730日礼拝説教(詳細)

「水を経て救われる」  第一ペテロ3章13〜22節

もし、善いことに熱心であるなら、誰があなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けることがあっても、あなたがたは幸いです。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはなりません。ただ、心の中でキリストを主と崇めなさい。

あなたがたの抱いている希望について説明を求める人には、いつでも弁明できるよう備えていなさい。それも、優しく、敬意をもって、正しい良心で、弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの善い振る舞いを罵る者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになります。

神の御心によるのであれば、善を行って苦しむほうが、悪を行って苦しむよりはよいのです。キリストも、正しい方でありながら、正しくない者たちのために、罪のゆえにただ一度苦しまれました。あなたがたを神のもとへ導くためです。

キリストは、肉では殺されましたが、霊では生かされたのです。こうしてキリストは、捕らわれの霊たちのところへ行って宣教されました。これらの霊は、ノアの時代に箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者たちのことです。僅か八名だけが、この箱舟に乗り込み、水を通って救われました。

この水は、洗礼を象徴するものであって、イエス・キリストの復活によって今やあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなく、正しい良心が神に対して行う誓約です。

キリストは天に昇り、天使たち、および、もろもろの権威や力を従えて、神の右におられます。

「言うまいと思えど夏の暑さかな」酷い暑さですね。気象庁は暑さの呼び方を25度以上を夏日、30度以上を真夏日、35度以上を猛暑日、40度以上を酷暑日と打ち出しています。40度以上を出したのは昨年は1ヶ所、今年は既に8箇所です。熱射病にならないよう気をつけてください。聖書をお読みします。第一ペテロ3章です。

1.水を経て救われる

聖書を読み解釈するときの大切な原則の一つは、書かれた時代背景を考慮することです。使徒ペテロがこの手紙を書いた時代は、ローマ皇帝ネロの統治前後と考えられています。その当時、キリストの教会が直面した問題は、降りかかってくる様々な患難、辛苦、試練、苦しみでした。1章6節でペテロはこう語っています。あなたは、「今しばらくの間、様々な試練に悩まなければならないかもしれません」調べてみると、このペテロの手紙には「苦しみ」という言葉が17回も繰り返されているのです。先週の説教聖書箇所ピリピ書に、30回繰り返されていた「喜び」と対照的です。今日の箇所だけでも、4回も苦しみが繰り返されています。その上で、使徒ペテロは、14節で「苦しみを受けることがあっても、あなたがたは幸いです。」と語るのです。このペテロが書き送った手紙の目的は、キリスト信者は、どのような苦しみの中にあっても、最終的にはキリストと共に勝利者になることができることを教えることでした。その教えが確かな真理であることを、ペテロはここでノアの洪水の実例を取り上げ、こう語りました。20節です。「僅か八名だけが、この箱舟に乗り込み、水を通って救われました。」そのノアの洪水物語が、創世記6〜9章にその詳細が記録されていることをご存知でしょう。その時代、悪が世に満ち溢れ、その悪が極限に達したため、神様は人類を洪水によって滅ぼそうとされました。ところが、ノアとその家族に対しては、彼らを救おうと洪水が押し寄せても助かるよう、巨大な箱舟を建造するよう命じられたのです。

ノアはその時代の人々に洪水が来ることを警告し、箱舟に入るように力の限り呼びかけましたが。誰一人応じません。やがてその日が到来し、滝のような大雨が40日40夜降り続きました。その結果、全てが洪水によって飲み尽くされ、ノアの家族8人を除いてすべて人々は滅ぼされてしまいました。ペテロは、この手紙のこの箇所において、教会の直面していた苦しみを、このノアの洪水の水に喩えたのです。水は人間の生活には必要欠くべからざる貴重なものです。しかし、時にそれは恐るべき破壊力を持つ物質でもあります。近い将来に発生することが確実視されている南海トラフ地震では、その予想被害は実に甚大で、死者が32万人、220兆円の経済損失になるだろうと予想されています。関東大震災で死者が10万人であったことを思えば、大規模な自然災害になること必至です。

しかし、覚えてください。ペテロがここで水によって象徴している教会の被る苦しみとして絞り込んでいるのは「義のために受ける苦しみ」である、ということです。その苦しみを、3章17節では「善を行って受ける苦しみ」、4章16節では「キリスト者として受ける苦しみ」、同じ19節では「神の御心による苦しみ」と言い換えられていますが、同じ意味で語っております。ただ人間の苦しみと言えば、それは無数にあるでしょう。仏教の釈迦牟尼が、人間の苦しみの総体を四苦八苦にまとめていますが、あの生老病死の苦しみのことではありません。また、苦しみは苦しみでも悪を行って受ける苦しみ苦痛でもありません。ペテロは悪による苦しみについて、4章15節ではこう厳しく勧告しています。「あなたがたのうち誰も、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。」それは人として避けるべき苦しみだからです。しかし、善を行って受ける苦しみ、義のために受ける苦しみ、それは幸いだ、と教えているのです。何故でしょうか? それはキリストにならう苦しみだからです。ペテロは、18節で「キリストも、正しい方でありながら、正しくない者たちのために、罪のゆえにただ一度苦しまれました。あなたがたを神のもとへ導くためです。」と語りました。クリスチャンとして、良いことを行い、正しいことを行い、それによって苦しむとするなら、それは幸いだと言うのです。

皆さんは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩をご存知だと思います。この詩はある一人のクリスチャンがモデルになっていると言われています。それは斎藤宗次郎という人で、岩手県花巻市で最初にクリスチャンになった人です。彼は1877年、岩手県花巻で、禅宗の寺の三男として生まれました。15歳の時、母の甥にあたる人の養子となり、斉藤家の人となります。彼は小学校の先生となるのですが、一時、国粋主義に傾きましたが、やがてふとしたきっかけで内村鑑三の著書に出会い、聖書を読むようになりました。そして1900年に信仰告白をし、洗礼を受けてクリスチャンになるのです。彼がクリスチャンになったのは、キリスト教が「耶蘇教(やそきょう)」とか、「国賊(こくぞく)」などと呼ばれていた時代のことです。クリスチャンとして生きていくことがどれほど苦しい時代であったかわかりません。洗礼を受けたその日から、彼に対する迫害が強くなりました。親からは勘当され、以後、生家には一歩たりとも入ることを禁じられてしまいます。町を歩いていると「ヤソ、ヤソ」とあざけられ、何度も石を投げられました。近所で火事が起きた時には、全然関係ないのに家の窓ガラスを割られたこともありました。いわれなき中傷を何度も受け、ついには小学校の教師を辞めさせられてしまうのです。迫害は彼だけにとどまらず、家族にまでも及んでいきました。長女の愛子ちゃんはある日、国粋主義思想が高まる中、ヤソの子供と言われて腹を蹴られ、腹膜炎を起こし、何日か後に、9歳という若さで主の御元に召されてしまいました。その葬儀の席上、賛美歌が歌われ、天国の希望のなかに平安に彼女を見送りましたが、愛する子を、このようないわれなきことで失った斉藤宗次郎の内なる心情はどのようなものであったか、察するに余りあります。彼はその後、新聞配達と牛乳配達をして生計を立てました。雪の日には、朝の仕事が終わる頃、小学校への通路の雪かきをして道を作りました。小さい子どもを見ると、抱っこして校門まで走ったと言われています。

雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく、地域の人々のために働き続けました。病気の人がいると聞きつけると、新聞配達の帰りに、病人を見舞い、励まし、慰めました。彼は、「でくのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。その宗次郎が、内村鑑三の勧めで上京することになりました。1926年、住み慣れた故郷を離れ、東京に移る日、‘誰も見送りに来てくれないだろう’と思って駅に行くと、そこには何と、町長をはじめ、町の有力者たち、学校の教師、またたくさんの生徒たちが見送りに来ていました。中には神社の神主や僧侶もいました。さらに一般の人たちも来ていて、駅は身動きができないほどでした。それで駅長は停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたほどです。その群衆の中に、実は若き日の宮沢賢治がいたのです。「雨ニモマケズ」の詩は、この時の感動に基づいて、彼の生き様を書かれたものだと言われるのです。「雨にも負けず、風にも負けず、雪にも 夏の暑さにも負けず 丈夫な体をもち 慾はなく 決して怒らず いつも 静かに笑っている 一日に 玄米四合と 味噌と 少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく 見聞きし 分かり そして 忘れず 野原の 松の林の 陰の 小さな 萱ぶきの 小屋にいて東に病気の子供あれば 行って 看病してやり 西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い 北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないから やめろと言い 日照りの時は 涙を流し 寒さの夏は おろおろ歩き みんなに 木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず そういうものに 私はなりたい」宮沢賢治に「そういうものに 私はなりたい」と思わせたのは何故でしょうか。それは、斎藤宗次郎が、神様を、主イエス・キリストを基準に物事を考え、キリストと同じ思いを感じることができるように変えられていたからでしょう。

II. 箱舟に乗り救われる

あのノアの大洪水で、全ての人が滅んでしまったのにノアの家族八名だけが救われたのは、神に建造するよう命じられ造った箱舟に乗り込んだからです。「僅か八名だけが、この箱舟に乗り込み、水を通って救われました」神様がその後、全人類が、誰でも救われるように備えられた箱舟は、主イエス・キリストです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3章16節)私たちが救われるために神が用意された箱舟は一体どのような構造でできているのでしょうか。このペテロの手紙のこの短い箇所だけでも、私たちを救ってくださる箱舟であるキリストがどのようなお方であるかをペテロが、しっかりと明瞭に語っているので確認しておきましょう。

①キリストは主である 

「ただ、心の中でキリストを主と崇めなさい」そうです。イエス様は主なる神なのです。全知全能偏在の神なのです。天地万物を創造された偉大な創造者なる神なのです。礼拝され、崇められ、栄光が捧げられるべき神なのです。

②キリストは正しい方である 

「キリストも、正しい方でありながら」そうです!箱舟であるキリストのご性質は、道徳的属性が完全に正しい方です。キリストが主なる神であるとは、キリストが完全に義であり正しいということです。そして神が正しいということは、この世界に道徳による統治を打ち立て、被造物である人間に法律を与え、それに基づいて賞罰を与える仕方で、人間を取り扱われるということです。それゆえに、人間は法的基準に従い、誰でも例外無しに、神によって褒賞が与えられ、罰せられもすることになるのです。

世界中のどこの国に行っても法律が定められ、法律に従って生活するようにされているのは、この神の義の表れでもあります。全ての人間は死んだ後に、この正しい神の前に立たされ、裁かれ自分の行いを弁明しなければならないのです。

③キリストは苦しまれた方である 

この正しい義である主なる神が、そうであるのにも関わらず、同時に「苦しまれる方」なのです。18節をご覧ください。「キリストも、正しい方でありながら、正しくない者たちのために、罪のゆえにただ一度苦しまれました。あなたがたを神のもとへ導くためです。」この「一度苦しまれました」ということが、この節の最後に「キリストは肉では殺されました」と言い換えられています。これは十字架のイエス・キリストの死を意味することです。イエス様は、主であり義である神であるのに、人となられた方なのです。正しくない罪人の救いのために、十字架で罪の身代わりの犠牲として死の苦しみを受けるために人となられた方なのです。

④キリストは復活された方である 

そればかりか、キリストは死から甦り復活されました。18節の「霊では生かされたのです」とは十字架の死から三日目の復活のことです。そして、21節には、ノアの箱舟が洗礼の象徴であると「この水は、洗礼を象徴するものであって、イエス・キリストの復活によって今やあなたがたをも救うのです。」と語られます。教会で信仰告白者に施す洗礼、バプテスマは、水槽に張られた水に沈められ、引き上げる儀礼です。それは、キリストの十字架の死と復活を象徴する儀礼なのです。ノアの洪水では、箱舟に入らない人々は水によって滅ぼされました。ノアの家族8人は箱舟に乗り込んだので、水から浮かび上がり、滅ぼされずに救われました。同じことがキリストを信じる人に起こっているのです。イエス様を主と信じることは、箱舟に乗り込むようなものです。箱舟に入れば水から浮かび、助かったように、キリストを信じる人はキリストと共に復活し、永遠の命が与えられ、救われるのです。

⑤キリストは昇天され支配する方である  

この復活されたイエス様は40日後に昇天され、天の神の右の座に着座された方です。22節にこうあります。「キリストは天に昇り、天使たち、および、もろもろの権威や力を従えて、神の右におられます」神の右とは権威ある立場に立たれたことを意味します。私たちを救ってくださるキリストは天においても地においても全ての権能を授けられた真の主権者なのです。

III. 八名だけ救われる

「僅か八名だけが、この箱舟に乗り込み、水を通って救われました」今やその箱舟に相当するイエス・キリストを信じる者だけが罪の裁きから免れ救われることができます。ここにおられる皆さんは、箱舟に乗り込まれておられるでしょうか。イエス様を主と信じておられるでしょうか。ノアの洪水が起こった時のこと、7章を見ると1節に主がこうノアに語られています。「主はノアに言われた。「さあ、あなたと家族は皆、箱舟に入りなさい。この時代にあって私の前に正しいのはあなただと認めたからである。」そして主は、全ての動物のツガイを船に乗せるよう勧告し、七日後に40日雨を降らせると通告されました。16節をご覧ください。ノアが言われた通りに実行し、家族が箱舟に全員乗り込み終わると、「そこで主は、その後ろの戸を閉じられた。」のです。ノアが内側から閉じたのではありません。神が外から閉じられました。それ以後には誰も入れない時がついに来たのです。「今こそ、恵の時、今こそ、救いの日です。」(第二コリント6章2節)今現在まだ、箱舟の戸は開けられています。誰でも今のうちに箱舟に乗り込むべきです。今という時にイエス・キリストを救い主として信じ受け入れるべきなのです。その意味で、この箇所には、四つの勧告がなされています。

①あなたは正しい良心で誓約するべきこと

21節で「この水は、洗礼を象徴するものです」と言われ、更に「洗礼は、正しい良心が神に対して行う誓約です。」と言われています。誓約とは洗礼に際して行われる問答の答えです。司式者が受洗者に問いかけ、受洗者が答える答え、それが誓約です。あなたは洗礼を受ける際に正しい良心で誓約されたでしょうか。良心とは単なる道徳的資質ではありません。神から与えられた賜物で、良心の役割は、自分に対して証しすることです。良心は、自分のしたことを心の中で無言のうちに証し続ける意識のことです。司式者は5つの質問をします。

ⅰあなたは天地の造り主、生ける真の神のみを信じますか。

ⅱあなたは、神の御子イエス・キリストの十字架の贖いによって救われていることを確信しますか。

ⅲあなたは、聖霊の恵みに信頼し、キリストの僕として、ふさわしく生きることを願いますか。

ⅳあなたは、自分の最善を尽くして、教会の礼拝を守り、教会員としての務めを果たし、証しの生活をすることを願いますか。

ⅴあなたは教会の規則に従い、その準決と一致と平和のために務めることを約束しますか。

それに対して受洗者は、「信じます、確信します、願います、約束します」と誓約しなければなりません。それは正しい良心でするべきものです。信じていない、確信していない、願ってもいない、約束する気もないと、自分の良心が自分に証言しているのにも関わらず、誓約することは良心に反する違反行為です。しかし、自分の良心に従い、誓約したのであれば、その誓約を生涯、遵守することが神の前で求められているのです。

②善を行うことに熱心であるべきこと

更にここで強く勧告されるのは、善を行うことに熱心であるべきことです。13節で「もし、善いことに熱心であるなら、誰があなたがたに害を加えるでしょう。」と言われているのは、キリストを信じる者は、善に熱心であるべきだということに他なりません。これはその前の8、9節に関係した勧告です。「最後に言います。皆思いを一つにし、同情し合い、きょうだいを愛し、憐れみ深く、謙虚でありなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたからです。」たとえその結果、人から苦しみを受けるようなことがあっても、善を行うことにうみつかれてはならないのです。

③弁明する備えをするべきこと

15節「あなたがたの抱いている希望について説明を求める人には、いつでも弁明できるよう備えていなさい。」これは証しの備えをするべきことでしょう。自分が救われた経緯をいつでも説明できること、また、何をどう信じているか説明できる準備をすることです。先週日曜日に妻がマリア会で奨励を頼まれ奉仕をいたしました。その準備をしていた妻が今は亡き父の遺品を引き出し、その中の彼が若かりし日に発行していた古い機関誌を私に見せてくれました。昭和37年1月発行の「聖剣」です。そこに太平洋戦争中、看護兵として招集され基地の陸軍病院で勤務中に経験した証しが載せられていました。その文章は、彼が尊敬して師事した矢内原忠雄東大教授に宛てた手紙に掲載された内容でした。

「キリスト者の集まり 大内とね久保と竹内とね聖書の集まりをしているよ。そうだ皆の寝静まった頃にね。伝染病室の個室の久保の部屋で。久保は未信者ね!大内殿は日基の人ね。竹内は孤独の無教会人さ。この三人でやっているのね。祈れ、この会が長く続く様に、純粋である様に、神の栄光のみ顕れる様に!3月16日。大内上等兵殿が来ないかなあと思っているところへ大内上等兵殿はノックしてドアを開けた。「竹内」大内上等兵殿は無言のうちに私を立たせ、私を廊下へ連れさせた。二人の顔は或る厳粛にもう触れていた。久保の部屋へ、結核患者の久保の部屋へ、二人の足は急ぐ。マスクをして久保の部屋に入ると、久保は一人の男と話していたが私達が入るとその男は出て行った。話出しをどうしようか。久保は未信者である。未信者の久保を私たちの圏内へ入れるにどうしよう、、、電光の様に心に触ったものがあった。私が話した。『久保。宇宙は、或る者から造られたるを信じるな。然り人も或る者から造られたるを信じるな。然り俺たちは、これをお造りになった唯一の神を信じるのだ。久保。俺達はこの神をおがむのだ拝するのだ。久保。お前も俺達と一緒に拝まないか。拝しないか。』然りがこの部屋に輝いたかと思えた。「うん」と久保は目を輝かした。それからこの部屋から祈りが挙がった。大内上等兵殿の祈り。マルコ伝第1章を、竹内は研究的に述べた。罪という大問題を前において話した。大内上等兵殿は癒しのことに就いて暖かい手で久保を慰めた。それから閉会の祈りが夜の空を通って天迄挙がった。閉会十時半」しかし、その年の8月31日に彼は、下士官室に呼ばれ尋問を受けたのです。彼はこう書いています。「それはクリスチャンの真偽、並びに上の人からの命により私にキリスト教をやめよ、とのことでありました。私はこれに対し、私はキリスト信者であります。私はキリスト教をやめることは出来ません。とはっきり言いました。見よ、神の国が、この兵営から輝きますように、主イエスよ守り給え」その日、彼の所持していた矢内原先生の通信等一切がズタズタに引き裂かれ、釜の火に投げ入れられてしまったのです。今は召されて主のもとにある妻の父のどこまでも信仰を貫き通された姿勢に感動させられました。

④キリストを主と崇めること

最後の勧告は当然の帰結であり、それは「ただ、心の中でキリストを主と崇めること」です。これに優るクリスチャンの務めはないでしょう。神を礼拝すること、そのためにこそ、今日も私たちはここ、この礼拝会場に集められました。主は賛美され、礼拝され、崇められるに相応しい方であるからです。今週も主にならい良い業に励みましょう。それによって中傷誹謗されるかもしれません。それでも励みましょう。ご一緒にもう一度主を賛美することにしましょう。

723日礼拝説教(詳細)

「白鳥の歌に聴く」  ピリピ4章1〜4節

ですから、私が愛し、慕っているきょうだいたち、私の喜びであり、冠である愛する人たち、このように、主にあってしっかりと立ちなさい。私はエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主にあって同じ思いを抱きなさい。

なお、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のために私と共に戦ってくれたのです。

主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい。主は近いのです。

何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、 あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。

ハレルヤ!共に礼拝できる恵みに感謝します。説教の準備中に愉快なアメリカのこんな話を見つけたので、先ず紹介しておきましょう。

『ある教会に、神学校を卒業したばかりの若い牧師夫婦が派遣されてきました。その牧師は一生懸命に説教の準備をしたんだそうです。あるとき、その奥さんが日曜になるとごそごそと自分の小さなクローゼットの引き出しをいじっているのに気づきました。でも、妻のプライバシーに関わる事だからと、気にはなったのですが、引き出しをあけないで我慢をしたんだそうです。ところが、一年ほどたっても、こそこそとクローゼットの引き出しに何かを隠しているような気がして、ついに妻のいない時にその引き出しを開けて中を見てしまいました。一番上の引き出しを開けてみると、玉子が三個入っています。その下の引き出しを開けてみると、ドル紙幣が何枚か入っていました。この若い牧師はどうしても気になって、勇気を出して妻に尋ねることにしました。「いつも日曜になると君はあのクローゼットの周りでこそこそしているので、悪いとは思ったんだけれども、引き出しを開けてしまったんだ。でも、一番上の引き出しをあけると、そこに玉子が三つ入っていたんだけれど、あれはなんだい。」と質問しました。妻が「見てしまったの」と言いながら、玉子の説明をしはじめました。「実は、あなたの礼拝説教を聞きながら、あまり良くないことを話した時には、あの引き出しに玉子を入れることにしていたの」と。それを聞いて、すこしほっとした彼は、さらに質問しました。「じゃあ、あの二段目の引き出しに入っているいくらかのドル紙幣はなんだい」と尋ねると、「あっ、あれね。あれは、玉子がたまると、それを売っていたのよ!」』この若い牧師のように私も一生懸命説教の準備をしたつもりですが、果たしてどうなることやら!

先週お話したように、私は、教会暦に準じた聖書箇所を今日も選んでおり、それは、パウロの白鳥の歌と呼ばれるピリピ人への手紙です。ピリピ書が白鳥の歌と呼ばれるのは、白鳥は死ぬ直前に美しい声で歌うとされているためで、ピリピ書が、使徒パウロが自分の死を前に、獄中で書き綴った遺言であるからなのです。4章1〜4節をお読みします、そしてお祈りいたします。

ピリピの教会は、使徒行伝16章に詳しく記録されるように、使徒パウロが第二次宣教旅行で誕生した教会です。ピリピの町に住むユダヤ人は僅かであったらしく、そこには会堂もなく、集会は川のほとりで行われ、パウロがそこで福音を語った結果、紫布を商う女商人ルデアが救われ、その家族も洗礼を受けることになりました。パウロは、そこで占いの霊に憑かれた奴隷女を解放したことが原因で、パウロとシラスともども投獄されてしまうのですが、不思議な大地震が発生し、その結果、獄吏が救われ、その家族も救われ洗礼を受けるという事件に発展しました。結局、パウロはその町を去らざるを得なかったのですが、ピリピの町に誕生した教会は、その後成長していったようです。

パウロは、このピリピ教会に非常な親愛の情を抱いていました。1章3節でその冒頭の挨拶でこう語っているのです。「私は、あなたがたのことを思い起こす度に、私の神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。」その親愛の情は、4章1節にも溢れており、ピリピの兄弟たちを「私が愛し、慕っているきょうだいたち、私の喜びであり、冠である愛する人たち」と言葉を極めて呼びかけているのです。そのピリピ教会に対するパウロの白鳥の歌から何が聞こえるでしょう。死を前にしたパウロの遺言から今日、聴こえるのは、一本の紐で結ばれた三つのキラキラ光る宝石のようです。その宝石を繋ぐ一本の紐は、この一つの言葉、「主にあって」であり、1節で、「主にあってしっかりと立ちなさい」と語られ、2節で、「主にあって同じ思いを抱きなさい」と語られ、4節で、「主にあっていつも喜びなさい」と語られています。この「主にあって」に類似した表現は、「キリストにあって」とか、「キリスト・イエスにあって」なのですが、これは、パウロの手紙には実に頻繁に使用されている特別な言葉であります。

原語では「エン キュリオ」、英語なら「In the Lord」です。この原語の前置詞エン、英語ならインで表されているのは、イエス・キリストを主と信じた者は、生けるイエス様のご人格に空間的な居場所が確保されているということです。この「主にあって」を大胆に訳すなら、「主の中に」とか「主に包まれて」と訳すこともできるでしょう。信仰によってイエス様の中に居場所を確保する、イエス様の愛と力と権威に包まれて、親しく交わり生きるなら、解決できないことは何も無い、ということなのです。

.主にあって立つ

使徒パウロは自分の死を間近に控えて、ピリピ教会に遺言として、「主にあってしっかりと立ちなさい」と先ず語ります。パウロが生み出したピリピ教会にこのように勧告した理由は、1節の「ですから」という言葉によって、それまで語ってきた3章17〜21節にあることが分かりますね。3章18節で彼はこう語っています。「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架の敵として歩んでいる者が多いのです。」十字架の敵として歩む、即ち、十字架の敵として生活するとは、罪の赦しを認めず、必要としない生き方です。キリストは、私たち人類の罪の赦しのために犠牲となり、十字架で命を捨てられました。その罪の赦しを信じて、キリストを信じて人は神と和解し、神に立ち返ることができるものです。十字架を敵とするということは、十字架の意味を理解せず、自分の罪も認めようとせず、神に立ち返ることを意に返さない生き方です。聖書は、19節で、「彼らの行き着くところは滅びです。」というのです。コリント第一1章18節にも書いてありますね。「十字架の言葉は、滅びゆく者には愚かな者ですが、私たち救われる者には神の力です。」十字架の救い無しには人は滅びる他にないのです。儚い人生を神無しに生き、死んで最後の審判で裁かれ、永遠の滅びに陥る他ないのです。それが悲しいですけれど真理です。19節は更に「彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、地上のことしか考えていません。」と語ります。このような人々は、神を信じると言っても、神は神でも自分の腹を神としているのです。突き詰めて言えば、食べるために生きている、食べるために働いているだけなのです。食べて腹を満たすことは必要なことです。良いことです。しかし、それは手段であって、どこまでも目的ではありません。食物で腹を満たす、物質的なもので必要を満たす、それは、どこまでも「地上のことしか考え」ない生き方そのものです。ピリピの教会はこのような人々に取り囲まれていました。それによって影響され、ピリピのクリスチャンたちは、足がふらつき始めていたに違いないのです。これは、私たちを取り囲む現代的な状況そのものです。圧倒的多数の人々は「地上のことしか考えていません」地上の生活が全てなのです。目と鼻の先のことしか考えられないのです。下手をすると、その考え方、この世的常識こそ的を得ていると思わされる程に、錯覚に陥る危険があるのです。

そのような圧倒的多数の人々の只中で、しっかり信仰に固く立つには、主にあって立つ以外に道はないのです。主にあって立つとは、どういうことか?それは、20節のような自覚と希望をしっかりと抱くことです。「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから、救い主である主イエス・キリストが来られるのを、私たちは待ち望んでいます。」私たち日本人なら国籍は日本です。日本にはっきり確かに国籍が確定していることは感謝なことです。しかし、「しっかり立つ」とは、永遠の国籍は天であると確信することなのです。キリストが再び来られて、私たちを天に招き入れてくださることを期待することです。それが主にあって固く立つことです。その時、何が起こりますか。21節です。「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、私たちの卑しい体を、ご自身の栄光の体と同じ形に変えてくださるのです。」主が再び来られる時、私たちは復活させられ、主と同じ栄光の体に変えられるのです。主にあって立つとは、このような確信と希望をしっかり抱くことなのです。

.主にあって思う

パウロがピリピ教会に白鳥の歌として最後に勧告した次の言葉は2節の「主にあって同じ思いを抱きなさい」です。この勧告は、名前までも記載されている二人の女性に対する形でなされました。「私はエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。」前に使用していた口語訳では、ユーオディアとスントケでしたが、これはギリシャ語の読み方の違いです。パウロのこの手紙の中に固有名詞が語られたということは、この手紙がピリピ教会の集会で朗読される際には、教会員全員に知れ渡るであろうこと前提に書かれたということです。当の二人の婦人たちにとってはひどく不名誉なことのように思われます。しかし、パウロが敢えて、実名を書き残したのは、この二人がピリピ教会の指導的役割を担う人物であったからでしょう。3節でパウロは、「二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のために私と共に戦ってくれたのです」と語っており、二人の婦人がパウロの宣教の同労者であったことを紹介しています。ピリピの教会は最初に紫布商人の婦人ルデアとその家族の改心からスタートし、その後も婦人たちが有力な活躍をしていたことが、ここに窺われます。

どうやら、ピリピ教会では、この二人の婦人同士の間に、考え方の違いが生じ、そのために対立し、他の多くの人々にも影響を与え、教会が分裂しかねない状態に陥っていたに違いありません。そこで、パウロは教会で大切なことは、同じ思いを抱くこと、その大切さを教会に徹底するために、敢えて、実名を挙げ、厳しい書き方で勧告をしたのです。私たちが分裂するのは、どこで分裂するのですか。そうです、お互いの思いで、思考の違いで分裂するのです。人間一人一人の思考は全く違うのです。何から何まで違っているのです。「同じ思い」を抱く、考えるなど、それは全く人間的にはあり得ないこと、普通は不可能です。ですから、どこの世界、分野でも至る所、分裂であり、不一致があり、破れているのです。

同じ思いを持ち得るたったひとつの可能性があるとすれば、ただ一つ、「主にあること」です。お互いが、一人一人が、イエス様の中におおい包まれる以外にはあり得ないのです。人が主イエス・キリストにあるとは、主と交わり、主イエスの死と復活に預かることです。イエス様を信じるとは、イエス様と共に古い自分が十字架に死ぬことを認めることです。イエス様を信じるとは、イエス様と共に新しい自分が復活したことを認めることです。コリント第二5章17節はこう言います。「誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです。」主イエス・キリストにあるとは、自分の考えも言葉も行動もイエス様によって調整され規制されることなのです。それ以外に、キリスト者が一致する道はありません。

パウロは二人の婦人に呼びかけるだけでなく、3節で「なお、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください」と呼びかけています。この「真の協力者」が誰であるか分かりません。この協力者の原語はシュジュゴスなのですが、相棒、同労者、伴侶という意味です。ちなみに、現代ギリシャ語では、興味深いことに夫を(ホ シュジュゴス)と言い、妻を(ヘ シュジュゴス)と言うそうです。固有名詞として使われたとすれば、「真にそう呼ばれたシュジュゴスよ」となるのでしょうが、それにしても、この人物の詳細は不詳です。分かりません。しかし、私たちに分かっていなくても、感謝なことに、人にその詳細が分からなくても、神には知られているのです。「二人は命の書に記されているクレメンスや他の協力者たち」とあります。天には、救われた人の名前が登録されている命の書があり、神に彼らはその全てが知られているのです。これらの人々に対して、二人の対立する婦人たちが和解できるよう助けるように勧告されています。この「助ける」とは、ルカ5章7節でも使われている言葉で「援助する、加勢する、救援する」と言うことです。そこでは、ペテロが沖に出て主の語られたように網を下ろしたら大漁で、船が沈みそうになり、「もう一艘の船にいた仲間に、加勢に来るよう合図した」と使われています。意見、思いが食い違い対立した二人のため、執りなし祈ることによって加勢し、助けることが求められたのです。二人の対立する婦人たちが一致する道は、主イエスの中にもう一度包み込まれるように祈ることです。協力を求められた人々が救援できるのも、主イエスの中に包み込まれることによるのです。

III. 主にあって喜ぶ

パウロの白鳥の歌の最後は4節です。「主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」この白鳥の歌であるピリピ書、パウロの死を前にした遺言の大きな特徴は、この喜びが繰り返し十六回も語られていることです。パウロの獄中の生活がどのように辛いものであったのか、私たちには知る由もありません。現代の刑務所でさえ、劣悪な設備や刑務官の不当な扱いが問題にされるとすれば、古代の獄屋、牢屋がいかなるものであったか、想像に難くありません。しかし、パウロには微塵も暗い影がありません。死を予感しつつもパウロは喜びに溢れていたのです。人々に喜べと勧告しているのです。人が生来、陽気で明るい人間なので、周囲の人にも陽気に明るく振る舞ってほしいと、願っているのではありません。「主にあっていつも喜びなさい。」と勧告するのです。テサロニケ第一5章16節もそうでしたね。「いつも喜んでいなさい」です。

いつも喜べです!これは無理難題な要求ではありませんか!「いつも」と制限を撤廃する、強烈な言葉が付けられているのです。このような条件が付けられていることは、ことによれば思い煩わずにはいられないことがあることが、その前提にあるからでしょう。いつも必ずしも喜ぶわけにはいかない状況があるのです。であるからこそ、「主にあって喜びなさい」と勧告されるのです。主イエス様におおい包まれる、イエス様のご人格の中に居場所を見つけるまでは、到底喜ぶことはできないのです。聖書で「いつも喜んでいなさい」と言われる時、それは自分の人間的な気質や気分や環境に左右されない喜びです。それは、主にあって、聖霊の働きにより作り出されるものです。

先週、もう一冊の教会100周年記念誌が教会に届けられました。それは関西教区の大阪中央福音教会からでした。その教会の歴史を読み、この教会の発端が、大正から昭和初期に活躍された伝道者の柘植不知人であったことを知り、正直驚きでした。私自身、彼の書いた書物「ペンテコステの前後」で彼の活動記録を知っておりましたが、まさかこの教会の創始者であることは知らなかったのです。その柘植不知人が聖霊に満たされ驚くばかりの喜びを経験した記述がここに引用されていましたので、紹介しておきましょう。それは大正5年10月、1916年のことです。

「その夜は堺の組合教会が無牧だったので、頼まれて集会を持ちました。ところが、聖霊の働きが著しく、臨在が輝き、説教が終わらないうちに全会衆に罪の自覚が起こり、泣き叫び、戦慄し、椅子から転げ落ちる者まであり、最後には全会衆が残らず悔い改め、救いを叫び求める光景はすごいものでした。堺での組合教会での御用が終わり、大阪駅に着きましたが、列車の発車時間は午後11時59分で、発車まで 1 時間もありますので、どこかで祈ろうと思いましたが、適当な所がありませんでしたので、仕方なく梅田駅の裏町に出て、神を崇めて讃美して歩いていました。するとにわかに、上から大きな力が私を覆い、驚くような力が満ち、いよいよ喜びは頂上に登るような感じを経験しました。もう黙っていることもできなくなり、ゲラゲラと笑いが出て止めることが困難になるほどでした。そこでハンカチで口を覆い、駅に着いても群衆に顔を向けることができない程でした。ですから列車の一番後ろの座席の壁に向かって座り、やっとの思いで神戸の自宅まで帰ってきました。」

同じ経験をしなければいけない、ということではありません。主イエス・キリストを信じ、イエス・キリストの中におるならば、聖霊により、その実として喜びが与えられるのです。これは環境や気質に左右されるものではありません。苦難と試練の最中にあっても、その只中で与えられるものです。イエス・キリストが喜びの源泉なのです。この世の人が打ちひしがれている時、クリスチャンには内住する喜びが光輝くのです。その喜びは、イエス様との親しい交わりから聖霊によって与えられるものです。キリストの教会を支配するのは争いではありません、喜びなのです。どれほど悪意に満ちた世界に生きていようとも、どれほど悲しんでいようとも、どれほど死を恐れていようとも、どれほど人に傷つけられていたとしても、どれほどこれから先の事が不安でいっぱいだったとしても、キリストはあなたを包みこんでくださるのだから、喜びなさい。そう命じられているのです。主イエス様を信じ、主に留まり、主におおい包まれ、主と交わり祈りましょう。その時、立つ事ができます。一致することができます。喜ぶことができます。この新しい週に何が待ち受けていたとしても、主の中にとどまり続けられるよう祈ります。

716日礼拝説教(詳細)

「キリストの律法」  ガラテヤ6章2節

きょうだいたち、もし誰かが過ちに陥ったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正しなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになります。

何者でもないのに、自分を何者かであると思う人がいるなら、その人は自らを欺いているのです。おのおの自分の行いを吟味しなさい。そうすれば、自分だけには誇れるとしても、他人には誇れなくなるでしょう。

ガラテヤ6章1~4節を読みます。もしかすると、皆さんの中に、今日の説教題から二週間前の説教題を思い出し、何故またガラテヤ書から説教するのだろうと思われる方がおられるかもしれません。実はここ数年、私が説教箇所を選ぶ原則が決まっており、教会暦に準じる説教の手引きを採用しているため、今日の聖書箇所もそれに準じて選んでおります。世界的にも教団教派を超えて、この仕方を採用する教会が結構あり、そのメリットを理解した上で、私も実行しているわけです。

二週間前に「キリストの真実」と題して、ガラテヤから語った説教を覚えておられるでしょうか。その際に、2章16節を取り上げました。「しかし、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって義としていただくためです。なぜなら、律法の行いによっては、誰一人として義とされないからです。」人が義とされるには、神様と正しい関係に入れていただくのは、律法の行いによらず、キリストの真実による、と語りました。そこでは、キリストの真実と律法とは真逆の関係にあります。15~21節だけでも、律法という言葉は6回も出てきますが、どれも否定的に語られるばかりですね。ところがどうでしょうか、この同じガラテヤ書の6章ではその同じ言葉、律法が、「キリストの律法」として使われているのです。「互いに重荷を担いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになります。」これは、おかしくありませんか。

1.全うする律法

使徒パウロが、このガラテヤの教会へ書き送った手紙の中で、律法の行いを徹底的に否定的に語っておきながら、その律法をキリストの律法と呼んでいることは、これは一体どういうことなのでしょうか。

①モーセの律法

先ず第一に私たちは、聖書の中で律法という場合に、それがモーセの律法を指し示していることを知っております。聖書の中で、律法、モーセの律法と言えば、あのイスラエルの民をエジプトの奴隷から解放したモーセが、シナイ山で授かった十戒であることを、私たちは知っていますね。モーセの後を継いで民をカナンの地に導き入れたヨシュアがこうも語っています。(ヨシュア23:6)「それゆえ、あなたがたは堅く立って、モーセの律法の書にしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。それを離れて右にも左にも曲ってはならない。」このモーセの律法とは、神との契約を前提としたイスラエルという誓約共同体の法律でした。普通、私たちが法律という場合、それは「社会生活維持のための支配的な規範」を意味しています。それは人と人がお互いに共同して生きていくための約束事であります。しかし、聖書の中では、法律ではなしに、敢えて律法という場合には、人と人だけではないのです。神と人が共同して生きていく契約、約束事のことなのです。このモーセの律法が神から付与されたのは、エジプト奴隷から解放された後のこと、シナイ山においてでした。イスラエルの民は、神の恵と憐みによって救われたのだから、これからは神の民として、解放してくださった神とどのように共に生きていくべきか、神の民同士がどう生きるべきかを、この律法によって明らかにされたのです。人と人とが共に秩序正しく生きるために法律が必要であるように、神と人とが共に秩序正しく生きるために法律が、必要とされたのです。それが聖書の中での律法なのです。

その律法をパウロがガラテヤ教会に書き送った手紙の中で、徹底的に否定的に語ったのは、何故かというと、それは当時のユダヤ人達が、本来の律法の精神を踏み誤り、間違った仕方で誤用していたからなのです。私たちは、その間違った律法の用い方を律法主義と呼んでおり、それは、「律法を完全に遵守することによってのみ、神様の前に人は正しくありえるのだ」という歪んだ考えなのです。規則、法律を守ることは、勿論良いことです。正しいことです。ただそれによってのみ人は、人の前に、神様の前にも正しいとされるとするのは、これは本末転倒なのです。本来、イスラエルの民は、恵みにより奴隷から解放されて神の民とされたはずです。だからこそ、律法に従って生きることが求められたのに、いつの間にか、律法に従って生きるなら、それによってのみ、人は神様の前に正しく認めていただけると、誤って考えるようになってしまったのです。そこから結果的に、非常に有害な差別意識が生まれました。ユダヤ人は自分たちだけが律法を守り、安息日を厳守し、割礼を受けているのだから、特別に清い神の民であり、そのほかの異邦人たちは、罪深く穢れていると、自分たちの優越性を極端に強調し、徹底的に差別するようになっていたのです。そればかりか、当然そこから非常に陰湿な偽善な生き方が生まれました。行いによって自分を正しく見せる、それらしく演技して生きるような生き方は、偽善に陥ってしまうのです。

人は、自分の意志で、やろうと思えば、どんな正しい行為もやってできないことはありません。しかし、その心では、そうする気持ちもないのに、そのフリをすることは、演技することであり、それは偽善なのです。ですから、イエス様が、律法を教える律法学者や、律法を厳しく守ろうとする団体のパリサイ人を「あなたがたは偽善者である。白く塗った墓のようだ」と厳しく非難したのは、その点にあったのです。

② 自由の律法

しかし、主なる神様が奴隷から解放されたイスラエルの民に与えられた律法は、本来は素晴らしく良いものなのです。使徒パウロもローマ7章12節でこう言っています。「律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。」そうです。申し分ないものです。詩編の119編をご存知でしょう。この詩篇は律法の素晴らしさを謳った詩の連鎖ですよね。176節の全てがその優れていることを感動的に謳っています。 その1節はこう始まります。「幸いな者、完全な道を行き主の律法を歩む人は。」70節は「あなたの口から出る律法は私には良いもの。幾千の金や銀にまさります。」と律法を称賛しており、77節は「あなたの律法は私の喜びです。」と告白し、97節では「どれほどあなたの律法を愛していることでしょう。日夜、それに思いを巡らします。」と律法を慕っていることを感動的に謳っています。非常に興味深いことに新約聖書のヤコブ書では、このモーセの律法が「自由の律法」と呼ばれているのです。「しかし、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れずにいる人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人になります。このような人は、その行いによって幸いな者となるのです。」(1:25)

自由とは何ですか?自由の概念はいろいろ定義されるのですが、古代の当時では、自由と言えば、外国の支配的な法律から解放され、自らが制定する法律に服することを意味していました。ある劣悪で異質な隷属状態から、他の優れた健全な隷属状態への移行することが自由であったのです。自由とは、なんでも好き勝手にできることではありません。自分の勝手放題にすること、それは放縦です。自由と言えば、主イエスがこう言われましたね。ヨハネ8章31節です。「私の言葉にとどまるならば、あなたがたは本当に私の弟子である。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。」真理が人に自由を得させると言われたのです。そして、あの119編の160節でも、こう謳われているのです。「あなたのみ言葉の全体は真理です。あなたの正しいおきてのすべてはとこしえに絶えることはありません。」これはモーセの律法を謳っているのですから、律法は真理であるということです。だから真理であるから、律法も人に自由を得させるのだというのです。

③キリストの律法

そうすると、ガラテヤ6章2節で「キリストの律法」と語られていることの意味が明らかになってくるのではないですか。この「キリストの律法」の律法とは、何か新しい法律というのではなく、モーセの律法であるということなのです。その手がかりが5章14節にあります。「何故なら律法全体が、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句において全うされているからです。」とパウロ自身が語っています。これは、イエス様の律法理解から来た言葉でしょう。

あのルカ10章で、律法の専門家がイエスを試そうとして質問した場面がありますね。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」すると、「律法になんと書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか。」律法学者は答えてこう言ったのです。「『心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」主は彼に「正しい答えだ。それを実行しなさい。」と言われました。律法を煎じ詰めたらどうなるのか? エッセンスは申命記6章4~5節、それにレビ19章18節に尽きる、と答えられたのです。律法の精神とは、神を愛し、隣人を愛すること、つまり愛なのです。愛に尽きるのです。そのように語られたイエス様が弟子達にこう語られました。ヨハネ13章34節です。「あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

私たちはしばしば、このお言葉、「互いに愛し合いなさい」を十戒に加えられた十一戒だと言います。そして、このガラテヤ6章2節の「キリストの律法」の律法とは、この「互いに愛し合いなさい」との新しい戒めだと解釈し、モーセの十戒、モーセの律法ではない、と考えがちです。しかし、むしろ、そうではなく、「キリストの律法」の律法は、モーセの律法に変わりはなく、律法は律法でも、この律法とは、「イエス様がその生き様を通して体現した律法の精神を指している」と理解すべきなのです。ユダヤの律法にとって代わる新しいキリストの原理、規則ではないのです。パウロ自身が5章14節で言っている通りです。「何故なら律法全体が、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句において全うされているからです。」イエス様は、その生活においてその隣人愛の真の生き方を体現され、愛の精神を生き抜かれました。その本当の愛の精神で、弟子達を愛し通されたのです。その愛で愛されたように、イエス様は弟子達に「互いに愛し合いなさい」と戒められたのです。

.負うべき重荷

そのような理解の上でガラテヤの教会に命じられたのが2節の言葉なのです。「互いに重荷を負い合いなさい」そうするなら、キリストの愛の戒めが全うされるというのです。互いに重荷を負い合うこと、それは互いに愛し合うことの愛の一つの実践のあり方なのです。ここで語られている負うべき重荷の中身は何か、前後の文脈からすれば、間違いなく、1節で語られている、誰かの罪過ちという重荷のことです。「きょうだいたち、もし誰かが過ちに陥ったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正しなさい。」この過ちの元々の意味は、踏み外して落ちることです。

何週間か前に、小学校3 年生くらいの可愛い少年が、教会の前を流れる側溝に自転車ごと転落するという危ない事件がありました。家内が気がつき、私たちは三階から急ぎ駆けつけ、救助し傷の手当をしたものです。私自身は、家内とK姉に任せ、部屋に戻っていましたが、その時、電話でその子の家に連絡したところ、父親が駆けつけてきたそうです。そして、息子を見ると厳しく咎め、叱りつけたというのです。叱りつけるのではなく、もう少し他の対処の仕方があるのではないでしょうかね。この少年が側溝に踏み外したように、誰かが罪過ちを犯して脱線したことが分かったなら、その人を正しなさい、と勧告されている。

この誰かが罪を犯したなら正すということでは、主イエス様がマタイ18章で教えられたこととは違っています。マタイ18章では、自分に対して兄弟が罪を犯した場合です。15節「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところでとがめなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。」と教えられました。これは個人的な罪の問題で非常に大切な対処の仕方です。自分に対して誰かが不当な扱いをした場合に、決して、その問題を第三者に直ぐ漏らしてはならないのです。今現在は、非常に便利な情報化時代で、最も簡単に情報をばら撒くことができるため、それだけに、問題が混乱してしまう傾向があることを、知っておく必要があります。電話で第三者にそれが誰であっても、自分の不愉快な気持ちをぶちまけてはいけないのです。ラインやブログで書き連ねて複数の人々に知ってもらってはならないのです。イエス様は、その相手の所に行って咎めなさいと勧告されました。早い段階で、顔と顔を合わせ、目線を合わせて、真実に語り合うべきなのです。それとこのガラテヤ6章の場合は異なり、何らかの形で誰かが罪過ちに陥っているのが分かった場合の対処の仕方なのです。

この1節の「過ち」が何かは特定されていませんが、直ぐ近くに記されている5章19節の肉の行いに類することと考えてもいいでしょう。そこには「肉の行いは明白です。淫行、汚れ、放蕩、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他このたぐいのものです。」と列挙されています。愛の精神で、このような罪の重荷をどう対処するべきか、どのように担うべきか、ここで3つ確認しておきましょう。

①柔和な心で正すこと

その第一は、柔和な心で正すことです。正すとはその人を正しい道に立ち帰らせることです。「正す」とは、壊れた物を修復することです。先日、教会の玄関ドアが壊れてしまいました。キッズワイワイの子供達がバタンバタンと開け閉めしたためでしょうか。老朽化した重いドアは、もうこれまでかと思いました。ところが、S兄が見事に修理してくださったのですね。親戚の大工さんから借りてきたという電動ドライバーでがっちり固定してくださったのです。正すとはそういう意味です。そのためには、柔和な心で対処しなさいと言われるのです。「柔和の心」と訳されますが、「柔和の霊」が直訳です。これは聖霊の結ぶ実であり、横柄な態度ではなく、へりくだった謙遜な優しい穏やかな態度のことです。罪犯して傷ついている人に対して、私たちは、言葉を選び、さらに負担をかけさせないよう気を使い、主から励ましとあわれみの言葉を話すことができるように祈り、そしていっしょに祈ってあげることが必要なのです。しかし、それは霊の人ができることであり、聖霊に満たされていることが必要条件となると言われているのです。

②自分に気をつけること

その対処の第二は、何よりも自分自身に気をつけることです。「あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。」このように誰かの過ちに対処する場合には、誰にでも罪を犯す危険性があるという前提で奉仕する必要があるのです。この今現在罪を犯している人だけの問題ではないのです。自分自身も例外ではない、という自覚が前提であると言うのです。クリスチャンとは、罪赦された罪人です。アダムの犯した原罪は十字架で赦され、自分の犯した過去現在未来の全ての罪過ちも赦され、赦されますが、生きている限り、罪の性質は誰にでも残っているのであり、条件さえ揃えば、過ちを犯す可能性が、誰でも無いのではありません。使徒パウロ自身が、晩年、テモテへの手紙で「私は罪人の頭です。」と謙虚に告白しているのはその意味です。人を正しい道に立ち帰らせようとする場合には、そのような謙虚な自覚が不可欠となるのです。

③自分の行いを吟味すること

その対処の第三は、自分の行いを吟味することです。3節は、教会の中で、起こりうる重大な問題です。「何者でもないのに、自分を何者かであると思う人がいるなら、その人は自らを欺いているのです。」とりわけ、第三者の罪の問題を正そうとするような場合には起こりがちな問題です。それは、「自分が何者かであると思う」思いあがる問題です。それは、第三者と自分を比較することで、相手を基準に自分を評価することから起こる相対的な問題です。罪に惑わされ悩まされ、弱さを覚えている兄弟を見るときに、自分は彼とは違うと思うことです。自分だけが特別な存在である、結構まともな人間であると錯覚することです。

「何でもないのに、何かだと考える」それは、自分を実質以上だとみなすことで自分を欺く虚栄であり、傲慢な自惚れなのです。互いに重荷を負い合えない最大の原因は、この優越感であり思い上がりです。いかなる人でも誇れるものは無いのです。無に等しい。儚い存在なのです。他人のやること、やらないことを物差しにして、自意識を膨らませることは厳に慎まなければならないのです。それゆえに「おのおの自分の行いを吟味しなさい。」と命じられているのです。

III. くびきを負う

 

このような前提が必要であるとしたら、溜息が出ますね。誰もできそうにも無いではありませんか。人の過ちを正す、正しい道に立ち帰らせる、それは至難の業ですね。しかし、「互いに愛し合いなさい」と戒められる主は、このガラテヤ6章を通して、「互いに重荷を担いなさい」と語っておられるのです。ヤコブ書の最後にも、こう勧告されていますね。「私のきょうだいたち、あなたがたの中で真理から迷い出た者を、真理へと連れ戻す人があれば、その人は、罪人を迷いの道から連れ戻し、彼の魂を死から救い、また、多くの罪を覆うことになると、あなたがたは知っていなさい。」(19、20節)では、私たちはどうしたらいいのでしょうか。イエス様の所に行く他に方法はないのです。主イエスはこう招いておられます。「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。」(マタイ11章28~30節)「互いに愛し合いなさい」と命じられるイエス様が、私たちの側に来てくださるのです。そして、「私のくびきを負い、私に学びなさい。」と招いてくださるのです。イエス様のくびきを共にするなら、イエス様が重荷を一緒に引いてくださる、と言われるのです。これ以外に、互いに重荷を担う道はありません。一人では負いきれないのです。自分の重荷だけでも精一杯なのに、他人の重荷まで負いきれないのです。自分の日々の重荷を主の前に下ろしましょう。そして、兄弟、姉妹が何らかの重荷に喘いでいることが分かったなら、イエス様に執りなし祈りましょう。そして、イエス様と共にその兄弟の重荷を担わせていただくことにしましょう。そうすることで、今週も、キリストの律法を全うさせていただこうではありませんか。

79日礼拝説教(詳細)

「まだ生きている」  使徒行伝20章1−12節

この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ました後、ギリシアに来て、そこで三か月間過ごした。

パウロは、シリア州へと船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀が起こったので、マケドニア州を通って帰ることにした。同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。この人たちは、先に出発してトロアスで私たちを待っていたが、私たちは、除酵祭の期間が明けた後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。

週の初めの日、私たちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。私たちが集まっていた階上の部屋には、たくさんの灯がついていた。エウティコと言う青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。

パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒がなくてよい。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った若者を連れて帰り、大いに慰められた。

聖書を使徒行伝20章からお読みします。先週の礼拝で創立100年の八王子基督教会を紹介しましたが、先週木曜日には、創立120年の教会の牧師が訪ねて来られました。北海道遠軽(えんがる)教会の牧師、H先生です。創立120年ということは、明治36年創立ということです。遠軽の町が開拓されると同時に教会が誕生したそうです。遠軽と言えば人口2万人の何の特産品もなく、自衛隊の基地でもっているような過疎地域だそうです。覚えてお祈りください。しかし教会創立百年とか120年というのは地方教会のことであって、唯一の公同の教会の創立はもっともっと古く、2千年を超えております。今お読みした使徒行伝の記録は、まさにその教会の草創期の出来事であり、使徒パウロの第三次世界宣教の記事です。

パウロはエペソでの働きを後に、マケドニヤに行き、ギリシャを訪ね、エルサレムに向かおうとしていました。19章21節には、パウロの決意が語られ、こう言ってます。『私はそこに行った後、ローマも見なくてはならない』更にローマ書の15章28節によれば、彼はローマの聖徒にこう語っています。「あなたがたのところを通ってイスパニアに行くつもりです。」ここに私たちは使徒パウロのスケールの大きな宣教のビジョンを見せられます。そして、そのパウロの宣教活動の今日の箇所によって、明らかにされているのは、その活動の中心が人々を励まし慰めることにあった事です。1節には「弟子たちを励ました」とあり、2節でも「人々を励ました」と繰り返されます。そればかりか、12節には「人々は大いに慰められた」とあります。この励ますと慰めるとは原語では同じパラカレオーであり、これを見ても宣教の中心が励ましにあったことが分かります。

1.聖言の慰め

では、何によって慰め励ましが人々に与えられたかは、2節の「言葉を尽くして人々を励ました」で明らかでしょう。そして、その語られた言葉が、パウロの口から語られたにしてもパウロ自身の言葉ではなく、神の言葉であったことに間違いありません。パウロは弟子のテモテに手紙で「私は厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい。」(テモテ第二4:2)と命じていたからです。なぜパウロはテモテに厳しく命じたのでしょう。それは、人の沈んだ心を慰め、励ます真の力は御言葉にあるからなのです。

先週月曜日に、再び岸和田のN兄がお訪ねくださり、ギデオンの機関誌を届けてくださいました。また、素晴らしい証が掲載されていたので紹介しておきましょう。今は63歳を数えるF姉の証です。『私は、インマヌエル幼稚園というミッション の幼稚園を卒園しましたが、その後、小中高校 は仏教の私立一貫校 に12 年間通い、キリスト教 とは触れ合いのない環境で育ちました。聖書との出会いは、高校の時の宿泊研修でホテルに泊まった際に、ベッドサイドにギデオン聖書が置かれており、"ご自由にお持ちください" とあり手にした時で、時々、持ち帰ったギデオン聖書を開いてみましたが、キリスト教に導かれるには、かなりの時間が必要でした。私は、21歳で最初の夫と学生結婚しました。 その相手の家の庭には大きな神社がありました。仏像を自ら彫る趣味があり、家族皆で百八か所御朱印巡りをする家で、私も毎日写経をしたり、その後新興宗教に入ったり、いろいろな遍歴がありました。けれども、学業は声楽専攻だったため、かたわらにはいつもギデオン聖書と、音楽を通してのキリスト教がありました。2 8 歳の時、私の声楽の生徒さんとして、近所の牧師一家がいらっしゃるようになり、導かれ受洗をしました。その次の年、妹と実家の母が、告白をして受洗へと導かれました。忘れられないのは、妹とは喫茶店で、ギデォン聖書の一番後ろの裏表紙にある"信仰告白の手引き"によって、イエス様の救いを話し導かれたことです。』F姉は、続く証によれば、40歳の時に、信仰を理由に家を追放され、それからは大変苦労なされたようです。そんなFさんをずっと支え、慰め励まし続けたのは、片時も離さなかった聖書であったと感謝を込めて証されておられます。パウロがエペソで三年近くも語り続けたのは、神の言葉でした。そして、今去ろうとする間際に、エペソの弟子たちを励ましたのも神の言葉によるものでした。それからパウロはエーゲ海をマケドニアに渡り、どうしたでしょうか。2節をご覧ください。「この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ました」とあるのです。人の心を真の意味で慰め励ますのは、神の言葉であり聖書なのです。

.慈善の慰め

人を慰め励ますのは、御言葉であると共に、弱さを覚えている人々に対する、具体的な愛ある援助の働きです。パウロは、この伝道旅行で、エペソからマケドニヤへ、更にギリシャに向かい、そこで三ヶ月過ごしたことが3節で分かります。ギリシャの何処かと言えば、それは彼が第二次旅行で開拓したコリント教会でした。パウロは、コリントに滞在した三ヶ月の間に、ローマ人への手紙を書いていたことが分かっています。その手紙の中で、彼はこう語っているのです。「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムに行きます。マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムにいる聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。それで、私はこのことをやり遂げて、募金の成果を彼らに確実に手渡したら、あなたがたのところを通ってイスパニアに行くつもりです。」(15:25、26、28)これで明らかなことは、このコリントでの滞在後に、エルサレムに行く目的が、エルサレムの貧しい聖徒たちに、諸教会から集めた募金を手渡すことであったということです。エルサレムの教会は、パレスチナを襲った厳しい旱魃による飢饉で、貧困に喘いでいました。そこでパウロは、かつて伝道して開拓した諸教会を巡回しつつ、募金を呼びかけたのです。その集まった募金をエルサレムに届ける、それが一つの大切な目的でした。

そして、ここで注目すべきことは、この募金を届ける働きをパウロは複数の人々に任せて実行していることです。4節には、この伝道旅行に同行した人々の名が挙げられていますね。ソパトロ、アリスタルコ、セクンド、ガイオ、テモテ、テキコ、トロフィモ、これだけで7人を数えます。それに彼らに加えて明らかにルカが同行していたでしょう。5、6節に「私たち」という言葉が繰り返されていますが、これはこの使徒行伝の著者であるルカ自身のことに間違いありません。彼らの出身地を調べると、彼らは、パウロが開拓した諸教会の代表者であります。このように多数の人を同行させた理由をパウロはコリント第二八章20、21節にこう語っています。『このような手順を踏んだのは、私たちが携わっている豊かな寄付について、人にとやかく言われないようにするためです。私たちは、主の前だけではなく、人の前でも公明正大に振る舞うように心がけています。』そうです。パウロは公的な基金の取り扱いには、慎重には慎重を期して、人々の批判を受けないように配慮したのです。教会の会計は公明正大でなければなりません。教会の会計を皆さんから信任された方々に委託するのはそのためです。このようにして、エルサレムの窮乏する弱っているクリスチャンたちに対する愛の援助が届けられようとしていました。人の心を慰め励ますのは、このような配慮ある愛の具体的な援助ではないでしょうか。

パウロは、コリントの教会に対して、マケドニアの教会がこの募金活動にどう対処したかをコリント第二8章1~4節に証しし、こう語っています。「きょうだいたち、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせましょう。彼らは苦しみゆえの激しい試練を受けていたのに、喜びに満ち溢れ、極度の貧しさにもかかわらず、溢れるばかりに豊かな真心を示したのです。彼らは力に応じて、いや私は証ししますが、力以上に、自ら進んで、聖なる者たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、しきりに私たちに願い出たのでした。」パウロと八人の一行は、これらの愛の思いやりのこもった募金をたずさえて、エルサレムに向かおうとしていたのです。やがて、エルサレムに届けられた援助金がどれだけ、困窮していた聖徒たちを慰め励ましたかしれません。私たちも、教会の内外に必要な状況が生じた場合には、このような具体的な慰めと励ましの活動を実行したいものです。

.復活の慰め

もう一つの慰めと励ましは、トロアスの教会の日曜礼拝で明らかになりました。パウロと一行は、マケドニヤ、ギリシャの滞在を終え、トロアスの街に辿り着き、そこで7日間過ごす最後の日曜、彼らはトロアスの信者たちと礼拝の時を持ちました。7節に、「週の初めの日、私たちがパンを裂くために集まっていると」とあるのは、初代教会がすでに礼拝を日曜に移して実施していたとされる最古の記録だと言われる箇所です。礼拝は、その建物の 3 階で開催され、「灯がついていた」ということにより、集会は夜行われたことが分かります。当時の日曜日は普通の労働の日であり、教会員の大半は、昼の仕事を終えて、集まったに違いありません。するとその時、一つの衝撃的な事件が発生しました。三階の窓辺に腰掛け、パウロの説教を聞いていた青年、ユテコが眠気を催し、うっかり窓から転落し、そのため即死してしまったというのです。青年ユテコも日中、働き詰め、説教を聞くため、集中していたのでしょう。会場には油を燃やす松明のために、空気は濁り、新鮮な空気を吸って、眠気を抑えるため、壁に穴を開けただけの窓辺に腰掛けていたのでしょうが、ついに眠気に捕らわれ 3 階から転落してしまったのです。何故、このような事件の詳細をルカは書き残したのでしょう。それは、教会の礼拝で居眠りすることに対する警告ではありません。説教を聞きながら居眠りするなどと不謹慎極まりない。そんな人は結果、このユテコのように罰せられるに違いない、というのではありません。教会の集会中に、眠たくなることはあるのです。避けられない場合が結構あるのです。説教がわかりづらかったり、長かったりするだけではなく、様々な理由で受けていた緊張が緩んで、眠気がさすこともあるのです。眠る時は、なるべく大きなイビキをかいたり、手にしているものを落下させて隣の人に迷惑をかけないようにしましょう。ルカがこの事件を特筆したのは、その時、皆が駆けつけ、恐らく医者のルカが、青年の容体を確かめ、死んでいるのを確認した後で、使徒パウロが、降りてきて、彼の上にかがみ込み、抱き抱えた時、何と死んだはずの青年が息吹き返し、生き返っていることが確認されたからです。パウロはこう皆に語りました。「騒がなくても良い。まだ生きている。」そう語って、再び三階に一同が戻り、集会を続行し、明け方までパウロが語り明かし、一向がトロアスを出発しました。そして、ルカはこう結んでいるのです。12節「人々は生き返った若者を連れて帰り、大いに慰められた。」と。トロアスの聖徒たちは、この出来事に全能の神の現実を実感させられ、励まされ、慰められたのです。

この事件は、あの列王記上17章の預言者エリヤがサレプタのやもめの息子が病気で死んでしまった時、エリヤが祈ると癒され蘇った出来事が想起されるものです。列王記上17章21節から読んでみましょう。エリヤは寡婦の願いを聞いて、「彼は子どもの上に三度身を重ね、主に叫んだ。「わが神、主よ、どうかこの子の命を元に戻してください。」主はエリヤの願いを聞き入れ、その子の命を元に戻されたので、その子は生き返った。エリヤはその子を抱いて階上の部屋から降りて家の中に入り、その子を母に渡した。そこでエリヤが、「御覧なさい。子どもは生きています」と言うと、彼女はエリヤに言った。「あなたが神の人であることが、たった今分かりました。あなたの口にある主の言葉は真実です。」」寡婦は、この息子に起こった奇跡により、預言者エリヤの語った言葉に大きな励ましと慰めを得たのです。それは絶望的な状況に置かれたとしても、全能の神様が共におられることを確信させるものであったからです。トロアスの教会員が、この青年に起こった出来事に見たものも同じでした。パウロが御言葉によって説教する神様が、誠に現実に生きて働いておられることを、彼らはこの一件によって確信させられ、大きな霊的慰めと励ましとを得たのです。

人は、非常な困難な状況に陥ると、場合によっては、神の存在が信じられなくなってしまうものです。物事が順調であるときは、神に感謝し、賛美を歌い、元気に過ごしているのに、試練や問題が自分の前に立ち塞がると、たちまち落ち込み、意気消沈し、塞ぎ込んでしまうのです。この青年の衝撃的な出来事は、教会の礼拝の集会の只中で起こりました。教会だからというので、イエス様を信じたので、それで問題がなくなるというのではありません。教会の中でも起こるし、個人にも起こるし、自分の家族、自分の職場、自分の地域社会にも起こるのです。しかし、感謝なことに、神の言葉が語られるところに、言葉に伴うしるしと不思議が起こるのです。それによって、全能の愛なる神様が共におられることが明らかにされるのです。エリヤは寡婦の死んだ息子の上に身を重ねて祈りました。使徒パウロも青年ユテコを抱き抱えて祈ったことでしょう。主なる神様は生きておられます。イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じなのです。パウロは、すでに息絶え死んでしまったユテコのために祈りました。問題を抱え、困難に直面し、ニッチもさっちも行かなくなった人の側に行って、寄り添い共に祈って差し上げましょう。その人が神様を信じられなくなっている、神様に祈れなくなっているかもしれない。しかし、共に祈るときに、その人は励まし慰めを得ることができるのです。遠く離れて祈れなくなっている人のために、代わりに執りなし祈って差し上げましょう。神は祈りに応えて不思議を行ってくださるに違いないのです。

今日、私たちは再び神様を礼拝するために、集まりました。何故でしょうか。それは、キリストが十字架に罪の赦しのため死なれ、三日目に日曜の朝、復活されたからです。私たちはどうしようもない自分の罪が赦されたことに慰められるのです。私たちは、死んだらもう望みが無いのに、キリストの復活により、復活の希望が与えられることで慰められ、励まされるのです。パウロはトロアスの信者たちに言いました。「騒がなくてよい。まだ生きている」今週も胸騒ぎがしたり、心騒がせたり、恐れたり、不安になったり、心配することがあるでしょう。しかし、「騒がなくてよい」のです!愛なる主が、インマヌエルの主イエス様が共にいてくださるからです。主は言われます。「私だ。恐れることはない。」

72日礼拝説教(詳細)

「キリストの真実」  ガラテヤ2章11~16節

ところが、ケファがアンティオキアに来たとき、責めるべきところがあったので、私は面と向かって非難しました。というのも、ケファは、ヤコブから遣わされた人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼を受けている者たちを恐れ、異邦人から次第に身を引き、離れて行ったからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。彼らが福音の真理に従ってまっすぐ歩いていないのを見て、私は皆の前でケファに言いました。

「あなたは自分がユダヤ人でありながら、ユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のようになることを強いるのですか。」

私たちは生まれながらのユダヤ人であり、異邦人のような罪人ではありません。しかし、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。

これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって義としていただくためです。なぜなら、律法の行いによっては、誰一人として義とされないからです。

今日の聖書箇所をお読みします。先日のこと、大きなユーパックが届き、開けてみれば、それは八王子基督教会の宣教100周年記念誌でした。教会員の皆さんは感無量でしょう。100年前というと1923年、それは関東大震災の年です。米国から派遣されたジェシー・ウエングラー宣教師によって働きが開始され、最初は坂本文三さんの家の日曜学校からスタートしたと言われています。その最初の初穂である坂本キミさんが献身され、宣教師の後を継がれました。戦後、その後を継承されたのが上原和雄牧師で、私は一度お招きを受けて八王子教会で説教したことを覚えております。1999年に上原先生からバトンタッチされたのが現在の和田佳士牧師、教会は祝福されて大きく成長しているようで誠に感謝なことです。

私たちの泉佐野福音教会と言えば、100年にはまだ成りませんが、1965年に阪口寿美子先生によって開拓伝道が開始され、もう間もなく二年後には60周年を迎えようとしております。現在、役員会の大切な議案の一つは、二年後の宣教60周年には何を記念行事としてするかとなっているのです。先週の信徒会で、皆さんにもアイデアを呼びかけたところ、沢山出ましたね。

ところで、100年前に、はるばるアメリカからウエングラー婦人宣教師が来て八王子で教会を始める、58年前には泉佐野市で、阪口寿美子先生が教会を始められる、一体何のため、何を目的に教会は開始されたのでしょうか?宣教です。福音の宣教です。そうです、分かりきった事です。ですから、私たちの教会は泉佐野福音教会と、福音が教会名にまで付けられていますね。今日読んだガラテヤの手紙は使徒パウロがガラテヤ教会に書き送った書簡です。そのガラテヤ教会をスタートさせたのはこの使徒パウロでした。パウロがガラテヤで教会をスタートさせた目的も全く同じです。福音の宣教です。福音を人々に伝え知らせるためです。ところが、このガラテヤでその肝心な福音が問題になっていました。この手紙によれば、福音が福音でなくなっていたのです。それでパウロが非常に嘆いていることが分かります。1章6、7節でガラテヤの教会にこう語っています。見てください。「キリストの恵みへと招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に移って行こうとしていることに、私は驚いています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人たちがあなたがたをかき乱し、キリストの福音をゆがめようとしているだけなのです。」今日、私たちは、2年後に60周年を迎えようとする今、改めて福音とは何か、私たちは教会として福音に立っているかどうかを、今日の聖書箇所から吟味するべきだと思うのです。

1.福音の歪曲

私たちのこの教会堂近くには大小三つの公園があります。二つの小さな公園が目の前にあり、私は今年から教会に面した三角部分だけでも除草することにしました。年に一回、最近は業者が綺麗に刈り込んではくれますが、忽ち勢いよく雑草が伸び始めるのです。私は先ず大釜で太く背の高い草を切り払いました。その後、鋏で切り揃え、後から出てくる草の芽をガス式火炎で焼き払うことにしています。しかし、どうでしょう。次から次と雑草は芽を出し、生え続けるのです。とうとう、私は鉄ぐわを購入し根こそぎにしようともしました。しかし、それで分かったことは、何年にも渡って放置されていたため、雑草の根が縦横に地中を張り巡らしていることだったのです。本当に雑草は根強いのです。キリがありません。使徒パウロが、自分が開拓したガラテヤの教会に見たものは、まさに一面に伸びだしている雑草でした。ガラテヤとは、今現在のトルコの国の中央部分に位置し、その教会に集まる人々のほとんどは、ユダヤ人からみれば異邦人で、彼らに福音を語った結果、救われた異邦人によってガラテヤの教会は形成されていたのです。パウロは生涯に三度の宣教旅行を試みました。その都度、ガラテヤを通過しては手入れをしていたことが分かっています。しかし、パウロはもっぱら巡回する使徒でしたから、後を誰かに任せていかねばなりません。問題は、パウロがガラテヤを後に去った後に、ある人々がやってきて教会を掻き乱し、福音の真理を歪曲し、変質させてしまっていたことです。それは、外部からやってきたユダヤ人クリスチャンが、律法主義の教えを持ち込んできたということなのです。2章15節で、パウロは「私たちは生まれながらのユダヤ人であり、異邦人のような罪人ではありません。」と言っていますが、この「私たち」とはパウロを含めたユダヤ人のことであり、ユダヤ人が考えていることを代表した発言です。そこには、冷めた非常に冷めた差別意識が打ち出されています。自分たちは神に特別に選ばれた選民なのである、神の民だ、神の戒め律法をきちっと遵守し、神との正しい関係に最初から入れられている祝福された者たちだ。しかし、それ以外の異邦人たちは、最初から神と関係がない罪人である、汚れている、律法にも縁がなく、堕落しきって滅びるばかりである。そういう徹底した考えです。このユダヤ人達に徹底していた思想、それは、神との正しい関係を保ち、神に認めていただくためには、神の定めた律法をきちっと守ることにある、ということであったのです。そういう訳ですか、そのユダヤ人の中からイエス様を信じたというユダヤ人クリスチャンの中には、イエス様を信じて救われるだけでは十分ではない、先祖伝来の律法をもきちんと守ってこそ、初めて完全に救われる、と考える人々が結構、当時はいたのです。そして、ユダヤ人であること、ユダヤ教徒であることの外的な印の典型が割礼でしたから、異邦人がイエス様を信じてクリスチャンとなっても、その上で割礼を受けなければ、完全に救われ、神との正しい関係に入れられているとは言えないと主張する人がいたのです。

私たちは、この律法主義問題が、初代教会では重大問題であったことを使徒行伝の15章のエルサレム会議を見ると理解することができます。使徒行伝15章1節は、こう切り出されています。「ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。そして、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい対立と論争が生じたので、この件について、使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムに上ることになった。」とあります。その結果、エルサレム教会の監督であったヤコブ、12使徒の代表であったペテロやヨハネを初め、全教会の代表が集まり、歴史上初めての教会会議が開催され、そこで福音と律法の問題が喧々ガクガク論議されることになったのです。15章の5節を見てください。「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と強烈に主張するユダヤ人クリスチャンの意見があったことが分かりますね。しかし、議論を重ねた結果、議長を務めたペテロが、最終的に結論をこう述べているのです。「議論を重ねた後、ペトロが立って言った。

「兄弟の皆さん、ご存じのとおり、ずっと以前に、神は、あなたがたの間で私をお選びになりました。それは、異邦人が私の口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。人の心をお見通しになる神は、私たちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らを受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、私たちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした。それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖も私たちも負いきれなかった軛(くびき)を、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのですか。私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」」これは素晴らしい結論でしたね。この会議でこの問題は、最終的に決着がついたのです。救われるためには、律法による行いも必要ないこと、ユダヤ人の印の割礼も受ける必要はないことが確認されたのです。しかし、律法主義は雑草の根のようです。ガラテヤの教会にはこの律法主義の思想を持つ人々が忍び寄り、福音が歪曲されかかっていたのです。

.福音の真理

では教会が固執するべき本当の福音の真理とは本来、どのようなことなのでしょう。2章16節でパウロが力強く明瞭にこう語ります。「しかし、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって義としていただくためです。なぜなら、律法の行いによっては、誰一人として義とされないからです。」ここには「律法の行い」が 3 回も繰り返されていますね。人は行いによっては義とされない、自分自身の行いによっては、神との正しい関係に入れていただくことはできないことが、ここにはっきり強調され打ち出されています。では、どうしたら救われるのか、どうしたら義とされるのか、神との正しい関係に入れられるのか、どうしたら、神の子としていただけるのか、それは一重に、「キリストの真実によって義としていただく」こと、それだけなのだと聖書は語るのです。私はこの箇所を他の聖書訳と比較するとき、非常に大胆な訳をしたものだと感心しています。他の、口語訳も含めて、ほとんどの聖書はここを「ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。」としているからです。違いがお分かりになるでしょうか。ギリシャ語の文法からすれば、私たちの今手にしている聖書訳は直訳であり、口語訳等、他の聖書は意訳となります。どこが違うのかと言えば、私たちの訳は、イエス・キリストのご人格が強調され、後者は信じる信仰が強調される向きがあるということです。原文はピスティス・クリストウ・イエスースです。これを直訳すると「イエス・キリストの信仰あるいは真実」なのです。それは、イエス様だけが、神に対して真実を全うして十字架につき、死から復活させられた。このイエス様の真実によって、神は人を義と認めてくださる。それが強調されているのです。パウロがここで「律法の実践」と対比しているのは、誰かがキリストを信じるという行為でもなく、キリストご自身の行為、すなわち、神の意志に対するキリストの揺るぎない忠実さや、神から見捨てられる状況に直面しつつ、死に至るまでも貫かれた、キリストの従順にあるのです。

私たちは常に信仰の大切さを口にしていますね。ヘブル11章6節でも「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神が自分を求める者に報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」その通りです。イエス様ご自身も幾たびも「あなたの信仰があなたを救った」と人々に言われました。長血の女に対して、エリコの盲人の乞食バルテマイに対しても、罪深い女が香油を注ぎかけた時にも、サマリヤ人の癩病人にも、そう言って激励されておられます。しかし、信仰はどこまでも手段であって救いの根拠ではないのです。信仰の故に救われ、癒やされるのではありません。信仰を通して救われ癒やされ清められる、救うのも癒すのも清めるのもイエス様なのです、イエス様の真実なのです。私たちは信仰を強調するがあまりに、信仰が行いとなってしまう危険性があることを忘れてはならないでしょう。

ルカ18章9〜14節にパリサイ派の人と徴税人の神殿での祈りのたとえが語られています。パリサイ派の人は神殿で、横の取税人を自惚れて見下しこう祈っていますね。「神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でなく、また、この徴税人のような者でないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。」しかしながら、もし徴税人が逆に、パリサイ派の人を見下して、こう祈ったらどうでしょうか。『神様、私は他の人のように週に二度も熱心に断食する者、収入の十分の一を献金する者、困っている貧乏人に施しをする者ではなく、この偽善なパリサイ人でないことを感謝します。私は祈っていません。奉仕もできません。聖書も読んでいません。何もしていません。でも大切な救いのパスポートである信仰だけは持っております。』これはおかしな話しでしょう。

人を罪から救い、神様との正しい関係に入れるのは、律法の行いではありません。信仰を証明する洗礼証書でもないのです。ただただイエス・キリストの真実なのです。続く20節で使徒パウロがこう告白しています。「私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。」イエス様の真実がどこに表れていると言っているでしょうか。「私を愛してくださる愛」にです、「私のためにご自身を献げられた」十字架の犠牲の死に現れている、とパウロは言っているのです。私たちはこれから、主の定められた聖餐式に預かろうとしています。いただくパンは十字架で砕かれたイエス様のお身体です。いただく盃は十字架で流されたイエス様の血です。イエス様は、私たちのおぞましい罪過ちの赦しのために、父なる神の御心に忠実に従い通され、犠牲の死を遂げられたのです。人は誰でも、このイエス様の真実、父の御心に従い続けられ、受難を耐え忍ばれたイエス様の真実の故に、罪赦され義とされ、救われるのです。

.福音の生活

その上で、この箇所で、聖書が私たちに語っていることは、この福音の真理を信じて、それではどう生きるべきか、ということです。そのため、パウロは非常に強烈な事例を取り上げ、11~14節に語ることよって、明らかに解るように教えています。11節をご覧ください。「ところが、ケファがアンティオキアに来たとき、責めるべきところがあったので、私は面と向かって非難しました。」ケファとは12使徒の長、ペテロのことです。初代教会の監督であり重鎮です。1章11節から2章10節までは、パウロとペテロのこれまでの関わり合いが語られており、それによってペテロがいかに重要な人物であったかが分かります。 全部読みませんが、ここには「おもだった人たち」という言葉が、2、6、9節に 3 回繰り返されており、それがヤコブとペテロとヨハネだったことが分かります。その9節では「つまり柱と目されるおもだった人たちは」と書かれ、彼らが初代教会の柱だったと言われているのです。その教会の柱、重鎮中の重鎮、ペテロをパウロが、何と面と向かって非難したと言うのです。大変なことです。とんでもないことです。何故ですか? 14節で彼はこう理由を語るのです。「彼らが福音の真理に従って真っ直ぐ歩いていないのを見て」これが非難の根本理由です。パウロがエルサレムを何回か訪ねたのは、自分の伝えている福音の理解が間違っていないかを使徒達によって確認するためでした。その時点では、イエス様から直接召された使徒達の福音理解とはスン分違わず一致していたのです。パウロの確信した福音は、ヤコブ、ペテロ、ヨハネの確信していた福音と全く同じでした。ところが、ペテロがエルサレムからアンテオケに来た時には、使徒の中の使徒ペテロがその福音の真理に従わず、何と横道に逸れてしまったと言うのです。

ペテロは、アンテオケに来て、異邦人達と食事をしました。アンテオケの教会は大多数が異邦人です。その異邦人達と食事をするということは、ユダヤ人クリスチャンは一級で異邦人クリスチャンは二級クラスだというのでは絶対にない、両方とも同じ神の民である、私たちは同じ教会共同体の仲間であることを確認する非常に大切な営みでした。ところが、しばらくすると、エルサレムから教会の監督であるヤコブから派遣された人々が来ると、ペテロは異邦人たちから身を引き、次第に離れて行ったと言うのです。これはその背景に、当時のエルサレムを巡る深刻な歴史状況を読み解かねば、なかなか理解し難い出来事なのです。

一言で言えば、当時のパレスチナにはユダヤ人の特にローマ帝国に対抗する民族主義が強烈に盛り上がりつつある状況がありました。それはやがて何年にも及ぶ激烈な反乱蜂起となり、遂に B C70年のローマ軍によるエルサレム包囲、そして悲惨な滅亡に繋がることになろうとしていたのです。そのユダヤ人たちは、異邦人とは絶対に関係を持とうとしません。ましてや食事を一緒にすることなどは決してしない。すれば、自分たちが汚れると確信していたからです。そんな彼らに、ペテロのアンテオケでのなりふりがエルサレムの熱狂主義的なユダヤ人に知れることがあったのでしょう。それによって、彼らがエルサレムの教会に圧力をかけ、何故異邦人と交際するのか、何故、割礼を改宗者に施さないのかと圧力をかけるようになっていたのでしょう。当時のエルサレム教会の監督であったヤコブは、そんな事情を踏まえて、アンテオケのペテロに自重することを、人々を派遣して促すことになったに違いないのです。ペテロはイエス様の弟子中の筆頭です。イエス様の福音を徹底的に理解し、従っていた使徒です。しかし、そんなペテロは、エルサレムのそのような難しい状況を理解した結果、不必要な刺激をエルサレムのユダヤ教徒に与えないように、アンテオケの異邦人から離れていくように、それとなく配慮しようとしたに違いないのです。しかしながら、その結果、どうでしょう。他のユダヤ人クリスチャンたち、そればかりか指導的なバルナバまでがペテロに倣い、離れて行ってしまったと言うのです。

パウロはこれを13節で「心にもない行い」と呼び、「見せかけの行い」とも呼びました。これを他の聖書訳では「偽りの行動」「偽善の行為」「偽善を演じた」と訳すのですが、使われている言葉は、ヒュポクリテス、偽善なのです。偽善の元々の言葉の意味は舞台役者のことです。仮面を被ってある人の役割を二位で演じることです。パウロは、事情はどうあれ、ペテロのこの行為は、偽善である、人に見せる演技だ、福音の真理に従って真っ直ぐに歩いていない、と非難せざるを得なかったのです。今日、私たちがそれぞれ置かれている状況は、勿論ペテロが2千年前にアンテオケで置かれた状況とは全く違っています。しかし、同様な過ちを犯す危険性を、私たちがいつも抱えていることを忘れないようにしましょう。イエス様を信じている、イエス様の真実によって救われている、にもかかわらず、他の誰かとの関係が気まずくならないために、心にもないことを行なってしまう、語ってしまう、見せかけの行いを演技してしまう、そんなことがあってはならないのです。それによって友人が離れるかもしれない。それによって家族の中で孤立してしまうかもしれない。会社の中でも隅っこに押しやられてしまうかもしれない。しかし、福音の真理に生きるためには、見せかけの行為をすることは、揺るがせにできないのです。

どうしたらいいのでしょうか?イエス・キリストの真実を見続けることです。十字架を仰ぎ、そこに自分に対するキリストの愛を、しっかりと受け止めることです。イエス様が自分の罪のために犠牲を払ってくださったことを心から感謝し、褒め歌い賛美の生贄を捧げることです。そうすることで、いつしか、自分自身もイエス様と同じ働きをするようにさせられ、イエス様と同じように語るようにさせられることに気づかされるのではないでしょうか。取り分け、教会での奉仕活動は、それが何であれ、人に見せるためであってはならないものです。人の機嫌を取るためであったり、人の賞賛評価を期待するようであってはならないものです。さあ、これから、主の晩餐に心を込めて預かりましょう。キリストの真実をこの聖餐式の中に見させていただきましょう。そして、「あなたの罪は赦された」という主の宣言を聞き分けることにしましょう。「あなたは私の目に高価で尊い。私はあなたを愛しているのです」と言う主の愛の語りかけを受け取ることにしましょう。そして、この新しい週を、福音の真理に従って真っ直ぐに歩むことにしようではありませんか。