6月25日礼拝説教(詳細)

「寂しい道行の人」  使徒8章26~39節

さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザに下る道を行け」と言った。そこは寂しい道である。フィリポは出かけて行った。

折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。

すると、霊がフィリポに、「追いかけて、あの馬車に寄り添って行け」と言った。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。

宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗って一緒に座るように、フィリポに頼んだ。彼が朗読していた聖書の箇所はこれである。

「彼は、屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている小羊のように口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。誰が、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」

宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、誰についてこう言っているのですか。自分についてですか。誰かほかの人についてですか。」

そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの箇所から説き起こして、イエスについて福音を告げ知らせた。道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 †そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。

使徒行伝8章26−39節、「ピリポとエチオピアの高官」と呼ばれる聖書箇所をお読みします。今日のこの箇所に登場する主要人物を挙げるとすれば3名だと私は思います。それは、伝道者ピリポであり、エチオピアの宦官、そして主イエス・キリストであります。そして、これら3名に共通するものがあるとすれば、それはそれぞれが、寂しい道を行く道行の人であったことです。

主の使いはピリポに「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザに下る道を行け」と指示を与えました。そして、「そこは寂しい道である。」と説明されました。この「寂しい」と訳されたエレーモスは寂しいの他に、孤独な、見捨てられた、惨めな、荒れ果てたとも訳され、その名詞の形なら荒野であり砂漠と訳されている言葉なのです。この寂しい道を伝道者ピリポは徒歩で降り、エチオピア人宦官は馬車で降り、この寂しい道で主イエス・キリストが宣べ伝えられ、受け入れられました。

I. 寂しい道行の人(1)

寂しい道行の人の第一は、主イエス・キリストです。エチオピア人の宦官は、その時、遥々旅してエルサレムの神殿で礼拝し、その帰る途中のことでした。彼がその長い旅の道中で、御者に運転される立派な馬車の中でしていたことは、聖書の巻物を、朗読することでした。その時、宦官が手にしていた聖書は、ギリシャ語訳のイザヤ書の巻物です。その当時、国際共通語はギリシャ語です。エチオピアの女王に仕えるほどの教養ある高官であった彼には、十分読むことのできる文書でした。当時、聖書を読むときは、声に出して音読することが普通であったとされています。その宦官の朗読を聞きつけたピリポは馬車に近づき、「読んでいることがお分かりになりますか」と尋ねました。すると、宦官が謙虚にこう願い出たのです。「どうぞ教えてください。預言者は、誰についてこう言っているのですか。自分についてですか。誰かほかの人についてですか。」するとそれによって、ピリポが「聖書のこの箇所から説き起こして、イエスについて福音を告げ知らせた」というのです。宦官がこのとき、朗読していたのは、イザヤ書の53章7、8節でした。イザヤ53章は、旧約聖書の中でもメシア預言中の預言です。「主の僕の苦難と栄光」と題される預言で、その苦難の僕とはイエス・キリストを指し示していたのです。改めて私たちの聖書から7−8節を読み直してみましょう。

彼は虐げられ、苦しめられたが、口を開かなかった。屠り場に引かれて行く小羊のように毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、口を開かなかった。不法な裁きにより、彼は取り去られた。彼の時代の誰が思ったであろうか。私の民の背きのために彼が打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。」ここから、私たちは主イエス・キリストが、寂しい道行の人であったことが3つの点で確認することができるでしょう。

   神から人への道行

先ず第一に、イエス様は神から人への道行を進まれた方です。聖書は至る所で、イエス様が神様であったが人と成られたと言います。その典型がピリピ2章です。そこには「キリストは神の形でありながら、、、人間と同じ者になられました。」とあるではありませんか。神は天地万物の創造者です。神は全知・全能・偏在です。神は万物を貫き、内在し超越したお方です。その本質は、霊であり、自存、永遠、無限、無窮、不変、唯一なのです。イエス様はその神であられるにもかかわらず、何と被造物である私達人間と同じになる道を、寂しい道を辿られたのです。

   主から僕への道行

そればかりか、イエス様は治め支配する主である立場から、人に仕える僕への道行を辿られました。主がこう言われました。「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(マルコ10:45)本来、仕えられるべき主なる威光の神が、仕える僕になる、それはまさしく、寂しい道行そのものではありませんか。

   義人から罪人の道行

そして、最も孤独で、見捨てられた、惨めな、寂しい道行、全く罪なき正しいお方であられたのに、罪深い罪人とされる道行に、あえて進み行かれた方です。「屠り場に引かれて行く小羊のように毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、口を開かなかった。不法な裁きにより、彼は取り去られた。」とイザヤが預言したのはこの事実に他なりません。イエス様は、弟子のユダに銀貨30枚で裏切られました。大祭司の審問の際には、弟子のペテロに否認されてしまいました。罪を全く認めることができないというのに、ピラトによって死刑が宣告され、重犯罪人として十字架刑に処せられました。主イエス様は、「誰も私から命を取り去ることはできない。私は自分でそれを捨てる」と言われたのです。主イエス様は、十字架を負わされ、悲しみの道、ドロローサをゴルゴダの丘に向かって進み行かれました。十字架への寂しい孤独な道は、ご自分で選び取られた道行であったのです。それは、ひとえに、人間の罪の赦しを得させる贖いの代価として犠牲になるためでありました。

II.  寂しい道行の人(2)

この寂しい道行の人・救い主イエス・キリストをイザヤ53章からピリポによって解き明かされたのが、もう一人の寂しい道行の人、それがエチオピア人宦官なのです。この宦官は、エルサレムでの神殿礼拝を終えて、その帰路、ガザへの道を馬車で進みゆく途中でした。ガザとは、地中海東岸に沿った地域で、古代では、中東からエジプト、アフリカに向かう要所でした。アフリカで商う隊商は皆ここから出発したとされています。因みに現在のガザといえば、パレスチナ自治政府の行政区画なのですが、何と「天井のない監獄(牢獄)」と呼ばれています。長さ50キロ、幅5キロに200万人以上が暮らし、50%以上が失業状態で、世界でも人口密度が最も濃い、しかも最貧困地区となっている所です。

しかし、エルサレムからそこに至る道は当時、荒涼とした荒地であり、危険で寂しい道行でした。そして、それはそこを通るエチオピア人宦官の内面そのものを象徴するものではなかったでしょうか。何故、このエチオピア人宦官は多大な犠牲と時間を掛けて、危険な旅を冒してまでして、エルサレムの神殿礼拝に出かけてきたのでしょうか?エチオピアの国名は、ギリシャ語でアイトスオプシア(陽に焼けた人の国)が後にエチオピアとなったと言われます。古代ギリシャ人やローマ人たちは、「陽に焼けた顔を持つ人」としてアフリカの黒人をエチオピア人と呼んだのです。当時の実際のエチオピアは、現在の地図上のエチオピアとは違い、エジプトの南のスーダンあたりであったようです。その国の統治する実権を掌握していたのは、王様の母親であり女王でした。エチオピア王は太陽の子と看做され、神聖な人物であるから世俗に関わる職分は果たすべきでないとされていたためでした。その女王カンダケの全財産を管理する高官がこの宦官でした。宦官とは、自分で男性の性的機能を切除したか、他人に去勢されたか、していたため、女王に仕える宮内官として宮廷に勤務が許された特殊な人物なのです。この宦官は、女王に献身的に仕える宮内官であり、財産管理能力を有し、高度の教育を受けた知的に優れた人物でした。彼は自分の子孫を残せなくても生涯女王に仕えることを決断した献身的な人物です。女王の信頼できる側近中の側近でした。しかし、彼には自分の身分や財産や知識ではどうしても満たすことのできない心の渇きがあったのではないでしょうか。消え去ることのない苦悩、解決できない弱さや惨めさが深まるばかりではなかったのではないでしょうか。それが彼を突き動かし、神を求め真理を探求する旅へと駆り出したに違いないのです。1000キロ以上もの道を、何日も掛けてエルサレム神殿を訪ねました。彼がどのような経験をし、どのような扱いをそこで受けたのか、私たちには詳細を知る由もありません。ただ、ユダヤ教が支配する神殿では、異邦人の庭にしか入ることが許されません。しかも、彼自身が宦官であるために、異邦人改宗者にさえしてもらうことができなかったはずです。何故なら、申命記の律法には、「睾丸の潰れた者、陰茎を切り取られたものは、主の会衆に加わることはできない。」(23:2)と規定されていたからです。何となく満たされない悶々とした気分で、憂さ晴らしでもするかのように、買い求め得たギリシャ語訳のイザヤ書を音読していたのでしょう。

しかし、その時です、彼に突然光が差し込めたのです。馬車に接近する見知らぬ男性が問いかけ、この男性から、今し方音読していたイザヤ53章から、イエス様が解き明かされることとなったのです。宦官が「預言者は、誰についてこう言っているのですか。」と尋ねると、ピリポがそこから解き起こし「イエスについて福音を告げ知らせた」のです。ここに預言されているイエス様が「屠り場に引かれて行く子羊のように」十字架上で殺害されましたが、それは、あなたの罪の赦しのためでもあったのです、とピリポは解き明かしたに違いありません。そして、恐らく、イザヤ書の更に先の56章を開いて読んで聞かせ、この預言も今成就したと告げたに違いないのです。「主(しゅ)に連なる異国の子らは言ってはならない「主はご自分の民から私を分け離す」と。宦官も言ってはならない「見よ、私は枯れ木だ」と。主はこう言われる。宦官が私の安息日を守り私が喜ぶことを選び私の契約を固く守っているならば、私の家と城壁の中で、私は、息子、娘にまさる記念のしるしと名を与え消し去られることのないとこしえの名を与える。」(3−5)宦官はそこで直ちに信仰を告白し、ピリポの手によって近くにあった水場で洗礼を授けられました。

この宦官は、今を生きる我々に重ね合わせられないでしょうか。時代も身分も立場も経験も人種も全く違います。しかし、我々もまた、人知れず、寂しい道行の人ではなかったでしょうか。一ヶ月程前に岸和田のN兄が訪ねて来られた際に、ギデオンの機関誌をお届けくださいました。そこに鳥取の教会のTさんのこんな証し文が載せられていたので紹介しておきます。

2019年の夏、長らく勸めた会社を辞め、大きなヒジョンを持って知人と起業しました。その数ヶ月後、あるビジネスのシーンで、ギデオン会員のIさんに出会いました。市川さんはなぜか昔からの友人のように思え、その後もたびたび二人で会うことが多くなりました。会うたびにIさんは、イエスさまのことを熱心に話してくれました。仕事の用件で会っても、9割がたはイエスさまの話でした。彼の話はいつもイエスさま。変な人だなあ、と最初の頃は思っていました。ある時、教会の礼拝に誘われて、初めて礼拝に行きました。礼拝は何か別の世界のことに思え、語られるメッセージも他人事のように感じました。しかし、教会の方たちは暖かく私を迎えてくれました。これを期に礼拝に出席するようになりました。当時、私は仕事や家族のことで疲れ果ててしまい、絶望に近いものを感じていました。自死さえも考える程でした。自分で何とかしようと努力をしても、自分ではどうにもできず苦しんでいました。そんな時でした。無性に教会の礼拝に行きたい、それも毎日でも。という思いが募ってきました。みんなと一緒に賛美したい、メッセージを聞きたい、と私の心が渇望していました。礼拝で賛美し、み言葉からのメッセージを聞き、祈ると、心の中に平安が訪れてくるのを覚えました。そして神様に委ねることを知りました。自分では何もできないことが起きても、心の内に平安があり、安心して事を進めることが出来ました。こんな経験の中で、私はイエスさまを信じる決心をしました。20204152339分、電話でIさんにそのことを伝え、深夜の信仰告白をしました。419日礼拝後、私の信仰告白をIさんから聞いた同じ教会のギデオンのメンバーが、 ギデオンの大型聖書を取り出して、裏表紙にある「聖書に示された神の救いの計画」を示し、私の信仰の決心の確信を『その決心が出来たら、ここに署名をするように。』と導いてくれました。そこに示されたみ言葉と、その聖句に基づいての導きにより、私の罪を赦すために十字架に架かってくださったイエスさまを信じる確信を得ることが出来ました。そして、教会の兄弟が毎週礼拝後に、聖書の学びをしてくれました。20201220日クリスマス礼拝の日、教会の兄弟姉妹たちに祝福されてバプテスマを受けました。イエスさまに出会い、ボーン・アゲイン、私は変わりました。

2000年前にガザで宦官が経験された救いが、この高橋兄にも経験されたのです。これは私たち個々人の経験そのものではありませんか。

III.      寂しい道行の人(3)

ここで忘れてならないことは、宦官が救われるのにも、Tさんが救われるのにも、彼らに福音を解き明かした器が存在していたことです。エチオピア人の宦官が救われたのは、ピリポが天使の指示によってエルサレムからガザに至る道を降ったからです。その道とは寂しい道でした。荒野の砂漠の道でした。ピリポもまた寂しい道行の人であったのです。突然、天使がピリポに与えられた指示は、不合理極まりないものです。ピリポとは、使徒行伝6章で寡婦達への配給の奉仕に選ばれた「聖霊と知恵に満ちた評判の良い7人」と言われたうちの一人でした。その後、そのうちのステパノの殉教事件がきっかけで、エルサレムの教会が散らされる事態に発展した時、ピリポはサマリアに移動して伝道者として活躍し、人々にキリストを伝えた結果、大勢が救われ、癒やされ、目覚ましい結果が生じていました。そこに、エルサレム教会の本部からペテロとヨハネが派遣され、信じた人々に聖霊が授けられたことが、この8章中程に記されていることが分かります。その後、ペテロとヨハネがエルサレムに帰るのに合わせて、ピリポもエルサレムに向かい、その後に、彼の住まいのあるカイザリアに帰ろうとしていたに違いありません。

そんなピリポに、たった一人で、ガザに向かう寂しい道を行け」と命じられたのです。それは、非常識であり、理不尽、不合理極まりません。彼の家のあるカイザリアは同じく海岸に面した町でしたが、ガザとは正反対に位置していました。その天使の命令には、ただガザに下る道を行け、という指示だけであって、何のために、何をするために行くのか、その目的すら明らかにされてはいないのです。しかし、どうでしょうか、27節をご覧ください。「ピリポは出かけて行った。」とあるではありませんか。ピリポは天使に何故かと問うことも無しに、直ちに出かけたのです。これは信仰の姿勢そのものです。神への従順さの姿勢そのものです。ピリポは、天使の指示に従い、聖霊の促しに従って、宦官の馬車に近寄り、彼に聖書を解き起こして救いに導き、洗礼を授けるや、直ちに聖霊に連れ去られ、その後も様々な町々で福音を伝えて行きました。

福音の宣教を志す者は、寂しい道行の人です。寂しい道、荒れ果てた道、砂漠の道、危険な道、不合理と思われるような道を信仰を持って進み行く人です。福音の宣教、伝道は神様の業です。ルカの著したこの使徒行伝は、使徒達の宣教活動の記録と思われていますが、そうではないのです。使徒行伝ではなく聖霊行伝とも言うべきです。神は宣教の主です。復活の主は、ルカ24章47節の箇所では「その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、すべての民族に宣べ伝えられる。」と語られました。その同じ復活の主イエス様は、使徒行伝1章8節では「ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、更に地の果てまで、私の商人となる。」とも語られました。

今、私たちは、この8章において、その主の語られた通りに、福音宣教が進められていたことを見せられます。ピリポはサマリヤで福音を宣べ伝え、今まさに、異邦人の最初の改心者が起こされんとしていたのです。エチオピアの女王カンダケの高官、宦官が救われることは、宣教の主のご計画であったのです。教会史を書いたユウセビウスは、この宦官は伝道者となりエチオピアに福音を宣べ伝えた先覚者であったと伝えています。エジプトからスーダン、エチオピアにかけて古代からコプト教と呼ばれるキリスト教会が存在してきたことが知られています。

現代においても、宣教の主であるイエス様は、寂しい道行の人ピリポを必要とされます。福音の宣教、伝道には合理的なスマートな方法などはありません。聖霊が導かれる宣教の道は、しばしば不合理であり、理解しがたい困難で複雑な道なのです。どんな犠牲を払ってでもエルサレムに礼拝に行こうとした渇いた魂のエチオピアの宦官を救うために、寂しい道行の人ピリポが用いられました。事業に疲れ、家庭問題で行き詰まり悩んでいたTさんが救われるためにビジネスマンのIさんが用いられました。教会の5つの目的は、礼拝、宣教、教育、交わり、奉仕です。その宣教の目的は、寂しい道行の人であることに甘んじる器によって達成される課題であります。今日の聖書箇所を読んでいて、37節が欠落しているのに気がつかれたでしょうか。本来は無かったのでしょうが、後から当時の教会が付加したとされた文章であるため、この書の最後に残されていますから、読んでみましょう。「フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。」これは、初代教会の洗礼式の形式であったのです。宦官はこのように信仰を告白して救いの恵みに預かりました。イエス様を信じているけれども洗礼を受けていない方は、是非、近い将来に公に告白して受洗されることをお勧めします。新しいこの週の歩みが、寂しい道行となることを祈りましょう。聖霊が促される時には、不合理に思える方向でも、信仰を持って進みゆくことにしましょう。そこに、主が救うことを計画された魂が待っておられるに違いないのです。

618日礼拝説教(詳細)

救われるべき名」  使徒行伝4章12節

 この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。

聖霊降臨第四週の今日、使徒4章1〜12節をお読みします。去る5月28日は、2023年度の聖霊降臨記念日でした。主の約束されたその聖霊が降られた結果、歴史上に誕生したのがキリスト教会でした。4日の礼拝にネットで検索して来会されたご夫妻の奥様がクリスチャンでしたが、「メノナイトの教会です」と、ご自分を紹介なされました。メノナイト教会は、16 世紀に欧州で誕生した教会で、アナバプテストとも呼ばれ、幼児洗礼受けていても大人になったら洗礼を受け直すことを主張する群れでした。聖霊降臨日に教会が誕生してから、この二千年の間に、無数の教団教派がキリスト教会に誕生してきました。しかし、異端を除いて、すべての教会は一つの教会に属するのであって、枝葉末節で違いはあっても、同じ一つの群れであることを、私たちは覚えておくことにしましょう。その教会が何を主張し、何をメッセージとしてきたのか、それを確認させるのが、実は今日の聖書箇所なのです。教会のメッセージは、時代が変わり、文化が変わり、人種が違っても、決して変更されたり、水増しされたり、付け足したりしてはならないものです。使徒ペテロが、ここでその教会を代表し、そのメッセージをはっきりこう語りました。「この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

今お読みした箇所は、ずっと3章から続いており、3章には、エルサレム神殿の「美しの門」で、生まれつきの足萎えの乞食が、使徒ペテロとヨハネにより、瞬時に癒されるという奇跡の出来事があったことが分かります。この時、あまりにも衝撃的な奇跡が、目の前に起こったために、大勢の群衆が二人の使徒を取り囲み、その群衆にペテロが力強く説教しているのが、その後で分かります。その時です、この騒々しい出来事を重大視した神殿関係者が彼らを逮捕したのです。一晩留置し、翌日、議会を開催して、二人の使徒たちを尋問しています。そして、議会の議長を担当した大祭司アンナスが、厳しく詰問してこう詰め寄ったのです。

「お前たちは何の権威によって、誰の名によってこんなことをしたのか」するとこれに対して、大胆率直にペテロが怯むことなく、答えてこう言いました。「民の指導者たち、また長老の方々、今日私たちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によって癒やされたかということについてであるならば、皆さんもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中から復活させられたナザレの人イエス・キリストの名によるものです。」そして、その上で、ペテロが宣言したのが、この12節の発言なのです。

.救わるべき我々

ペテロのこの発言によって語られた教会のメッセージの第一は、私たち人間は救われるべき存在であるということです。ペテロが「私たちが救われるべき名」と語った時、ここに「救われるべき」と表現したのは、人間誰しもが、例外なく絶対的に救われなければならない状態にあることを強調したからです。この場で、この救に直接関わっているのは、明らかに「美しの門」で癒された生まれつきの足萎えの乞食です。彼は、私たちの人間的な見地からしても同情されるべき人でしょう。彼は先天性の足の障害者です。そのため福祉制度など全くないその時代、生きていくためには、乞食をする他ありません。実は、この生まれつきの足なえの乞食が、ここで、絶対的に救われなければならない私たち人間全てを例外なしに代表しているのです。私たちは今朝も、この礼拝で使徒信条を信仰告白いたしましたね。しかし、これは最小の信条であって、人間の悲惨さについては「かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを裁きたまわん」とキリストの終末の審判を告白することで、間接的に言い表しているに過ぎません。

キリストの教会は、今日に至るまで、ハイデルベルグ信条、ウエストミンスター信条とか、幾つもの信条を生み出してきました。その一つのウエストミンスター信条の第六条人間の堕落と罪、及びその罰についてでは、こう告白しているのです。「私たちの始祖は、サタンの悪巧みと誘惑に唆され、禁断の木の実を食べて罪を犯した。」更に「この罪によって、彼らは原義と神との交わりから堕落し、こうして罪の中に死んだ者となり、また、霊魂と肉体のすべての機能と部分において全的に汚れたものとなった。」更に「私たちをすべての善に全くやる気をなくさせ、不能にし、逆らわせ、またすべてのあくに全く傾かせている、ところのこの根源的腐敗から、すべての現実の違反が生じる。」まだまだ信条告白は続くのですが、果たしてこれは言い過ぎ極端でしょうか。いいえそうではないのです。私たち人間の現実的悲惨さは目も当てられない程であって、救われなければならないのです。

人類の始祖であるアダムが罪を犯した結果、人間は神との交わりが断たれてしまいました。罪の結果、人間の性格は汚され、恥と堕落と不潔感を持つものとなりました。罪は肉体にも恐ろしい影響を及ぼし、人間は罪の裁きとして死ぬことが避けられなくなっているのです。そればかりか、罪の影響は私たちの住む環境全体にも、重大な悪影響を及ぼしていることは、周知の事実であります。もう一つのハイデルベルク信仰問答では、人間の悲惨について「罪の中にあるが故に悲惨であるとは何を意味しますか」との問いに対して、その答えは「わたしは神と自分の隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いているからです。」と告白するのです。これが私たちの悲惨な現実であることを、どれだけ実例を挙げれば、人は納得するのでしょうか。ウクライナで長引くロシアとの悲惨な戦争はどうでしょうか。若い青年が劇薬で女性を殺害した事件はどうでしょうか。先週騒がせた衝撃のニュースは、18歳の自衛隊候補生が三人に小銃を放ち、二人を殺害してしまった事件です。これらは、片隅で起こった例外なのでしょうか。それとも私たち自身に関わる深刻な問題なのでしょうか。教会は、謙遜にそれでいて大胆にメッセージを語らねばなりません。私を含め、我々、例外なく、人間は皆、救われなければならない悲惨な状態に置かれているということなのです。

.他に救い無き名

その上で、ここでは、教会が語るべき第二のメッセージが明らかになります。それは、この悲惨な人間を救いうる名は、イエス様を他には全く存在しないということです。使徒ペテロとは、あのキリストが逮捕され尋問された大祭司の中庭では、三度も恐れてイエス様を「私は知らない」と否認した、あのペテロのことです。ここでは、何と打って変わって大胆に、ペテロは「この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」と権威ある立場の人々に言ってのけたのです。ここで、ペテロは二重否定の仕方で、「意外にはありません」「ほか、与えられていません」と救いの唯一性を力強く強調しました。教会のメッセージとは何でしょうか。イエス様が唯一の救い主であり、他に救い得る名は、絶対的に無いということです。

これに対して教会を批判する人が沢山おります。「キリスト教はそれだから独善的だ、排他的だ、不寛容だ」と言うのです。日本人の好む態度はあの一休和尚の和歌「分け登る麓の道は多かれど、同じ高嶺の月を見るかな」なのです。しかし、それは真理ではありません。救いの真理はイエス様であり、イエス様だけしかないのです。そしてイエス様が唯一絶対の救い主である理由証拠をあげるとすれば、ここで3つ挙げることができます。

①救い主として預言され来臨されたこと

その第一の証拠は、聖書を通じて救い主が神から遣わされることが古くから預言されていたということです。使徒ペテロは、集まった群衆に対して、その預言の一つを取り上げてこう語りました。3章22節です「モーセは言いました。『あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、私のような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることには、何でも聞き従え。』」これは旧約聖書の多くのメシア預言の有力な一つです。 主なる神様は、古くから救い主を遣わされると約束しておられました。イエス様の到来は神による預言の歴史的な成就実現なのです。

②人を救うため十字架に付き復活されたこと

その第二の証拠理由は、私たちに罪の赦しを得させるために、十字架に付けられ復活されたことです。使徒ペテロは、群衆に対してはっきりとこう語りました。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、私たちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。あなたがたは命の導き手を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。私たちは、そのことの証人です。」(使徒3:13~15)私たち人間の悲惨さの根本原因は、その犯した罪にあると先にお話しいたしました。イエス・キリストが十字架に付けられたのは、その罪を引き受け、身代わりの犠牲となり、罪の赦しを得させるためだったのです。しかも、神様はイエス・キリストを復活させられ、その救いの確かなことを実証されました。今や、イエス・キリストを救い主として信じる人は誰でも罪赦され、救いの恵みに預かることができるのです。

③救いの確かさを証する証人が立っていること

イエス様が唯一救い得る名であることの理由証拠の第三は、その場に復活された生けるイエス様の御名により癒された証人が立っていたことです。大祭司達は、議会の裁判で二人を詰問し、「何の権威によって、誰の名によってこんなことをしたのか。」と問い詰めました。ペテロはそれに対して「こんなこととは、病人に対する良い行いのことか」と問い返し、こう宣言することができました。「皆さんもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中から復活させられたナザレの人イエス・キリストの名によるものです。」ペテロは、イエス様が救い主であることは、この足なえが奇跡により癒されたことが決定的な眼に見える証拠だと語ったのです。14節にはこう書いてありますね。「足を癒された人がそばに立っているのを見ては、何も言い返せなかった。」この足を癒された救い主の名は、天下のこの名のほか、人間には与えられていません。この足を癒された方の名、イエス、それは神が与えられた名です。乙女マリアに天使ガブリエルが現れ、「その子をイエスと名付けなさい」と受胎告知したクリスマス物語をご存知でしょう。マリアの妊娠を気遣っていたヨセフに天使ガブリエルが現れ、「その子をイエスと名付けなさい」と命じたことをご存知でしょう。

イエスとはヘブライ語ではヨシュアであり、その名の意味は「神は救いたもう」なのです。名は単なる記号や呼び名ではなく、存在そのものです。名は体を表し、その存在の実体そのものです。イスラエルでは、イエスもヨシュアも日本名の太郎のようで一般的な名前ではあります。しかし、その名が神によって命名されたときに、それは特別な意味、救い主の名となりました。その意味で、イエス様の皆は、類例がなく、他の誰にも与えられていない唯一の救い得る名なのです。

.冠して信じる名

ここに明らかにされる教会の語るべき第3のメッセージは、この唯一の救い主の御名を信じるなら救われることです。3章の16節を見てください。ペテロは群衆に語っています。

「このイエスの名が、その名を冠した信仰のゆえに、あなたがたの見て知っているこの人を強くしました。その名による信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全に癒したのです。」実際にどのようなことが起こったのかを検証してみることにしましょう。この日、この時、ペテロはヨハネと共に、ユダヤ人の慣習に習って午後3時の祈り時間に、エルサレムの神殿に上りました。祈りの時間を定刻に実行することが、ユダヤ教徒には習慣化されていました。昔、ダニエルも日に三度跪いて祈っていたことが知られています。使徒行伝を読んでも、クリスチャンたちも実践していたことが知られていますね。コルネリオは午後3時の祈りをしているときに、天使の呼びかけを受けました。ペテロは昼12時の祈りの最中に幻を見せられています。祈りは天国につながるライフラインです。人は祈るときに不思議に導かれるに違いありません。ペテロが祈ろうと神殿境内に入ろうとすると、「美しの門」に置かれた乞食に物乞いされます。ペテロと乞食の対話は非常に短く、ペテロは一言、「私たちを見なさい」と言い、「私には銀や金はないが、持っているものをあげよう」と語り、「ナザレ人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と命じ、右手を取って立ち上がらせたのです。するとどうでしょう!事態は一変してしまったのです。彼は癒され、躍り上がり、歩き、走り、踊り、讃美しだしたのです。ペテロはこれを解説し、この40代の乞食を癒された方はイエス様であると言います。しかし、その奇跡をもたらすのを現実化したのは、「主イエスの名を冠した信仰」にあると言うのです。ここで、誰の信仰かを特定していません。

「このイエスの名が、その名を冠した信仰のゆえに、あなたがたの見て知っているこの人を強くしました。」(3:16)ペテロの信仰とも言えます。また、乞食の信仰とも言えます。そのどちらでもあるでしょう。イエス様の御名を信じる信仰が強め、癒したのです。しかし、ここで最も強調されているのは、その信仰そのものがイエス様により与えられていることです。人間の信仰の力ではありません。信仰、信じること自体が神の恵みであり賜物なのです。聖書の至る所に「名によって」という言葉が散りばめられています。

マタイ18:20では、「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」と約束されています。

ヨハネ 14:14 には、「 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。」と約束されている。 

ヨハネ 16:24には、「 今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。」と約束されている。

使徒 4:30では、「 そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい。」と弟子達が祈っている。

コリント1 1:10では、使徒パウロが、「さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。」と勧告しています。

コロサイ 3:17では、「 そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。」と勧められています。

ヤコブ 5:14では、「 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。」と癒しを実践するよう勧告されています。

何故「名によって」すべてをするのでしょうか。それはイエス様が生きておられるからです。イエス様に権威が権能が力があるからです。

りんくうタウンにある巨大なショッピングモール、「アウトレット」には、世界中のブランド商品が軒並みですね。そこに、次から次へと来客が押し寄せてきます。何故ですか。有名なブランド商品が手に入るからでしょう。しかし、ブランド中のブランド、比較にならないブランド名はイエス・キリストなのです。ロサンゼルスに住む韓国人の眼鏡屋の店主が、テレビにある広告を出しました。その広告とは、その眼鏡屋の店主がなれない口調で「私は眼鏡のことしか知りません」とただ一言だけ言うものでした。当時、大ヒットし、広告の大賞まで受賞したそうです。眼鏡屋で眼鏡のことしか知りませんと言えることは誇りであるということです。それは、クリスチャンにも言えることではないでしょうか。クリスチャンにとって「この方だけ」と、イエスだけを求め、イエス様だけを誇れることは幸せなことなのです。

 

今日私がハモニカで演奏した讃美歌は、聖歌の118番が原曲で、これを第一次世界大戦中に、黒人兵士たちによって黒人流に改変されて広まった曲です。この曲には有名なエピソードが付いています。この曲は、アメリカの人種差別撤廃運動の先頭に立ったマーチン・ルーサー・キング牧師の愛唱賛美で、彼が銃弾に倒れた時、最後の息を引き取る瞬間に口にした言葉が、この賛美の最初の一句であったことです。彼は一言、「Precious Lord, take my hand」と口にし息が切れたのです。それは、「尊い主よ。私の手をつかまえてください」でした。キング牧師も「この人による以外に救いはありません。」と、イエス様を唯一の救い主と信じる人だったのです。聖歌785番はこう歌います。「慕いまつる主なるイエスよ 捉えたまえ我を 道に迷い 疲れ果てし 弱き僕われを」「風はつのり 夜は迫る されど光見えず 御手を伸べて 助けたまえ 恵み深きイエスよ」新しい週が今日始まりました。私たちもまた私たちの信仰にイエス様の御名を冠していただき、「御手を伸べて 助けたまえ 恵み深きイエスよ」と祈りつつ、1日1日を進みゆくことにいたしましょう。

6月11日礼拝説教(詳細)

「この家を一杯に」  ルカ14章15~24節

同席していた客の一人が、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。

そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕(しもべ)を送り、招いておいた人々に、『もう準備ができましたので、お出でください』と言わせた。ところが、皆、一様に断り始めた。

最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。ほかの人は、『牛を五対買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。僕は帰って、このことを主人に報告した。

すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで、町の大通りや路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』

やがて、僕が、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、

主人は言った。『街道や農地へ出て行って、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。言っておくが、あの招かれた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいない。』」

今朝はルカ14章からお読みいたします。先週も申し上げたように5月28日は五旬節の聖霊降臨記念礼拝でした。その聖霊降臨第二週の先週の礼拝では、私たちが神の国の相続人であることに、聖霊が深く関わっているとお話ししました。その聖霊降臨第三週の今日は、その神の国をもう一歩踏み込んでお話しすることになります。今日お読みした箇所は、「大宴会の喩え」と言われるイエス様の語られた譬え話です。ルカ14章の最初を読むと、イエス様がパリサイ派の議員宅で食事をされたことが分かります。その席に同席していた一人の客が、イエス様の話を聞いていて思わず口にした言葉がきっかけで、実はこの譬え話が語られているのです。この同席の客はこう口走りました。「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう 1.神の国の到来

神の国とは、幾たびも申しているように、この地上の地図で確かめられるような国のことではありません。神の国とは、神様が王として永遠にすべ治める完全至福の支配のことです。 その神の国がいつ到来するのかについては、聖書で繰り返し論じられている大切な課題です。

イエス様の公生涯の最初のメッセージは、「時は満ち、神の国は近づいた。」(マルコ1:15)でした。この主の語られた「近づいた」は非常にデリケートな表現です。これは「神の国が既に到来した」を意味すると同時に「神の国は、まだこれから到来する」を意味する含みのある表現です。神の国はイエス様がお生まれになったことによって既に到来しました。しかし、その完全な神の国の到来は、イエス様の再臨を待たねばなりません。私たちは、神様に選ばれて、この既に到来している神の国の相続人であります。かつまた、やがて到来する完全な神の国の相続人とされているのであります。

近頃、戦争開始から一年4ヶ月を過ぎたウクライナ戦争の戦況が報告される中で、ドニエプロ川のダムが破壊されたと報じられました。その下流域が大変な洪水に見舞われ、とてつもない被害を受けていると言われています。このウクライナに攻め入ったロシアについては、様々な角度から関心が寄せられています。聖書の終末論からすれば、世の終わりにイスラエルに大挙して攻め寄せる、とエゼキエルに預言されたマゴグのゴグのことではないかとされています。エゼキエル38章1節に、こう預言されます。

「人の子よ、メシェクとトバルの頭である指導者、マゴグの地のゴグにあなたの顔を向け、彼に向かって預言して、言いなさい。主なる神はこう言われる。メシェクとトバルの頭である指導者ゴグよ、私はあなたに立ち向かう。私はあなたの向きを変え、顎に鉤を掛け、あなたとその全軍、馬と騎兵を連れ出す。彼らは皆、完全に武装し、大盾と小盾を持ち、剣を取る大部隊である。」そしてさらに38章12節には「あなたは、略奪し、強奪するため、今は人の住むようになった廃虚に、そして諸国民の中から集められて今は家畜と財産を得て地の中心に住むようになった民に、手を上げようとしている。」とも預言されています。

ここで「地の中心」という言葉は直訳すれば「地の臍(へそ)」となります。アフリカとアジアと欧州が重なる場所に、すなわち世界の臍に当たる場所に位置するイスラエルのことを指し示している言葉です。この復興させられたイスラエル、「諸国民の中から集められて」住むようになった国をマゴグのゴグが略奪のために侵略することになる、と預言されているのです。このマゴグの地とは、カスピ海と黒海の間にある地域だと言ったのは「ユダヤ古代誌」を書いた古代の歴史家ヨセフスでした。そこからも、このマゴグのゴグはロシアではないかと推測されるのも当然かもしれません。それはともかくとして、私たちが聖書の預言に、私たちの生きる現代世界を照らし合わせて見て気付かされてくることは、聖書の語る世の終わり、即ち終末が非常に近づいていることです。そして、世の終わりは世界の破局であると同時に、それは、神の国の完全な到来の時であることをも覚えておくことにいたしましょう。

そればかりか神の国の完全な到来は、私たち個人の生と死に深く密着しているものです。ルカ14章の最初から概観してみましょう。イエス様は、パリサイ派の議員宅の食事に出席した際に、皆の見ている面前で、安息日であるにも関わらず、水腫で病む人を瞬時に癒されたことが分かります。更に続けて、その食事に同席した人々に二つの教訓を語られました。その一つは、招待された場合の席の選び方についてです。自分勝手に上席を選ばずに、末席を選ぶようにしなさいと言われました。その二つ目に語られた教訓は、どんな食事でもお客を招待するのであれば、お返しのできないような人々を招くようにと教えられました。ゆとりのある人々を招くなら、招いたあなたをきっと招き返してお返しをすることになるだろう。だから、お返しのできない人々を招きなさいと勧告されました。そして、その理由として語られたのが、11節なのです。「そうすれば、彼らはお返しができないから、あなたは幸いな者となる。正しい人たちが復活するとき、あなたは報われるだろう。」

この「正しい人たちが復活するとき」、つまり、人が復活する時、この時こそ、神の国の完全な到来の時なのです。復活とは一度死んだ人間が蘇ることです。人は一度死ぬことと死んだ後に裁かれることが定まっている、と聖書では教えられています。人は死んでそれでおしまいなのではありません。必ず蘇るのです。そして人の死後の甦り、復活において、人は必ず二種類に分けられることになる、裁かれるために復活させられる人と、報われるために復活する人とにです。我々人間の人生は非常に短いものではありませんか。実に束の間の儚い(はかない)人生なのです。しかし、人はその短い人生をどのように生きたかによって、死後に決着がつけられることになるのです。死んでも報われるために復活する人とは、「正しい人たち」です。聖書では、「義人はいない、一人もいない」と言われています。完全な人、正しい人はいません。全ての人は罪を犯しているからです。しかし、唯一正しい人、義人がいるのです。それが信仰による義人なのです。イエス・キリストを救主と信じて、罪赦された人です。その人は、どんなに積み深くても、どんなに不義なる者であっても、ただ信仰により恵みにより義とされた人です。その人も勿論、一度死ぬことは避けられません。しかし、義人として、正しい人と神様に認められ、復活するときには、報われるのです。その報われるときこそ、神の国が到来する時なのです。イエス・キリストが再び来られ、完全な神の国が到来する時なのです。

.神の国の食事

その正しい人が報われる神の国を、ここでイエス様は宴会に喩えられました。この喩えは14章1節から、ずっと続く箇所に繋がっています。事の発端はといえば、イエス様がパリサイ派の議員宅での食事に出席したことからですね。この箇所は、よく見ると食事で始まり食事で終わっています。この食事の席で、イエス様は婚礼の祝宴の席の座り方を教え、昼食や夕食の会を催す場合に誰を招待するべきかを教えておられます。そして、それを聞いていた客の一人が「神の国で食事する人は、なんと幸いなことでしょう」と心に感じて思わず叫んでいるのです。そこで、イエス様が神の国を大宴会に喩えられておられることには、一体どんな意味があるというのでしょうか。私たちが食事をするということには、ご存知のように主要な三つの目的がありますね。

食事の第一の目的は、誰でも言わなくても分かりきったことで、健康維持のため栄養を摂取するため、活動に必要なエネルギーを摂る為です。昨年、ご存知のように私は直腸癌の摘出手術を受け、結果的に37日間入院を余儀なくされましたが、その大半の期間、点滴で栄養補給されてはいたものの、絶食で過ごしました。その結果、経験したことは、6キロも体重が減少し、痩せ衰え、ヨロヨロと歩くのが精一杯の有様であったことです。それによって、改めて食事を定期的に摂ることの大切さが、身にしみて分かった次第です。

そればかりではありません。食事をするのは、社会性維持のために必要不可欠な営みであるからなのです。卑近な言い方をすれば「同じ釜の飯を食う」と口にするのは、同じ共同体が同じものを食べることによって、共同体としての帰属意識を持つこと、あるいはそれを強化することを意味しているからです。一人で黙々と食べることがいけないと言っているのではありません。健康を維持し活動のエネルギーを摂取するためには、とりあえず何かを口にすることは必要不可欠です。ところが、一緒に誰かと食事をすることには、非常に豊かな経験が付随しているのです。私たち人間は社会的な生き物であり、共同して共に生きることが基本です。そして、その共同性、社会性を強化し絆を強くする効果が、食事を共にすることには含まれているということなのです。

幹事さんが準備して呼び掛け、会社でも何かと新年会や忘年会など宴会をすることがあるでしょう。結婚式に続いて披露宴で賑々しく会食を共にするのも新しい家族となった相互の絆を強化するためでしょう。しかし、そんな大袈裟な宴会でなくとも、一般家庭での三度三度の家族でいただく食事にも、社会性維持のための大切な効果があることを忘れてはなりませんよね。生活の多様化が進んで、一緒に食事を摂ることが少なくなりつつあることは、家族関係の絆を強めるためには大きな問題ですね。意識的にも家族で揃って食事を摂るように心がけたいものです。教会で愛餐会が重んじられるのもそのためです。イエス様ご自身が弟子たちとよく食事を共にされていました。そして、初代教会でも彼らは家々でよく食事を分かち合っていたことが知られています。それは、信仰共同体の絆を強化維持するため大切な役割を果たしていたからに違いありません。

食事の第三のそして最も知られた目的は、食事には喜びが伴うことです。食べることは人間の基本的な喜びの一つなのです。最近入手した本で、それこそ愉快に読ませてもらった本に「美味礼賛」というフランス人の美食家ブリア・サヴァランが書いた本があります。昔、フランスでナポレオンが活躍した時代に、裁判所長官なども務めた非常に多才な人物で、贅沢な食通では決してなく、本当の意味で食事をすることの豊かさを、解き明かしているユニークな人物なのです。少し抜粋して紹介すると、彼曰く、「生命がなければ宇宙もない。そして生きとしいけるものは皆養いをとる。禽獣は食(く)らい、人間は食べる。教養ある人にして初めて食べ方を知る。胸につかえるほど食べたり酔っ払うほど飲んだりするのは、食べ方も飲み方も心得ぬ輩(やから)のすることである。造物主は、人間に生きるがために食べることを強いるかわり、食欲によってわれわれをそこに誘い、美味によってわれわれを支え、快楽によって我々に報いているのだ。」彼は神様を信じる美食家だったのですね。 要するに食事をすることは楽しく喜ばしいことなのです。そうではありませんか。逆に食事が楽しくなければ、大切な目的を失ってしまうことになります。

あのパリサイ派の議員の食卓で、一人の客が「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」と叫んだ時に、イエス様が、神の国を大宴会で喩えられたということは、神の国が言い尽くせない喜びと楽しみに満ち溢れた豊かな経験であることを教えられるためであったのです。イエス様を信じたクリスチャンとは、神の国の相続人となるよう神様に選ばれた人々です。そして神の国は、すでにこの世に並行して存在しているのであり、完全な到来はキリストの再臨を待たなければなりませんが、クリスチャンとなることは、神の国の特上の喜び楽しみを、すでに預かり味わい知ることが許されているのです。

私は 16歳で、何故か近くの教会に足を踏み入れたのですが、それから、通い続けることを何故かやめませんでした。私の通った教会は、いつも紹介してきたように、米軍の払い下げた波板鉄板のカマボコ兵舎でした。内壁といえば、安いペンキの塗られた薄いベニヤ板であり、断熱材などありませんから、夏は暑く、冬はそれは寒い、酷いボロ家でした。しかし、私は何故か通ったのです。母親が怪しみ、「お前は何故そんなに足しげく教会に通うのかい」と質問するのですが、理由を私はよく説明できません。今思えば、ただただ教会に集まることが楽しくて楽しくてたまらなかったからなのです。「美味しい食事が出たか?」ってですか?いえいえ、若い牧師がご馳走してくれたのは、単純な手作りラーメンでした。それも、醤油と味の素とラードを入れた丼に熱湯をそそぎスープを即席で作り、茹でたラーメンを入れてかき混ぜるだけです。それでも何故か楽しかったのです!それは何故でしょうか?イエス様を信じた者たちを、神様が治めてくださるからなのですね。本当に不思議なことです。楽しいのです。

III. 神の国の招待

その喜ばしい神の国に、誰が招かれるかを語っているのが、実は、今日のこの大宴会の譬え話なのです。ここに大宴会に招かれた三種類の人々が出てきますね。ある人が盛大な大宴会を催そうとして大勢の人を招きました。恐らく正式な招待状が名簿に従って送り届けられたに違いありません。やがてその予定された大宴会の日となったので、主催者は僕(しもべ)を招待者に遣わし、「もう準備ができましたので、お出でください」と言わせました。ところが、「皆、一様に断り始めた。」というのです。招待状が届いた日に断っているのではありません。大宴会当日の開催時間になって断ったのです。招待した主人は、ここでは王様ではないようですから、同じ町中に住む者同士に違いありません。これは重大な名誉と恥の問題です。招待された者たちは、宴会出席を断ることによって、招待者の顔に泥を塗ったことを意味します。名誉を甚だしく傷つけてしまったのです。いやそれ以上に、断ることによって、招待者を侮辱し、自分たち町仲間の間から招待者を締め出してしまうことをも意味しました。

最初の二人の断る理由は経済的なもので、三人目は結婚が理由でした。第一番目の人は畑を買ったから調査に行かねばならないことが理由です。当時の農民は高額税金のため農地を売らなければならない人が多かったといわれており、小作人になったり、農奴となるのが普通でした。それなのに彼は畑を買うのですから、町でも裕福な有力な人物であったに違いありません。第二番目の人は牛を五対買ったから、買った牛を調べるからというのが理由です。10頭の牛が耕せる畑の広さは10万坪だといわれます。反でいえば333反、町で言えば33町です。相当広い畑です。彼もまた裕福な有力人物であったに違いありません。

第3番目の人は妻を娶ったからだということが理由です。イスラエルの律法では、結婚したら1年間は兵役義務が免除されるという規定がありました。戦争には行かなくても家で妻と過ごすことが許されたのです。しかし、宴会を断る理由にはならないのではないでしょうか。要するにこの最初に招かれた人々の断る理由は、理由にならない理由です。宴会に出たくないから、理由のための理由なのです。

この最初に招かれた人とは、イスラエルのことです。イエス様は公生涯の末期、エルサレムに近づきつつありました。13章の最後の部分に、エルサレムのために嘆かれるイエス様の姿が描かれています。その34節をお読みします。「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めんどりが雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」 神の民と言われたイスラエルは、救い主であるイエス様が来られた時に、受け入れようとしませんでした。私たちは、それから僅か40年後に、エルサレムがローマ軍に包囲され滅ぼされてしまったことを歴史上で知っております。

この最初の招待者たちが断った時、主人は怒って僕に言いました。「急いで、町の大通りや路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。」これは12節のところで、イエス様がご自分を招いたパリサイ派の議員に、招くならこのような人を招けと勧告した人々のことです。すなわちお返しのできない人々、貧しい人です。病気の人々です。「町の大通りや路地へ出て行き」大きな町であれば、人々の居住区域は、それぞれ身分階級によって決まっていました。中央には神殿が聳え、その周辺には祭司たちや裕福な金持ちが住みつき、その周辺には距離を置いて堀を掘って仕切ることにより、貧乏人が住み分けていたのです。この2番目に急いで招待された人々とは、イスラエルでも差別され除け者扱いにされていた取税人たちや売春婦たちや罪人たちのことです。イエス様の周りに集められ、食事を共にした人々は取税人であり売春婦たちでした。 神の国へ招き入れられた招待者は、社会で見放された人々だったのです。

では最後に招かれた人々とは誰のことでしょう。僕が急いで大通りに出て行って人々を招待し終えた時に、僕は主人にこう報告しました。「ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります」すると、主人が僕にこう申しつけたのです。「街道や農地へ出て行って、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。」この「街道や農地」とは、それは堀で仕切られた町の中でもなく、城壁で仕切られた町の外、町の人とは無縁の見知らぬ人々の住む地域のことです。これはイスラエルとは全く無縁の異邦人のことを指し示しているのです。主イエス様は復活され、昇天される前に弟子たちに約束されました。「ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる。」(使徒1章8節)私たちが使徒行伝に見るのは、イエス様が語られた通りに、福音が異邦人世界に広められていく歴史ではありませんか。その観点からすれば、今ここにいる私たちは「無理にでも連れてこられた人々」、異邦人の範疇に入る者なのです。この最後に招待されている人々、主人が無理やりにでも連れてくるように僕に命じられている人々、彼らは異邦人である私たちのことなのです。

エペソ2章11~13節に、聖書は私たちのことをこう語っています。『だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前は肉において異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。その時、あなたがたはキリストなしに生き、イスラエルの国籍とは無縁で、約束の契約についてはよそ者で、世にあって希望を持たず、神もなく生きていました。しかし、以前はそのように遠く離れていたあなたがたは、今、キリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。』そうです。感謝しましょう。今この時代に、異邦人である私たちは神の国の食事に招待されているのです。

そして、この主人の僕に対する言葉を、「この家をいっぱいにしてくれ」を、今日、私たちに対するチャレンジとしても受け止めることにいたしましょう。神の国の大宴会にはまだまだ空席が残っているということです。ペテロ第二の手紙の3章では主の再臨の遅れが問題視されますが、ペテロはこう答えています。「愛する人たち、この一事を忘れてはなりません。主のもとでは、1日は千年のようで、千年は1日のようです。ある人たちが遅いと思っていますが、主は約束を遅らせているのではありません。一人も滅びないで、すべての人が悔い改めるように望み、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」神様は人間を創造された時、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と祝福されました。神様は、神の国の大宴会の席もまた満席になることを望まれるのです。主イエス様は弟子たちに至上命令として言われました。「行って全ての国民を弟子としなさい」そうです。神の国の大宴会には「まだ席があります」主は「この家をいっぱいにしてくれ」と語っておられます。私たちもこのために祈ろうではありませんか。私たちも僕となって、人々に呼びかけ、神の国の至福の宴席に招かれていることを告げ知らせようではありませんか。

6月4日礼拝説教(詳細)

「神の国の相続人」  エペソ1章11~14節

キリストにあって私たちは、御心のままにすべてのことをなさる方のご計画に従って、前もって定められ、選び出されました。それは、キリストに以前から希望を抱いている私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。

あなたがたも、キリストにあって、真理の言葉、あなたがたの救いの福音を聞き、それを信じ、約束された聖霊によって証印を受けたのです。聖霊は私たちが受け継ぐべきものの保証であり、こうして、私たちは神のものとして贖われ、神の栄光をほめたたえることになるのです。

今日の聖書箇所をお読みします。エペソ1章からです。先週5月28日は聖霊降臨記念日でした。続く今週は聖霊降臨記念第二週礼拝日と言われ、この箇所を選んだのは、ここにも聖霊のご人格とその働きとが語られているからです。その働きとは、私たちが神の国の相続人とされることに関して、聖霊が重大な役割を果たされるところにあります。相続とは、亡くなった方の財産上の権利義務を承継することです。私は、かつてウイーンに10年滞在中に、遺産の相続を体験しました。私の父が102歳で死んだために、兄弟五人で遺産を分け、私もそれによって300万円を相続することになったのです。それがウイーンでの活動にどれほど役だったか知れません。大きな助けとなりました。しかし、今日お話ししようとする相続は、そういう相続ではありません。神の国の相続のことであります。

I. 相続の資格

11節をお読みします。「キリストにあって私たちは、御心のままにすべてのことをなさる方のご計画に従って、前もって定められ、選び出されました。」これによれば、私たちは神様によって選ばれたと言われます。しかし、これだけでは私たちが何のために選ばれたのかがよくわかりません。ところが、実はこの「選び出されました」という言葉によって、相続人として選ばれたことがはっきり分かるのです。何故ならば、この「選び出す」の原語クレロオーは、籤(くじ)引きの「くじ」を意味するクレロスから派生した動詞で、同じこの「くじ」を意味するクレロスから、相続遺産を意味するクレロノミア、相続人を意味するクレロノモスも派生しているからです。 ですから、この新しい訳の私たちの聖書は「選び出されました」と訳していますが、他の訳では、「相続者、継ぐ者、受け継ぐ者」と訳している聖書があるのです。それゆえに、何のために神様が私たちを選ばれたかといえば、相続人として選んでくださったのです。

さらにまた、では何を受け継ぐ相続人であるかについては、それが神の国であることが、エペソ5章5節や、使徒20章32節、コリント第一の手紙6章10節、同じ15章50節などに明記されていることが分かってまいります。

そして、今ここで一番問題となるのは、「私たちが神の国の相続人として選び出されました」と言われるのですが、その相続人の資格のことです。遺産を相続する場合には、遺産相続人の資格が無ければ、相続することは法律的には絶対許されません。聖書が、私たちの遺産相続の資格をどこで明らかにしているかというと、それが、このエペソ1章の前に記されている4、5節なのです。4節によれば、神様は私たちを「キリストにあって私たちをお選びになった」と言われていますね。5節によれば、神様は私たちを「キリストによってご自分の子にしようとお定めになった」とも言われています。神様は私たちを選ばれました。しかも「自分の子にしようと」選ばれたのです。すなわち、これは本当の自分の子供ではないのに、自分の子供とすること、養子縁組のようなものです。

先週、あるニュース解説で、ウクライナ情勢が伝えられている中、戦争被災地に残された人々を支援する「聖職者大隊マウリポリ」の活動が紹介されました。ロシアに占領されてしまったマウリポリの町には、逃げ遅れて地下室で細々と暮らしている市民や老人が沢山いるそうです。そのような市民に物資を届けようと、そのマウリポリ出身の56歳の牧師が30人ほどの牧師たちに呼びかけて立ち上げた支援活動だそうです。彼は毎日危険を冒してでも、逃げ損なった人々に、毎日自動車で救援物資を届ける活動をしているのです。その牧師が言いました。「私には三十六人の子供がいます。全員養子縁組した子供ばかりです。その他に私には自分の子供が三人おります。」その養子した子供達の一人で、すでに結婚して赤ちゃんを産んで母親となった女性がロシア兵に無惨にも殺害されてしまったと涙ぐんでいました。

養子縁組とは自分の子供ではないのに、自分の子供とすることです。神様が、キリストによって、私たちにされたこととは、まさにこの養子縁組なのです。私たちは、本来は神の子供ではなかった、否むしろ、神を知らず、罪を犯し、神に敵対していたのに、神様は私たちをご自分の子としてくださったのです。それは、御子イエス・キリストが十字架で罪の身代わりとして死んでくださったからです。それによって罪の赦しが得られるようにされたからです。この御子イエス様を信じたので、私たちは罪赦されて神の子とされたのです。そこで神の子として資格が与えられたので、神の国の相続人として選ばれたのです。

そればかりではありません、その相続人であることを証明する証印が押されているとこの聖書は言っています。13節をお読みします。「あなたがたも、キリストにあって、真理の言葉、あなたがたの救いの福音を聞き、それを信じ、約束された聖霊によって証印を受けたのです。」この「証印」とは、人や物にしるしを付けて刻印することです。日本はハンコの文化、印鑑の文化の国ですからよく分かるでしょう。認印のことです。疑う余地なく自分のものである印のことです。先週の水曜日の祈祷会では、使徒行伝19章1~7節より聖霊のバプテスマについて語りました。使徒パウロがエペソに辿り着き、そこで出会った12人の弟子たちに尋ねた問いは、「信仰に入った時、聖霊を受けましたか。」でした。そして、彼らに按手して祈ると聖霊が彼らに降られたというのです。これは、信じた12人に神様からの証印が押されたことなのです。パウロが13節の言葉を語った時には、あの使徒行伝19章の出来事を思い起こしつつ、ここに言及しているのです。

II. 相続の保証

神の国の相続人の資格が、子として選ばれることにより確定され、聖霊の証印が押されて疑いの余地のないものとされるばかりか、14節によれば、遺産相続が聖霊により保証されるとも言われています。「聖霊は私たちが受け継ぐべきものの保証であり、こうして、私たちは神のものとして贖われ、神の栄光をほめたたえることになるのです。」この「保証」とは、手付金のことです。あとで全額を支払う保証として前もって一部分支払われる金、保証金のことです。私たちが「受け継ぐべきもの」とは、神の国です。聖霊はその保証だと、手付金だと言われるのです。聖霊が保証、手付金であるとすれば、聖霊は未来の先取りということになります。神の国の相続は、与えられた聖霊の賜物によって、すでに享受され始めているということです。神の国とは、神様の支配です。支配領域のことです。それはこの地上のどこかの国々のことではありません。私は、世界中のすべての国を見たことは勿論ありません。それでも欧州に10年滞在することで、随分沢山の国々を見せていただきました。ロシアのモスクワにも行きました。フィンランドのヘルシンキや、フランスのパリ、イタリアのベネチアにも行きました。どこの国も独特で素晴らしいものです。そればかりか、それによって日本の良さも一層よくわかるようになりました。

ところがどうでしょうか。どの国も素晴らしいユニークな国々であるにもかかわらず、今現在、私たちを取り囲む世界の現状は、深刻さを増すばかりではないでしょうか。先週はまたまた、北朝鮮が偵察用衛星打ち上げ実験を実施し失敗したと報じられました。だから、近いうちに再度実験をするというのです。昨年2月24日のロシアによるウクライナ侵略作戦は、今現在でも武力によって他国に戦争を仕掛ける脅威が取り去られていないことをまざまざと、私たちは見せつけられました。核弾頭を保有する国同士が戦ったら人類は全滅すると分かっていたのに、もう戦争はしないだろうという楽観論が、吹き飛んでしまったのです。日本とフランス、英国が協力して最新鋭の戦闘機を2035年までに完成しようと契約が結ばれたとも報じられました。各国は武器開発に躍起となり、武器輸出で儲けようとしているのが、悲しいかな現状なのです。

しかし、神の国はこの地上の国々の只中にやってきたのです。イエス・キリストによってもたらされた全く新しい国なのです。それは、神様に治められる生活です。それは、イエス様を信じた人々の生活の中にすでに始まり経験されている国です。使徒パウロはそれを一言でローマ14章17節に言い表してこう言いました。「神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。」その人が求めてやまない関係の正しさ、心の平安、そして内から湧き上がる喜びの保証として聖霊が来てくださったのです。保証、手付金が、全部支払われる前に、前もって支払われる一部分であるように、聖霊は神の国の手付金として、イエス様を信じたクリスチャンに、すでに与えられているのです。

先週の金曜日は、台風2号が接近し、線上降水帯が発生したためでしょうか、大変な集中的豪雨に襲われましたね。皆様はどのように過ごされたでしょうか。実は、私と家内は、以前から、この日に北陸の松任市から三人の姉妹達が、私たちに会いたいと、ただその目的で来られるという計画予定でしたので、楽しみにしていた日でした。計画では、彼ら三人は午前11時9分にりんくうタウン駅に到着、午後3時9分には帰路に着くという日帰りの予定でした。往復6時間、滞在 4時間の文字通り駆け足旅行です。ところがです、朝の7時55分にSMSで「無事サンダーバードで出発しました」と連絡を受けたかと思えば、次々と情報が入るのです。豪雨のため帰りの便は運休と分かったので緊急に携帯で大阪市内ホテルを予約した!到着は11時30分になります!さらに遅れて45分になります!結果、実際に到着したのは12時だったのです。それから昼食を共にし、更に5時過ぎには夕食をも共にし、車で駅まで送り、7時半にはりんくうタウン駅で分かれたのです。

ところが、これは翌日昼頃、メイルで分かったことでしたが、駅に着いて分かったことは、南海電鉄が全便運休であること、そこで、どうしようもないので、兵庫県の川西市に住むA姉の娘さんに電話し、車で迎えに来てもらうことになったというのです。そして昨日の午後3時半ごろ、N 姉から直接電話が入り、「今、家に帰りました」と連絡を受けた次第でした。これは災難と言えば災難です。ところが、この三姉妹達は大喜びだったのです。感謝で一杯なのです。何故ならば、日帰り予定では実質4時間の滞在がその倍になったこと、積もり積もった話しが、思う存分十分にできたこと、そして、おまけに、駅で娘さんの車を待つ1時間、何とそこで、アメリカの十五人ほどの学生達が楽器で演奏するのを聴くことができたと言うのです。日本で 4回演奏会を実施し、沖縄に向かうとことを雨で足止めされたためでした。彼らはクリスチャンの学生達だったそうです。

私はこれらの報告を思うと不思議な神様の配剤であると、言わざるを得ず、心から感謝した次第なのです。私は彼ら三人との今回の再会を通して、改めて、彼らにかつて起こった出来事を思い起こして、そこに神様の支配の素晴らしさを見せられ、ただただ神様の御名を賛美するのです。

三人のうちのA姉はご自分の息子さんの味わったとんでもない苦難をきっかけに救いの恵に入れられた方でした。彼は大学卒と同時にシロアリ駆除専門会社に就職しました。ところがその会社は、極端な長時間労働や過剰なノルマ、残業代・給与等の賃金不払をするという典型的なブラック企業、彼は6ヶ月でノイローゼにかかり退職する、その結果、極度の鬱病に陥ってしまったのです。困り果てていた A姉に無二の親友の U姉が、自分の姉が教会に行っているからその牧師に相談してみたらと持ちかけたのです。それがきっかけで牧師の私も彼らに関係することとなり、非常に難しい局面を何回も通らされましたが、これをきっかけに二人の姉妹が教会に通うようになり、彼もまたイエス様を信じて洗礼を受け、今に至るまで休むことなく出席し、ドラムを叩いて賛美奉仕までしておられるのです。二人の姉妹達は、ご主人が未信者でしたから、洗礼を受けることは初めから諦めていました。ところが、私たち夫婦のウイーン赴任が確定した途端に、その行く前に洗礼を受けたいと願われ、それぞれの夫に嘆願して、とうとう許可を貰い、受洗されることになったのです。そして、私たちがウイーン滞在中にも、この三人の姉妹達が2010年8月に揃って来られ、一週間も旅行を楽しまれたのです。彼らは、そのアルバムをも持参し、喜びに溢れて証してくださいました。私はそこに彼らが相続した神の国の手付金をいただいているのを見せられるのです。やがてイエス様が再臨される時に完成される神の国の全部を、勿論彼らは相続していません、見てはおりません、経験してはいません。しかし、やがて完全に相続する神の国を先取りしておられるのです。素晴らしいことです。感謝なことです。

III. 相続の効力

神の国の相続人の資格が、子として選ばれることにより確定されました。聖霊の証印が押されて、相続は疑いの余地のないものとされました。14節により、遺産相続が聖霊により保証されるとも言われています。それで最後に、私たちが相続するその効力がどこにあるかを、もう一度確かめてこのお話を終わりたいと思います。ヘブル9章15~17節をお読みします。「こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された違反の贖いとして、キリストが死んでくださった結果、召された者たちが、約束された永遠の財産を受けるためです。というのは、遺言の場合、遺言者の死が条件です。遺言は人が死んで初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は効力がありません。

ここで最も重要な言葉は17節です。「遺言は人が死んで初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は効力がありません。」そうですね。遺言状がきっちりと書き留められていても、その相続はたった一つの条件だけが効力を発揮させるもので、それは遺言者が死ぬことです。「遺言者が生きている間は効力がありません。」神の国の相続の効力もまた同じ原理です。私たちの相続が決定的に有効になる、それは神の御子イエス様が、十字架で死なれたからなのです。この遺言と契約という二つの言葉の原語は全く同じディアテーケーです。主は、最後の晩餐の席上でこう言われましたね。「この盃は、私の血による新しい契約である。」(コリント第一 11:25)この契約は遺言とも訳せる言葉です。これから、私たちは聖餐式に預かろうとしております。聖餐式の意味は、キリストの十字架の死によって、罪が赦され、神様の約束が全て、信じる者に有効になるということです。それは神の国の相続が、信じる私たちに決定的に有効になったことを確証するための儀礼なのです。遺言がキリストの死によって有効になったので、信じる私たちは永遠の財産を受けることができるのです。

天の父なる神様は、私たちをご自分の子とするために、キリストにあって選んでくださいました。神様は、キリストの十字架の死によって、その相続を決定的に有効にしてくださいました。さらに、聖霊を神の子である証拠として押印してくださり、聖霊を手付金として支払ってくださいました。

今日、この聖餐式に預かることによって、私たちは、神の国を先取りさせていただき、神の国の祝福を今週も豊かに経験させていただくことにしましょう。そうすることによって心の深みから、神の栄光を褒め称えることにいたしましょう。