11月24日礼拝説教

  「クジ心理と摂理」  エステル記3章7〜15

3:7アハシュエロス王の第十二年の正月すなわちニサンの月に、ハマンの前で、十二月すなわちアダルの月まで、一日一日のため、一月一月のために、プルすなわちくじを投げさせた。

3:8そしてハマンはアハシュエロス王に言った、「お国の各州にいる諸民のうちに、散らされて、別れ別れになっている一つの民がいます。その法律は他のすべての民のものと異なり、また彼らは王の法律を守りません。それゆえ彼らを許しておくことは王のためになりません。

3:9もし王がよしとされるならば、彼らを滅ぼせと詔をお書きください。そうすればわたしは王の事をつかさどる者たちの手に銀一万タラントを量りわたして、王の金庫に入れさせましょう」。

3:10そこで王は手から指輪をはずし、アガグびとハンメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンにわたした。

3:11そして王はハマンに言った、「その銀はあなたに与える。その民もまたあなたに与えるから、よいと思うようにしなさい」。

3:12そこで正月の十三日に王の書記官が召し集められ、王の総督、各州の知事および諸民のつかさたちにハマンが命じたことをことごとく書きしるした。すなわち各州に送るものにはその文字を用い、諸民に送るものにはその言語を用い、おのおのアハシュエロス王の名をもってそれを書き、王の指輪をもってそれに印を押した。
3:13そして急使をもってその書を王の諸州に送り、十二月すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちにすべてのユダヤ人を、若い者、老いた者、子供、女の別なく、ことごとく滅ぼし、殺し、絶やし、かつその貨財を奪い取れと命じた。
3:14この文書の写しを詔として各州に伝え、すべての民に公示して、その日のために備えさせようとした。
3:15急使は王の命令により急いで出ていった。この詔は首都スサで発布された。時に王とハマンは座して酒を飲んでいたが、スサの都はあわて惑った。 

 ペルシャ帝国の宰相に抜擢されたハマンは、最敬礼を拒んだモルデカイに激怒しクジでユダヤ人絶滅の日取りを確定、狡猾に王の許諾を求めますそれは、王に偽の情報を流し、「滅ぼせ」と「奴隷とせよ」が同音異義語であるのを百も承知で処分程度を誤解させその費用を自己資金で賄うかに見せかける巧妙な手口でした

このハマンのユダヤ人絶滅の構図には隠れた事実があります神がアブラハムを選びイスラエルを神の民とされたのは罪により堕落した人類を救済する計画のためですその民の絶滅企画の背後にあるのは神と人の敵であるサタンですハマンはその意味で反キリストの雛形です

救い主イエス・キリストが再び来臨される前に世界を統合する反キリストが出現することが新約聖書(テサロニケ下2:3)に予告されています私たちは世界の動向に目を覚ましているべきです

ハマンがその絶滅の日取りをニサンの月の13日に全国に発布するや暗雲がたなびきますところがその暗黒に光明が輝きます。その翌日14日が実はユダヤ人の祝祭である過越祭でした

神が民をエジプトの奴隷から解放された歴史を追体験する喜ばしき日だったので。民をかつて解放された主なる神は生きておられます。そればかりか、後に御子イエスが12弟子と最後の晩餐を共にしたのも14日でした。そのイエスの道行きには罪の赦しの十字架がありました。

ハマンがクジで絶滅の日を一年後のアダルの月の13日と確定したことをすら主は支配されたのです。クジが引かれ後戻りはできないかのようです。しかし、主は摂理の神、その計画を実行するために万事を配剤される主権者です。

この絶滅計画に先立ち、王宮にエステルが王妃として選ばれていたことも神の摂理的配剤なのです。エステルのその後の宮廷での驚くばかりの活躍に私たちは今後注視することにしましょう。

主に信頼する人生はクジ引き人生、偶然の人生、出鱈目(でたらめ)人生ではありません。神の摂理の内を歩む確かな人生なのです。危機的な状況に追い込まれるようなことがあっても摂理の神の御手は差し伸べられているのです。 

11月17日礼拝説教

  「決断の時と動機」  エステル記3章1〜6

 3:1これらの事の後、アハシュエロス王はアガグびとハンメダタの子ハマンを重んじ、これを昇進させて、自分と共にいるすべての大臣たちの上にその席を定めさせた。

3:2王の門の内にいる王の侍臣たちは皆ひざまずいてハマンに敬礼した。これは王が彼についてこうすることを命じたからである。

しかしモルデカイはひざまずかず、また敬礼しなかった。

3:3そこで王の門にいる王の侍臣たちはモルデカイにむかって、「あなたはどうして王の命令にそむくのか」と言った。

3:4彼らは毎日モルデカイにこう言うけれども聞きいれなかったので、その事がゆるされるかどうかを見ようと、これをハマンに告げた。

なぜならモルデカイはすでに自分のユダヤ人であることを彼らに語ったからである。

3:5ハマンはモルデカイのひざまずかず、また自分に敬礼しないのを見て怒りに満たされたが、

3:6ただモルデカイだけを殺すことを潔しとしなかった。

彼らがモルデカイの属する民をハマンに知らせたので、ハマンはアハシュエロスの国のうちにいるすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの属する民をことごとく滅ぼそうと図った。

 ここに登場するペルシャ王、モルデカイ、ハマンの共通点は決断です。

王がハマンの総理大臣昇進を決断した動機は傾いた帝国再建のためでしょう。

しかしながら、前後から分かることは、この帝王が計算に弱いことを示します。彼は熟慮せず側近の言いなりになる器でした。

使徒パウロは告白して言いました、「わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった(ピリピ3:7)」パウロはキリストのゆえに物事の損益を計算しました。キリストを標準にして何事も熟慮決断したいものです。

モルデカイはその直後、ハマンに対して最敬礼する王命があったにもかかわらず拒否を決断します。これはハマンに即知れることとなり、ハマンは激怒し重大な決断を下します。

不埒な下級公務員モルデカイの殺害で飽き足らず、その属する民族の絶滅を決意します。その決断の動機は単に彼の不敬に対する怒りに留まらず、どうやら歴史的、民族的な因縁が絡んでいたようです。

ハマンの先祖はアマレク人、モルデカイはイスラエルのベニヤミン族出身です。私たちはサムエル上15章のサウル王とアマレク王アガグとの故事を知る時に、ハマンがユダヤ人に根深い怨念を抱いていたことが分かります。

聖書には「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」と勧告されます。

ハマンを反面教師とし、決断に怒りが動機とならぬよう警戒が必要です。

モルデカイの非暴力不服従の決断は民族絶滅の危機を招来させます。その決断の動機は彼のユダヤ人意識にありました。パウロは後に「ユダヤ人のすぐれている点は何か。まず第一に、神の言が彼らに委ねられたことである(ロマ3:1」と言い切ります。モルデカイの決断動機は委ねられている神の言葉に対する責任感でした。彼は高慢なハマンへの敬礼が偶像礼拝に匹敵すると判断したのです。

聖書は現代のユダヤ人がクリスチャンであるとローマ2:29で教えます。

現代の神の言葉が委託された隠れたユダヤ人として、物事に責任ある決断をしたいものです。 

11月10日礼拝説教

  「恩讐の果てには」   エステル記2章19〜23節

2:19二度目に処女たちが集められたとき、モルデカイは王の門にすわっていた。

2:20エステルはモルデカイが命じたように、まだ自分の同族のことをも自分の民のことをも人に知らせなかった。エステルはモルデカイの言葉に従うこと、彼に養い育てられた時と少しも変らなかった。

2:21そのころ、モルデカイが王の門にすわっていた時、王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタンとテレシのふたりが怒りのあまりアハシュエロス王を殺そうとねらっていたが

2:22その事がモルデカイに知れたので、彼はこれを王妃エステルに告げ、エステルはこれをモルデカイの名をもって王に告げた。

2:23その事が調べられて、それに相違ないことがあらわれたので、彼らふたりは木にかけられた。この事は王の前で日誌の書にかきしるされた。

 大分県の青の洞門の史実を題材にした菊池寛の小説題「恩讐の彼方に」は、色々な感情を乗り越えた後の現在という意味で使われるフレーズです。

ペルシャ王暗殺未遂事件のこの箇所は、恩讐の人間絵模様です。二人の侍従が暗殺を目論むのは絶対君主への凄まじい怨念です。

サラミス海戦で国費と兵を消耗した挙句に、美女狩りに現(うつつ)を抜かす王に対する国民の憤りを彼らが代表していたのかもしれません。しかし、その計画は漏洩し彼らは処刑されます。法の違反に対して法的な処罰で対処することは社会秩序維持には当然です。他人から酷い仕打ちを受け、辛辣な罵声を浴びるとリベンジしたくなるのは人の常です。

しかし、聖書は個人的な怨讐、復讐を抑制し、「自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい(ロマ13:19)」と勧告します。「復讐はわたしのすることである」と神が約束されるからです。一方でエステルの養父モルデカイに対する態度は、恩恵に生きる美しい模範です。

両親に幼少に死別したエステルは養父の温情に誠実に報います。自分の同族を他人に明かすなとの養父の命令を彼女は遵守します。その理由は憶測の域を出ませんが、異教徒の中での安全確保のためでしょう。

しかしながら物語の展開で分かることで、やがて身元を明らかにする機会が到来するや、それによって危機に晒されていた同族ユダヤ人が救われることになります。

地の塩として証しが期待されるキリスト者が、自分の信仰的立場を地域社会でどのように表明するべきか、それは各自が祈り主の前に知恵を頂く必要があることでしょう。

あの侍従の暗殺計画を察知したモルデカイの通告によって危機一髪難を免れた王が、その事件を宮廷日誌に記録させながら、モルデカイの功労に報いた形跡が無いのは不可解です。うっかりミスでしょうか。しかしながら、今後の物語の動向を見ると分かることですが、このうっかりミスさえも重大な展開の伏線になっていたのです。

神は万事を益となされます。倦まず弛まず責任を果たしていきましょう。

11月3日礼拝説教

   「日常変える非日常」   エステル記2章12〜18節

2:12おとめたちはおのおの婦人のための規定にしたがって十二か月を経て後、順番にアハシュエロス王の所へ行くのであった。

これは彼らの化粧の期間として、没薬の油を用いること六か月、香料および婦人の化粧に使う品々を用いること六か月が定められていたからである。

2:13こうしておとめは王の所へ行くのであった。そしておとめが婦人の居室を出て王宮へ行く時には、すべてその望む物が与えられた。

2:14そして夕方行って、あくる朝第二の婦人の居室に帰り、そばめたちをつかさどる王の侍従シャシガズの管理に移された。王がその女を喜び、名ざして召すのでなければ、再び王の所へ行くことはなかった。

2:15さてモルデカイのおじアビハイルの娘、すなわちモルデカイが引きとって自分の娘としたエステルが王の所へ行く順番となったが、彼女は婦人をつかさどる王の侍従ヘガイが勧めた物のほか何をも求めなかった。
エステルはすべて彼女を見る者に喜ばれた。
2:16エステルがアハシュエロス王に召されて王宮へ行ったのは、その治世の第七年の十月、すなわちテベテの月であった。
2:17王はすべての婦人にまさってエステルを愛したので、彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。王はついに王妃の冠を彼女の頭にいただかせ、ワシテに代って王妃とした。
2:18そして王は大いなる酒宴を催して、すべての大臣と侍臣をもてなした。エステルの酒宴がこれである。また諸州に免税を行い、王の大きな度量にしたがって贈り物を与えた。

 ペルシャ王がエステルを王妃に選んだその祝いの宴は「エステルの酒宴がこれである」と特筆されます。たかだか10章の短編に「酒宴」が通算10回も記録されたことには特異な意図が感じられます

スサの王宮のハーレムでは多数の王妃候補の乙女たちが1年かけ化粧準備し王との接見に備えます。どの乙女も美しく見せるため宝物蔵の宝石、衣装を好きなだけ身に付ける許可が与えられましたが、エステルは慎ましく身備えをし、結果的に王の寵愛を得たのはエステルでした。

顔立ち姿も美しいエステルでしたが、その心の内なる美しさが際立ったものと思われます。

エステルは両親と死別すると養女となり、美女狩りの網に掛かれば後宮に連れ行かれ、自分の同族について沈黙を養父モルデカイに厳命されれば守り通す、その生き方には一貫した神への従順の精神が光ります。

このエステルを王妃と選抜したアハシュエロス王の動機は彼女に対する愛でした(17)。 ここに透かし見えてくるのは神の愛です神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった(ヨハネ3:16)人には愛される何か光るものがあるでしょうか。

聖書は何もない、むしろ、滅びに定められるほどに罪深いと糾弾されます。神の愛に与る唯一の徳があるとすれば、「それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」それはただ信仰なのです。

美人ではなく義人として神に受け入れられるのは、十字架のキリストの贖いを信じ受け入れる信仰です。エステルの頭上にアハシュエロス王が王妃の冠を授けたように、神は信じる私たちの頭上に義の冠を授けてくださります。

王の主催した披露宴は、エステルが王妃であるとの気づきを万民に与える非日常的な営みでした。私たちの礼拝、そして聖餐式もまたその意味で非日常的であり、特別な気づきを得させる営みです。

主イエスが最後の晩餐でパンと盃を取り「わたしを記念して行いなさい」と教会に礼典を定められたのは、これによって罪の赦しの気づきと教会がキリストの体である気づきを与えるためでした。自分をよく吟味し聖餐に与ることにしましょう。