませんか。

そればかりではありません。1〜17の自然数が加算されて153になるということは、人間一人ひとりが大きな存在であり、個人として尊重されるべきことを意味しているとも言えないでしょうか。17まで1というおなじ数字を並べて加算して17ではありません。1から17まで全部違う値の数字を並べて加算されるのです。すると17が153という大きな数字になります。私たちの教会の数を、一人を1と単純に計算すれば、本当に少ない小さな小さな教会でしかありません。少子高齢化、コロナのパンデミックの影響で、数的には一向に増えたようには見えませんね。それにもかかわらず、単純な足し算的な計算ではなく、教会は神様の目には掛け算的な出来事を意味しているのではありませんか。イザヤ43章4節に言われている通りです。「あなたは私の目に貴く、重んじられる。私はあなたを愛する」と、神様から一人一人がかけがいのない貴重な存在であり、神様から愛されていると言われる。そうなのです。私たちは今日も、恵によって罪赦された者、神に重んじられ愛されている者として、世界中のすべてのキリスト者と共に、この日曜の安息日に、ただ主イエスに、復活され生きておられる主に、お会いするため礼拝に集まっているのです。

III. 食べに行こっか

あの7人の弟子達が、153匹の魚でいっぱいの網を、船で引きつつ近づいた湖の岸辺に待っていたのは、主イエスによって準備された朝食でした。「ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚が載せてあり、パンもあった。」(21:8、9)そうなのです。炭火が起こされ直ぐにも食べられるように焼き魚が用意されていたのです。魚ばかりかパンも用意されていたのです。「人から言われて嬉しい言葉」があるとすれば、その時代や男性、女性によって随分違うかも知れません。まだ若い頃、「嬉しい言葉」として覚えているのがあります。その一つは、タクシーの運転手さんなら、「お釣りはいらんよ、取っておきたまえ」であったと思います。そして、そのうちの一つが「ご飯ですよ」だったと思い出すのです。復活された主は、一晩中、魚を捕る漁に汗してお腹のすききった弟子達に「さあ、来て、朝の食事をしなさい。」と声をかけられました。

今日、この14日の礼拝会後に、婦人達のマリア会、それに男性達のヨシュア会が、それぞれ、どこかのレストランに集合して昼食会をすることが予定されていますね。どこで何を食べるにしても、テーブルを一つに囲んで、共に食事をいただくことは、誠に喜ばしい楽しいことではありませんか。パンデミックの数年間は、教会のテーブルには冷たく「黙食」というラベルが置かれてましたが、今日は心配しないで大いに語り合って食べてください。ガリラヤ湖で魚を一晩漁って不漁であった弟子達には、本当なら朝ご飯は当たらなかったはずです。しかし、その日、その朝は、復活された主イエスがシェフとなり、美味しそうな朝食を準備しておられたのです。

使徒ペテロは、余程この湖畔で主が用意された朝食が印象的だったのでしょう。彼がローマの100人隊長の家で説教した時に、語っている箇所が使徒行伝10章39〜41節に残されていますね。「私たちは、イエスがユダヤの地方とエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木に掛けて殺しましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活された後、食事を共にした私たちに対してです。」このようにペテロは証言しています。弟子たちが、イエスの差し出すパンと魚を食べた時、主の復活は、まさに腹の底に落ちた体験となったのです。主の復活は、弟子の心の中に起こった心理現象のようなものではありません。覚えておきましょう。今日でも、兄弟姉妹達が、主にあって食事を共にすることは、復活の主にお会いする経験につながるものであるということです。月に一回ですが、第一礼拝で執行される聖餐式は、これもまた、イエスの死と復活を、腹の底で味わう機会として与えられたものであります。更にまた、主にあって一緒に食事をすることは、私たちが主の再臨に伴い、新しい身体を与えられて復活する際に、天上で催される大祝賀会の前味を味わっているということなのです。あの5000人の給食の時にも、主イエスは、パンと魚を裂いて群衆に分ち与えられました。このガリラヤ湖畔の岸辺でも、主は7人の弟子達にパンを与え、焼き魚を分け与えられました。来るべき未来に私たちが預かる天国では、主ご自身がシェフとなり最上のお食事で、信じた者たちをもてなしてくださることでしょう。主は言われました。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネ6:35)そうです。主ご自身が私の糧なのです。

今週も、自分に与えられている仕事を主が派遣された働きと受け止め、「さあ働きに行こっか」と職場に向かってください。次の日曜日の礼拝にも、主の恵みの証しを携えて、復活の主イエスにお会いするため「さあ主に会いに行こっか」と出席しようではありませんか。今日の午後にも予定される昼食愛餐会を、天国の大祝賀会の前味と理解して、主にあって兄弟姉妹と互いに交わり、楽しんできてください。「さあ、働きに行こっか。さあ、主に会いに行こっか。さあ、食べに行こっか。」復活の主イエス・キリストは、私たちが行こうとする先に、両手を広げて愛のうちに準備し、恵みを与えよう待っていてくださるに違いないのです。

47日礼拝説教(詳細)

「見ずして信ずる」  ヨハネ20章19〜29節

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にはみな鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが「私たちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れなければ、私は決して信じない。」

八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。

振り返って考えて見れば、2015年3月31日に妻と私は、ウイーンから関空に到着し、4月1日より泉佐野福音教会に赴任したのですから、早くも9年が経過したということです。こうして、毎週講壇に立ち、み言葉のご奉仕をさせていただけることは大いなる光栄であり、皆様に感謝しております。

今朝は、ヨハネ20章の19節〜29節をお読み致します。今日は、聖書のこの箇所からテーマを信仰に絞ってお話しようと思います。何故なら、復活の主イエスが、弟子の一人のトマスに対して、「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。」と語られたからです。主イエス・キリストは、十字架に架けられ死んで葬られましたが、三日目に復活されました。復活されたイエスは40日間、弟子達にご自身を現され、使徒パウロは、第一コリント15章でこのように証言しています。「葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、それから十二人に現れたことです。その後、五百人以上のきょうだいたちに同時に現れました。そのうちの何人かはすでに眠りに就きましたが、大部分は今でも生きています。次いで、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたような私にまで現れました。」その証言からすれば、今日の聖書箇所の場面は、主が復活された日曜日の夕方に、12弟子達が隠れ潜んでいた家に、鍵が掛けられていたのにもかかわらず、忽然と現れた出来事のことです。主は弟子達に「あなたがたに平和があるように」と語られると、ご自身が十字架にかけられ復活したイエスであることを示すために、手と脇腹とをお見せになりました。しかしなぜか、その場に一人だけトマスがいません。そこで、彼らがトマスに会うと、私たちは主に会ったと喜び報告しましたが、トマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れなければ、私は決して信じない。」と言ってのけたというのです。すると、その一週間後のことでした。主が再び弟子達全員が隠れ潜んでいる家に現れ、しかも、今度はそこに居たトマスに「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と語られたのです。

1.見て触れ信じる

信仰、信仰と言いますが信仰とは一体何でしょうか。広辞苑は信仰を定義して「信じ尊ぶこと。宗教活動の意識的側面をいい、神聖なものに対する畏怖からよりは、親和の情から生ずると考えられ、儀礼と合間って宗教の体系を構成し、集団性及び共通性を有する」と説明しています。では「神聖なもの」と思えるなら何を信じてもいいのか。「イワシの頭も信心から」そんなはずがありません。聖書で信仰という場合には、それは一貫して、唯一の真の神の確かさへの信頼なのです。アメリカを旅行した際に、アメリカ・ドルの最小単位の1セント硬貨に「In God We Trust」と刻まれていたのが非常に印象的でした。「私たちは神を信頼します」これが信仰です。

では、弟子のトマスの信仰はどういう信仰でしょうか。一言で言い表すならば、それは「見て触れ信じる信仰」でした。トマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れなければ、私は決して信じない。」とはっきり断言しました。これは、社会科学・人文科学・自然科学の領域の方法論で言われる実証主義のようなものです。科学では、実験や統計によって証明することができない現象などは、学問の範疇から外すべきだという主張です。弟子のトマスは、他の弟子達が「確かに私たちは復活の主に会った」と言われても、断固として信じようとしません。自分のこの目で確かめ、自分のこの手で触って確認するまでは、絶対に信じることなど出来ないと、言い張ったのです。これは何もトマスだけが、懐疑的で悲観的で不信仰であるという訳では決してありません。トマスは、罪によって堕落し、神への信頼を失った疑い深い人間である私たちを、ここで代表しているだけです。

しかしながら「見て触れる信仰」には限界があるのです。自分の視覚、聴覚、嗅覚、触覚などの感覚に基づく信仰には問題があります。ヨハネ2章23節をご覧ください。「過越祭の間、イエスがエルサレムにおられたとき、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。」その字面だけを見れば、これは喜ばしい現象ではありませんか。主のなされた奇跡を見て大勢が信じたというのですから。しかしながら、次の24節を読むと、決してそうは言えないのです。「しかし、イエスご自身は、彼らを信用されなかった。それは、すべての人を知っておられた」からです。人々はイエスを信じたが、主は人々を信用しなかったのです。それは、見て触れる信仰、感覚に基づく信仰は、往々にしてその人自身の願望が中心であって、必ずしも主が与えようとされる本質的な救いとは、食い違ってしまうからなのです。

ヨハネ6章の5千人の給食の奇跡がその典型です。主は僅か5つのパンと 2 匹の魚で5千人を満腹にさせることがおできになりました。飢えた腹を満腹にされた群衆の反応を見てください。15節にこう記録されています。「イエスは、人々が来て、自分を王とするために連れて行こうとしているのを知り、独りでまた山に退かれた。」人々はパンの奇跡を見て、パンを食べて、この方を大統領に立てれば、経済を安定させ、自分たちの生活を楽にしてくれるに違いない、そう考えたのです。それは主のなされたパンの奇跡の目的から全くズレた結論です。そのような自分の願望中心の見て触れ信じる信仰は、自分の望み通りにならず、主イエスを利用できないと分かれば、さっさと離れていくような信仰なのです。

.見て聞き信じる

それでも、覚えてください。主は人が見て信じることを決して否定されたのではありません。日曜日の夕方、弟子達に主は現れ、「手と脇腹とをお見せになった」からです。手とは十字架に釘付けられた傷ついた手です。脇腹とは十字架でローマ兵により槍で突き刺されて傷ついた脇腹です。十字架の手の釘跡、脇腹の槍の傷跡を、主は弟子達にはっきりと提示なされました。そして弟子達は、それを見て喜び、信じたのです。主は疑うトマスに「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。」と言われます。見ることを触れることを肯定されます。その上で「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と勧告されたのです。じっくりと目で確認し、しっかりと手で触り、その上で信じなさいと言われたのです。

復活を物語る20章全体に、「見る」という言葉を数えて見れば、12回も繰り返されていることが分かります。マグダラのマリアについては1節、12節、14節、18節に使われています。二人の弟子、ペテロとヨハネについては、5、6、8節に使われています。鍵の掛けられた家での主の顕現では、20節、25節、27節、29節に4回繰り返されます。トマスに限って言えば、彼の場合には、目で見るだけではなく、手で触れることができなければ、絶対信じられないと言うのです。それは、どこまでも人間の感覚に依存した認識の仕方そのものです。

それが決して悪いものであると言うことではありません。何故なら主ご自身、現れてご自分の「手と脇腹とをお見せになった」からです。実は弟子達もそれを見て信じたのです。30節には、「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物には書かれていない。」とヨハネは自分の書き表した福音書を説明しています。しるしとはキリストのなされた奇跡のことです。それでもヨハネは、この福音書に7つだけ奇跡を選択して記載しており、しかも奇跡とは言わずに「しるし」と呼びました。何故なら、主イエスがなされたすべての奇跡は、その奇跡が指し示す意味に重要さがあるからです。第一の奇跡は2章のカナの婚礼で、主が水を葡萄酒に変えた奇跡です。それはイエスが質を支配される方であることを指し示すしるしだったのです。第二は空間を、第三は時間を、第四は量を、第五は自然法則を、第六は不幸を、第七はラザロの死からの復活であり、イエスが死を支配される方であることを指し示すしるしでした。

その意味から言えば、神の子が処女マリアから人間の形をとり生まれ現れたこと自体が奇跡でありしるしです。ヨハネは1章14節に「言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た」と言いました。「肉となった」とは、人が見ることのできる、触ることのできる人間となったということです。 それは、人が目で見て、それによって信仰を得ることが、目に見えない神を見える人間の形で啓示することによって、人を救おうとされる神様の御計画であるからです。2000年前の初代の教会の基礎は、人間となり見える形で啓示された神を、目で見て、手で触って信じる信仰によって確立されたということができます。それは、最初の主の弟子達が、歴史的時間と空間において、人間となられた神であるイエス・キリストを、見て触る歴史的な目撃者となり、証人として立つためだったのです。

この福音書を書いた同じヨハネの手紙である、第一ヨハネ1章に、彼はこう書くのです。

「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、 目で見たもの、よく見て、手で触れたもの、すなわち、命の言について。この命は現れました。御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです」ヨハネはここで「私たちが目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」と言って全く憚(はばか)りません。この所の文語訳が私は好きですね。「つらつら視て手觸りし所のもの」そうです。穴の開くほど、つくづく熟視し観察したというのです。それだから自分たちはキリストの目撃者として証言するのだとヨハネはここで言うのです。事物の証明をする科学的方法の一つは、繰り返される実験によって実証することです。同じ結果が出るなら間違いないと証明される方法です。

教団の機関誌「アッセンブリー」4月号の4頁の「復活と科学」で、仁井田牧師が、素粒子のニュートリノを取り上げられましたね。1930年にオーストリアの物理学者パウリが世界で初めて理論として提唱し、その理論が1956年にアメリカの物理学者ライネスによって発見され確認される。更に1987年、日本で研究グループが、16万光年かなたの超新星1987A からやってきたニュートリノを捕まえることに成功します。そして天文学者でもある小柴雅俊が、史上初めて太陽系外で発生したニュートリノの観測に成功し、2002年にノーベル物理学賞を受賞している。2015年には東大の宇宙線研究所長の梶田隆章が、ニュートリノが粒子であり質量を持っていることを証明してノーベル物理学賞を受賞している。この粒子が質量を持つ物質である、にも関わらず物質である地球を何の妨げもなく通過していることが判明し「物質は物質を通過できない」という考えを覆した。であるならば、キリストが鍵のかかった部屋の壁を素通りして中に入って来られたことは疑う余地は全くありません、と仁井田牧師は語っておられるのですね。科学では理論を提唱しても、実験によって実証されなければ、その存在は証明されたことにはならないのです。

しかし、歴史的な出来事の証明は、科学的証明の仕方とは全く違くのです。歴史的出来事は一回性であり反復実験することができないのです。ではその証明方法は何かといえば、法律的であり、それは残された証拠と目撃証言による方法です。信頼できる複数の人々の証言が一致するときに、それは事実であったと証明される有力な手がかりとされます。使徒ヨハネが「御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです」と言うときそれは、自分は裁判所の法廷で証言する証人のような立場で語っていると言っているのです。

しかし、ここでしっかり確認しなければならないことは、神の確かさを信頼する信仰にとって、重要不可欠な要素は、見て触ることに加えて神の言葉に聞くことにあった、と言うことです。ヨハネは1章1節の最初に、目で見る、手で触るに先立ち、こう語るのです。「初めからあったもの、私たちが聞いたもの」そうです。信仰はキリストの語られた言葉が決定的なのです。キリストの言葉が優先するのです。使徒パウロもローマ10章17節で確言しています。「信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉によって起こるのです。」

私はこの言葉を聞くとき、あの主イエスの言葉を聞いて信じた感動的な人物のことが、ルカ7章に記録されいるのを思い出します。そうです。ローマ兵の百人隊長の信仰のことです。彼の名前は分かっていません。ユダヤ人ではありません。異邦人、しかもユダヤを占領したローマ兵の隊長です。イエスがカペナウムの街に戻られると、そこに、ユダヤ人の長老達が、隊長の使いとして訪ね、隊長の僕が病気で死にかけているから、助けに来てくれるように熱心にイエスに頼んだのです。そこでイエスは心動かされ彼らと一緒に出かけるのですが、そこに隊長の友人が使いによこされ、イエスに来ていただくには及ばないこと、ただ、「お言葉をください」と伝えたというのです。それは軍隊の権威ある立場にあった隊長として、配下にある兵士たちが、彼の命令する言葉には絶対服従するという理解に基づくお願いでした。権威ある言葉の力の理解でした。イエスはこれを聞かれると驚き、こう言われました。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、これほどの信仰は見たことがない」そして僕は癒やされたと言うのです。これは典型的な「キリストの言葉によって起こる」信仰の例です。初代教会は、神の人類救済のために、御子が人となり十字架に贖いの業を成就されたことの目撃者として、人間となられたイエスを目で見て信じることが求められました。そして、その信仰は、キリストの語られた言葉によって裏打ちされた信仰であったのです。

.見ずして信じる

しかしながら、私たちは今日、ここに全く新しい時代が、トマス以後に到来したことを知らされるのです。それは、見て触れ信じる信仰でもなく、見て聞いて信じる信仰でもなく、見ずして信じる信仰の時代が到来しているということです。弟子のトマスは、主の差し出された手に指を当て、主の脇腹に手を差し入れたとは思われません。トマスは、主の突然の顕現とその語りかけに圧倒され、ただただ率直に心の深みからその信仰を「私の主、私の神よ」と告白しました。それは見て触れる信仰の最後であったのです。

復活されたキリストが、それからご自身を何人かに現されたのは、僅かに40日間です。それから主はオリーブ山から弟子達の見ている前で、雲に包まれ昇天されました。それ以後、キリストが復活の体をもって人にご自身を現されることは、再び世の終わりに来臨されるまでは、絶対にありません。それ以後、見て振れる信仰、見て聞く信仰ではなく、今や「見ずして信じる信仰」の時代なのです。

主はトマスにこう言われました。「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。」見ずして信じることが、そもそも果たして可能でしょうか。見て確かめることも、触って感覚的に確認することも、証拠を吟味して実証することもなしに、目に見えない神の確かさに信頼することなど、果たしてできるのでしょうか。目では見ることのできない神をどうして信じられますか。キリストが十字架で死んで墓に埋葬されたというのに、死人が蘇ることなど、どうして信じられるでしょうか。

それは、イエスを主と信じたクリスチャンの共同体である、キリストの教会が神の言葉を語るときにのみ、可能となることです。復活の主が21節で「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」と言われたのは、その意味なのです。キリストが弟子達をこの世に遣わすとは、彼らが遣わされて人々に神の言葉を語る、宣教することであります。

彼らが語る神の言葉を聞いた人々が、見ずして信じる信仰、神の確かさに信頼する信仰を、どうして持つことができるかといえば、それは、弟子達が聖霊に満たされるからなのです。主イエスは彼らに息を吹きかけて言われました。「聖霊を受けなさい。」これは、天地創造における人間創造を彷彿とさせるものです。創世記2章によれば、主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれました。それによって、人はこうして生きる者となったと言われています。イエス・キリストによって、息を吹き込まれたこと、それは弟子達が聖霊に満たされることを意味し、聖霊に満たされた弟子達は、新しく造られた者とされるのです。その弟子達が、聖霊に満たされて神の言葉を語るときに、聞いた人々に、神の確かさへの生きた信仰が生み出されることになるのです。

主が23節で「誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」と語られた意味は何でしょうか。これは、教会に対して、人の運命に関わる重大判決を下させる宗教裁判権を与えられたということでは全くありません。教会が人々に語る福音メッセージの中心は、十字架の贖いによる罪の赦しであります。キリストが私たち人間の罪責の全てを引き受け、身代わりに犠牲となられたので、信じる人の罪は全て赦され、神との和解が成立することこそ、福音のメッセージの中心です。教会が、クリスチャンが、説教者が、罪の赦しの福音を語るのを聞くことによって、信じた人は赦されるのです。救われるのです。その逆に、教会が罪の赦しの福音を解き明かしても、心を頑なにして拒むのであれば、その結果、その人自身の罪の赦しは留保され、赦されないまま残り、神との和解は成り立たず、滅びることになります。そういうことです。

教会は聖霊に満たされて、罪の赦しの福音を語らねばなりません。人が誰でも、それを受け入れれば赦され救われます。拒絶すれば、その人自身の責任において、赦されず救われず、永遠に滅びることになります。今日は、月の第一主日礼拝日ですから、この後に続けて聖餐式を執行する予定です。皆さんにお配りするパンと盃は、主が最後の晩餐、十字架直前に弟子達と過越の食事を摂られた際に、聖定された聖礼典であり、それによって、罪の赦しを確認させていただく恵みの儀礼です。パンは十字架上で裂かれたキリストの み体を象徴し、盃の葡萄液は、キリストの罪の赦しのために流された血潮を象徴するものです。キリストはあなたの罪の赦しのために、十字架上で犠牲となり神の裁きを受けられました。それが自分のためであったことを信じられる人は、この聖餐式に是非預かってください。

キリストの復活を簡単に信じることのできなかった弟子のトマスは、神の確かさに信頼することのできない私たちを代表しています。見なければ信じられない。触らなければ信じない。生まれながらの私たちには、神の確かさなど信頼できるものではありません。しかし、今日、神の言葉の説教を聞いて、ただ聞いて、信じてみよう、信じられる、そう思われる方は、その信仰の告白のつもりで、パンを食べ、葡萄液をいただいてください。そして「主イエス様、あなたを私の心にお迎えします。」と祈ってください。中には、礼拝を随分休んでいて、信仰が弱まり、神がおられることも、信頼することもほとんどできなくなっている兄弟姉妹がおられるかもしれません。主は言われます。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」そして、主はあなたに信仰を賜物として、今一度与えてくださるに違いありません。感謝して受け止めようではありませんか。「見ないで信じる人は、幸いである。」