の6月30日礼拝説教(詳細)
「時空超越の神の愛」 ヨハネ4章43〜54節
ふつかの後に、イエスはここを去ってガリラヤへ行かれた。イエスはみずからはっきり、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と言われたのである。ガリラヤに着かれると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。それは、彼らも祭に行っていたので、その祭の時、イエスがエルサレムでなされたことをことごとく見ていたからである。
イエスは、またガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にかえられた所である。ところが、病気をしているむすこを持つある役人がカペナウムにいた。この人が、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞き、みもとにきて、カペナウムに下って、彼の子をなおしていただきたいと、願った。その子が死にかかっていたからである。
そこで、イエスは彼に言われた、「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう」。この役人はイエスに言った、「主よ、どうぞ、子供が死なないうちにきて下さい」。イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。
彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。その下って行く途中、僕(しもべ)たちが彼に出会い、その子が助かったことを告げた。そこで、彼は僕たちに、そのなおりはじめた時刻を尋ねてみたら、「きのうの午後一時に熱が引きました」と答えた。それは、イエスが「あなたのむすこは助かるのだ」と言われたのと同じ時刻であったことを、この父は知って、彼自身もその家族一同も信じた。これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第二のしるしである。
先週の礼拝が終わってから、ひどく気の毒に思わされたことがありました。京都に在住される方が、礼拝が終わった頃に到着され、遅れた理由が、列車の人身事故であったことを告げられたからです。人身事故も気の毒であり、その為、計画予定が狂わされた方々もまことに気の毒です。何故、この方は、京都からはるばる教会に来ようとされたのでしょうか。礼拝で神の言葉を聴き、神様を礼拝したいと望まれたからでしょう。主は「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きる」と語られました。使徒パウロは、弟子のテモテに「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい」と勧告しました。神の言葉を語ること、神の言葉を聞くこと、これは人にとってかけがえなのない、大切な営みなのです。
私は21歳から礼拝で説教することを開始しております。もう三千回以上、神の言葉を日曜のたびに語り続けてきたことになります。ですから、今日も神の言葉を語らざるを得ません。今日は、ヨハネ4章43〜54節を先ずお読みします。覚えておられるでしょうか。二週間前には、同じ4章からサマリアのヤコブの井戸を舞台に、主イエスとサマリアの女の出会いを語りました。
先週は、同じ井戸を舞台に主イエスと弟子達との対話を語りました。今日も、同じ4章です。しかし舞台は一転、ガリラヤのカナです。これは主イエスとカペナウムの王の役人との間に起こった奇跡の出来事です。この奇跡の出来事によって明らかにされている一つの大切な真理があります。それは神の愛です。しかも時間と空間を超越した神様の愛なのです。
1.御子の派遣
43節は「二日後、イエスはそこを出発して、ガリラヤへ行かれた」で始まっています。キリストとその弟子の一行は、ユダヤ地方から北上し、150キロ先のガリラヤ地方へ、旅の途上でした。距離からすれば、泉佐野市から京都の先の福知山市に行くような距離です。キリストは、ユダヤからガリラヤへの近道を通らず、わざわざ遠回りをし、サマリア人の村を経由したことを先週お話しました。43節には、イエスが「ガリラヤに行かれた」とあり、45節には「ガリラヤにお着きになった」とあり、46節には「再びガリラヤのカナに行かれた」とあります。この普通であれば当たり前の「行かれた、お着きになった」という動作、行動が、実は何と神の愛の表れなのです。何故かと言えば、先週のメッセージで語ったように、弟子達の知らない主の食べ物を、34節で「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」と主ご自身が語っておられるからです。主は神がこの世に遣わされた神の御子です。遣わされた神の御心を成し遂げるために来られたのです。キリストがサマリアに行ったことも、今またガリラヤに行かれたことも、これは単なる場所の移動以上のものです。それは、神が意図された業を成させようとキリストをお遣わしになった結果なのです。
この福音を記した同じヨハネが第一の書簡で、こう書き記しています。「神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に現されました。」イエス・キリストは乙女マリアより生まれました。人間としてこの世に来られたのは、神の愛の結果だと言われているのです。ヨハネは同じ手紙で「神は愛です」(16節)とも言います。使徒パウロは神を「愛の神」(コリント第二13:11)と言っています。聖書は、神が愛であると語っており、神の愛とは、神がそれによって永遠に動かされる神の性質の完全性を意味するものなのです。
① 神の博愛
以前にサマリアの女について語った際に、彼女は、ユダヤ人たちに差別され軽蔑されたサマリア人であった、彼女は五人の男と五回も結婚離婚を繰り返し、六人目の男とは同棲している不道徳な女であった、それ故に村でも除け者にされていたと話しました。しかし、イエスは敢えて、遠回りしてまで、このサマリアの女を救うために行動されました。
今、このガリラヤのカナで対面しようとされたのは、カペナウム在住の王の役人でした。彼の仕えた王とは、ガリラヤ領主のヘロデ・アンティパスです。このヘロデは、あの悪名高きヘロデ大王の息子でした。その妻はサマリア人のマルタケであり、その息子であるアンティパスは、自分の妻を離縁し、異母兄のピリポの妻を横恋慕して奪い取り、バプテスマのヨハネに厳しく批判されたあの王なのです。大体、ヘロデ大王自身がエドム人であってユダヤではありません。ローマ皇帝におもねり、ユダヤ王とされた傀儡(かいらい)政権でした。ユダヤ人は、このヘロデ王家を忌み嫌いました。常々軽蔑していました。それ故、その息子であるこの領主ヘロデに召し抱えられた王の役人が、たとえどれほどの高位高官であったとしても、ガリラヤ中のユダヤ人からすれば、罪深い人間、不愉快な人物であったに違いありません。しかし、主はガリラヤに向かわれました。その上、ガリラヤの特定の町、カナにキリストが行かれたのは、この役人に出会うためであったのです。ここに神の博愛が明らかになります。
博愛とは神がお造りになられたすべての被造物を何の分け隔てなく愛される普遍的な愛情のことです。マタイ5章45節に主がこう語られています。「父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」主イエスがガリラヤの人々からは嫌われる役人に会われたことには、ご自分の創造された全てを愛しておられる神の博愛の現れであったのです。
②神の憐れみ
この役人に対して、神の博愛が表されただけではありません。その上神の憐れみも表されています。神の憐れみとは、苦悩または困窮のうちにある人々に向けて示される神の慈愛のことです。この名も知らされていない役人は、キリストがガリラヤに来られたと噂に聞きつけたのでしょう、カペナウムからカナまで30キロの道を標高差800 m もある山間の道を駆けつけてきました。彼の息子が病気だからです。しかも瀕死の重体です。医者も薬も役に立たなかったのです。父親としての役人は、途方に暮れ困窮していました。この悩む父親に主イエスがお会いする瞬間、実は神の憐れみが注がれたのです。ヤコブは「主は憐れみに満ち、慈しみ深い方です」と5章11節で語っています。キリストが、この役人の訴えに傾聴され、役人の苦悩と困窮に同情し情けを示されたこと、そこには深い深い神の憐れみが啓示されていたのです。
③神の恵
そればかりかではありません。この王の役人には神の恵が示されました。領主ヘロデ王に仕える役人には、ユダヤ人のみならず、異邦人も採用されていたと言われます。そして、むしろ異邦人の方が多かったとされるのです。だとすれば、この役人はユダヤ人からすれば、汚れた罪深い異邦人になるでしょう。しかし、イエスはまさしく、罪人を救うために来られたメシアではありませんか。ヨハネは先の書簡、4章の10節でこう書き記しました。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」イエス様が十字架につけられたのは「宥めの献げ物」としてでした。「すべての人は罪を犯したために、神の栄誉を受けることができない。」(ローマ3章23節)罪ゆえに神の裁きを受けなければならない、私たち罪人のために、キリストは神を宥める献げ物として犠牲になられたのです。罪深い滅びに定められた役人に、主イエスが敢えて対処されたこと、それは、罪深い者の罪を赦される恵の神の愛の表れそのものなのです。
Ⅱ.生命の回復
それでは、この役人に対して、神の博愛、神の憐れみ、そして神の恵が具体的にどのように現れたでしょうか。それは、生命の回復と言ったらいいでしょう。生命、いのちとは神の創造であり、神の与える賜物です。私は先週、直腸癌手術を受けて二年目の種々の検査を受けてきたところです。その一つは血液検査で、腕の血管から採血されました。血管が細く、左手の関節近くの血管の採血が失敗して内出血してしまいました。改めて血圧について調べると、血圧160とは、水銀を160ミリ押し上げる力なのです。それが血液なら、2m の高さまで吹き上げる力です。脈が1分70回であれば、1日に心臓は10万回血液を送り出すことになり、この高圧状態が続くと血管が壊れてしまうと警告されていました。体の仕組みは実に精巧にできており、創造者なる神様は、この生命を造り、与えてくださったのです。
①病気の癒し
王の役人の息子は、瀕死の重症の病の床にあり、その生命は風前の灯火でした。その病気の病名が何であるかを私たちは知りません。また知る必要もありません。病気はそれが何であれ、人の生命を脅かす性質のものです。父親である役人は「主よ、子どもが死なないうちに、お出でください」とイエスに懸命に懇願しました。すると、それに対して主は「帰りなさい。あなたの息子は生きている」と語られました。そしてどうでしょう、彼が言われた通りに家に帰って見ると、息子は癒されて元気に生きていたというのです。聖書には、「私は主であって、あなたを癒す者である。」と主が語っておられます。人間を創造された神は医者です。医者の中の医者です。神様は、病んで衰弱する身体の生命力を回復されるお方なのです。ヤコブは5章14節に「あなたがたの中に病気の人があれば、教会の長老たちを招き、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい」と勧告しています。必要な方は、遠慮なくお申し出ください。健康の回復のために積極的に祈りましょう。
② 死人の蘇り
そればかりではありません。神はキリストにより、死人でさえも生き返らされる生命の主であることを示されました。このヨハネの福音書の先の11章では、ベタニヤ村のマリアとマルタの姉妹の兄弟ラザロが、病気で死んだにも関わらず、死んで4日も墓に埋葬されていたのに、キリストによって甦らされたことが証言されています。人間の死は最後の敵です。恐怖の王です。私たち人間はこの死に対して成す全てがありません。医者は死に対しては敗北者であり勝ち目がありません。少しばかり延命策によって寿命を引き延ばすことができるだけです。しかし、主は言われました。「私は復活であり、命である。」
(ヨハネ11章25節)あのカペナウムの役人の息子は癒されましたが、やがて死ぬことは避けられません。しかし、キリスト自身、死んで復活され、死に打ち勝たれました。死は命に呑まれてしまったのです。主に感謝しましょう。たとい死んでも、主が復活されたように、主を信じる人はやがて復活させられるからです。神の愛が死に対する勝利に完全に表されました。
③ 永遠の命
しかし、神の愛は、病気の癒し、死人の復活よりも、更に遥に勝る生命の回復の業をキリストにより成し遂げられました。それは、キリストにより人に永遠の命を給うことです。ヨハネ3章16節にこう記されています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」このカナでの役人の息子が癒される出来事の結果として、彼の家族がこぞって信じたと書いてあります。彼の家族は、不思議な仕方で息子が奇跡によって癒され元気になった事実を知り、イエス・キリストを全員が受け入れました。それが何を意味したか分かるでしょうか。彼らはその信仰によって永遠の命が神によって与えられたということなのです。
永遠の命を得るとは、人が神との関係が回復されることです。神にその人が知られ、神を人格的にその人が個人的に知ることです。全ての人は罪によって、神との生命関係が分断されてしまいました。霊的に死んでいたのです。しかし、イエス・キリストが十字架にかかり、罪の身代わりとして、私たちの受けるべき刑罰を引き受けられたので、ただ信じる者に、神様は永遠の命を与え、神との関係を回復してくださるのです。この神との生命関係は永遠です。時間を超越し、神様との関係は永遠に継続するのです。その時、人は人生の真の目的を果たすことになります。人のまことの目的は、神様を知り、神に栄光をお返しし、神を喜ぶことであるからです。
サマリアの女は、先祖代々のヤコブの井戸の水を汲みに来ましたが、イエスを信じた時に何が起こったでしょうか。永遠の命を得たのです。4章13、14節です。「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。』」そうです。キリストを信じて、神様との生命関係が回復されることは、湧き出る生命の泉の経験なのです。決して魂に渇くことがない命の水をいただくことになるのです。
Ⅲ.時空の超越
このカペナウムの王の役人は、瀕死の重症で病んでいた息子の命が助けられたばかりか、永遠の命に預かることができました。では、どのようにして、このような不思議な経験に導かれたというのでしょうか。それは主イエス・キリストを信じる信仰の結果です。ヨハネ3章16節に、こう証言されていると最初に語った通りです。「神は、その独り子をお与えになるほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命をえるためである。」神は愛です。神は全ての人を愛されます。神は愛するがゆえに、キリストにより、人の生命を回復することがおできになります。しかし、その回復を得るために、人に求められている大切な一つのことがあります。それは、キリストを個人的に信じる信仰なのです。しかし、領主ヘロデ王の役人に初めから信仰があったとは思われません。
① 奇跡の信仰
王の役人が、カペナウムから30キロも離れた、標高差800m もある山間のカナの町まで、ただただ可愛い自分の息子の病気を治して欲しいと、ひたすら旅してたどり着き、「カペナウムまで下って来て息子を癒してくださるよう」と、イエス様に頼んだ時の彼の信仰は、いわゆる奇跡信仰でした。それは、イエス様が熱心に真剣にひたすら嘆願する王の役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない。」と厳しく戒められたことから明らかです。彼の信仰は奇跡信仰であり、見たら信じる信仰でした。
今日の聖書箇所の最初の所に、キリストがガリラヤ地方に到着されると、人々から大歓迎されたと書いてありますね。その歓迎の理由も書かれています。「彼らも祭りに行っていたので、その時エルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。」とあります。祭りとは過越祭のことです。成人男子は、この祭りに出て祝うことが義務付けられていました。ですから、ガリラヤ地方からも、大勢の男性ユダヤ人たちが、参加していたに違いありません。彼らは、その時、イエス様が都エルサレムで為さった数々の不思議な奇跡の業を驚きを持って目撃していたのです。ガリラヤのナザレ村出身の名もない青年が、首都エルサレムで評判になった、その人物が錦を飾って郷里に戻って来た、というので、それはそれは誇らしく歓迎したということなのでしょう。その人々の歓迎ぶり、イエスを迎え入れる態度は、一見好ましい信仰のように見えないわけではありません。しかし、その本質は本物の信仰ではありません。奇跡信仰、ご利益信仰、見たら信じる信仰でしかなかったのです。このようなレベルの信仰は、どこまでも自己中心、利益中心であり、結果的に自分の利益にならなければ、簡単に離れ、捨ててしまうような信仰態度でしかないのです。人生の様々な局面で、人はピンチに陥り、困ってしまうことがあるもので、そんな時には、「困った時の神頼み」で、何でもいいから、助けてもらえるならすがりつこうとするものです。王の役人の最初の信仰レベルは、その動機がどれほど息子に対する愛情の深さであったにしても、奇跡期待の信仰でしかありませんでした。
②御言葉信仰
それが、一挙に別なレベルの信仰に引き上げられる瞬間が来ました。王の役人が「主よ、子どもが死なないうちに、お出でください」と更に一歩踏み込んで主に嘆願すると、主は、何と彼に対して「帰りなさい。あなたの息子は生きている」と切り返されたのです。私たちはその字面だけで、主がどのような語調で彼に語られたか分かりません。
「帰りなさい」だけなら、冷たく突っ張るように「うるさい、帰って行け」と拒絶に聞こえたかもしれません。役人は、「主よ、お出でください」とカナからカペナウムまでの30キロの同行をイエス様に願い出、息子に手を置いて祈って癒して欲しかったのです。にも関わらず、ああそれなのに、主は、「一人で帰りなさい」と命じられたのです。これは彼の期待した仕方に対する拒絶です。そればかりか、「あなたの息子は生きている」と主は言われる。役人はこの言葉をどう受け止めようとしたのでしょう。「何を馬鹿なことを言われるのか。自分は熱が出てうなされ、苦しみ、死にそうになっている息子をずっと看病し、それでも何とかしていただこうと、気が気でないのに、ここまでやって来て、一緒に来て頂こうとしている。それなのにこの方は、床に伏して苦しむ息子を見てもいないのに、『あなたの息子は生きている』などとこともあろうに、簡単に口にするとは、ふざけている。」と内心、怒りつつ思ったのでしょうか。
ところがそうではありませんでした。「その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」彼は言われた通りに帰って行ったというのです。どういうことですか。彼はイエス様の語られた言葉を信じたからなのです。主の語られた言葉に信頼したからなのです。彼は、この時、イエス様によって奇跡信仰、見たら信じるご利益信仰から、御言葉信仰に一挙に引き上げられたのです。「信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉によって起こるのです。」(ローマ10章17節)ヘブル11章1節にもこう記されています。「信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです。」役人は、「あなたの息子は生きている。」と主が語られると、彼の望んでいる事柄を、見ていない、見えないのに確信することが、なぜかできたのです。見ずして信じる信仰、主の言葉を聞いて信じる信仰、これこそ本物の信仰です。
③救い主信仰
その役人の確信がどの程度であったかは、次の自分の家の僕たちとの会話で更に明らかにされました。役人はカペナウムに向けて帰ろうとしたのですが、その途中で家から来た僕たちと出会いました。彼らによって、その子が生きていることが告げられたのです。注意深く読むとここに驚くべき事実が分かってきます。役人は、僕たちに息子の良くなった時刻を尋ねます。すると僕たちは「昨日の午後一時に熱が下がりました」と答えています。ここをよく注意してください。僕は「昨日の午後一時」と言いました。カナから自宅のカペナウムまでは距離にして30キロほどです。泉佐野市から堺市程度の距離です。歩いて帰れば1日かかるかもしれない。ロバや馬に乗って帰れば、その日の内に帰って帰れない距離ではありません。それなのに、主イエスから「帰りなさい」と言われた役人はその晩、何処かで一泊し、急ぐことなくゆっくりと落ち着いて翌日、自宅に帰宅するようにしたということです。これは、この役人が心底から、イエス様の言葉を信じた証拠ではありませんか。
ロンドンの商人のこんな印象的な話があります。彼は日曜の礼拝後に、自分の店が火の手に襲われていることを聞かされます。そこで彼は伝道者とともに火事からの守りを祈りました。その後、彼は静かにこう言ったのです。「さあ、夕食を食べに行きましょう」。幾人もの仲間たちが反対しました。「火事はどうなっているのですか」。でも彼は、主が消してくださるという、主にゆだねた完全な信仰をもっていたのです。「私たちはそれを主にゆだねたのではありませんか。私たちが行ったところで、これ以上何ができるというのですか。主がそれを始末してくださいます」。夕食の途中、彼の息子が朗報をもって入って来ました。「奇跡が起こったように見えました。お店がだめになるかと思っていたけれども、戻った時、炎が不思議な動きを見せて止まったのです。消防士さんたちも不思議がっていました。それは神さまのみわざだと思います」。
この王の役人の態度は、ロンドンの商人のようです。僕たちから息子の熱が下がった時刻が、イエス様が「あなたの息子は生きている」と語られたのと同じ時刻であったことを知った結果、彼もその家族もこぞって信じたというのです。これは御言葉信仰から更に一段上がった救い主信仰と呼ばれるべき信仰です。先に彼が必死に「主よ、お出でください」と嘆願した時の、イエス様への「主」の呼びかけは、単なる先生、とか旦那程度の意味しか込められていませんでした。しかし、今彼とその家族は、イエス・キリストを主なる神、救い主として信じ受け入れたということなのです。彼は、息子の病気の癒しの奇跡に、イエス様こそ神が遣わされた救い主であることを確信させられたのです。それは時間と空間を超越した神様の奇跡の業であったからです。この同じカナの町で、ヨハネ2章の記録では、イエス様が結婚式において、水を葡萄酒に一瞬にして変えられる奇跡を行われたことが分かります。それはイエス様が物の質を支配する業によって、ご自分がメシアであることを示された出来事でした。今ここで、その同じカナで、主は時間と空間を支配する業を示すことで、ご自分のメシアであることを示されたのです。その結果、彼のみならず、彼の家族全員が信仰に導かれました。
私は最近、教会の書棚から三浦綾子さんの「それでも明日は来る」という短編の集められた書籍を借りて、読み始めています。その内の「姑の死に思う」に感動しました。姑とは綾子さんの夫、三浦光世さんの母親のことです。その名はシゲヨといい、78歳で動脈硬化症による老衰死でした。綾子さんが最初の小説「氷点」の原稿を朝日新聞に送って間も無く、夫の三浦光世さんが急性肺炎で倒れ、重症であったため、介護するため、その母のシゲヨさんが泊まりがけで応援されていました。その時のエピソード部分をそのまま紹介するとこうです。「母は私の下着を繕いながら、ふと私の机に目をやって、書き散らしの原稿が厚く積まれているのを見て言った。『おや、綾子さん、何か書いているの?』私は針を持つと、一糸も運ばないうちに肩が凝るのだが、ペンを持つと、原稿の二、三十枚位書いても、当時それほど辛くはなかった。和裁を教授していたほどに器用な母の前に、私は何となく恥ずかしかったが、『はい』と頷いた。内心、『そんなものを書いている暇があるなら、繕いものでもしたらどうですか』と言われそうな気がした。現に、母は私の下着を繕ってくれていたのである。ところが母はこう言った。『そう、書いているのね。綾子さん、神様は人それぞれに才能を与えてくださっておられます。綾子さんは、女の仕事は下手だけれど、書くのが好きだから、その才能を大事に育てなさい』それは優しい口調であった。私は胸が熱くなるのを覚えた。こんな素晴らしいことを嫁に言ってくれる姑が、どこにあるだろう。入選した後ならともかく、海のものとも山のものとも知れないものに対して、実の親でも、なかなかこうは言えないのではないか。私はこの言葉の中に、母の確かな信仰を見たような気がした。27 歳で夫を失い、10年もの長い間、子供達と遠く離れて暮らし、その後は三浦の腎結核、長男の出征と、母は心の休まる暇はなかった。が、その母が愛唱していた讃美歌は、次の讃美歌だった。『主われを愛す、主は強ければ、われ弱くとも、恐れはあらじ、わが主イエス、わが主イエス、わが主イエス、われを愛す』この歌が葬儀で歌われた時、私は泣けて泣けて仕方がなかった。」綾子さんの姑はその若き日に、神の愛に触れられ、あの役人と同じ信仰に導かれていたのです。イエス・キリストを救い主として信じ受け入れていたのです。それだからこそ、息子の三浦光世さんもイエス様を信じるクリスチャンとされたのです。それだからこそ導かれて作家の綾子さんを支える夫となられたのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」神は愛です。神はあなたを私をも愛しておられます。その神の愛をイエス・キリストを信じる信仰によって受け止めようではありませんか。最初の動機が、ご利益信仰的であったにしても、主は本来の信仰に引き上げてくださることでしょう。主の御言葉を固く信じ信頼することによって、素晴らしい神様の愛を今週の歩みにおいても豊かに経験させていただきましょう。王の役人はイエスにその息子の病気の悩みを訴えてぬかずき訴え願いました。あなたの願い事を主に率直に訴え、共に祈ろうではありませんか。
6月23日礼拝説教(詳細)
「知らない食べ物」 ヨハネ4章31〜38節
その間に、弟子たちが「先生、召し上がってください」と勧めると、イエスは、「私には、あなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは、「誰かが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
イエスは言われた。「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。あなたがたは、『刈り入れまでまだ四ヶ月ある』と言っているではないか。しかし、私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。すでに色づいて刈り入れを待っている。刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、蒔く人も刈る人も共に喜ぶのである。『一人が蒔き、一人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。私は、あなたがたを遣わして、あなたがたが自分で労苦しなかったものを刈り取らせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」
ハレルヤ! 聖霊降臨節第六主日ということで、先週に続いてヨハネ4章31〜38節をお読みします。さて、先週の日曜日に、皆さんは朝昼晩と何を食べたか覚えておられますか。私ははっきり覚えているのです。私だけが、妻とも娘とも全く違う特別食を食べました。3食ともパック入りで、熱湯で温めて食べたのです。それは翌日の月曜日に大腸精密検査を予定していたからです。2年前の6月に直腸癌の手術を受けたので、月曜に大腸検査、火曜に CTスキャン、超音波検査と続き、その検査結果を診て、来週水曜日に、担当の外科医が診断してくれることになっているのです。癌再発の無いことを是非お祈りください。
ところで、先週の礼拝でお話ししたサマリアの女とイエス様とのヤコブの井戸端での対話の発端は井戸水でした。しかし、今日の弟子たちとイエス様との井戸端での対話の発端は、水ではなく食べ物です。サマリアの女は、村を出て昼日中、郊外の井戸に水を汲みに行きました。しかし弟子たちはそれとは逆に、井戸端から、食べ物を買い出しにサマリアの村に入って行きました。そして、弟子たちが食糧を手に入れて井戸端に立ち戻った丁度その時に、サマリアの女は井戸を離れ村に戻って行こうとし、両者はすれ違いでありました。
1.日用の食べ物
井戸端に戻った弟子達は、その時「先生、召し上がってください」とイエス様に言いました。イエス様と弟子達は、ユダヤ地方からガリラヤ地方へと旅の途上であり、立ち寄ったサマリアの村の井戸端で昼の小休止をするところであったのです。主イエスの公生涯の初期の頃ですから、その弟子の数が何人であったのか正確には分かりません。12人がすでに揃っていたのかもしれません。そこにペテロやヤコブやアンデレたちが入っていたことは間違いありません。皆、長途の徒歩旅行で、喉は渇き、昼時でお腹は空き、疲れ切っていました。そこで、イエス様だけを井戸端に残して、弟子達全員が、サマリアの村に行って食糧を調達してきたのです。「先生、召し上がってください」と言っているのですから、もう調理済みの食べ物であるに違いありません。当時、村にスーパーやコンビニがあるはずはありません。よそ者である旅人が、しかも、サマリア人とは仲の悪いユダヤ人である弟子達が、村人から何がしか食べ物を得ることは相当難儀したかもしれません。弟子達が調達したそのお弁当が何であったにせよ、食べ物は、水が人間の命に必要不可欠であるように、人間誰であっても必要不可欠なものです。
食べ物は、生命体を構成する原材料として、生物としてのからだを構成し、常に新陳代謝を行って古いものと入れ替えるため、日々必要な材料を体外から補給する必要があります。ヒトが筋肉を動かすとき、筋肉の細胞の中では、酸素を使って“燃料”を燃やすことにより、瞬間的にエネルギーを生産しています。燃料の大部分は、食事から得られる糖や脂質です。また、消化管に食物が入ることが刺激となり、さまざまな物理的、科学的シグナルが体内に伝わります。消化管運動、吸収、合成、分解、排泄など生理機能の開始を促す役割があります。そればかりか、体内での化学反応、物質の輸送、調節機構が潤滑にはたらくために、食事からしか十分に摂れない物質もあります。必須アミノ酸、必須脂肪酸、ビタミン類などがその例です。その上、高等動物としてのヒトにとって 3 度の食事は、生物としての正常な体内リズムだけでなく、時間感覚、社会性の維持の観点から、1日の活動にメリハリをつける大切な役割を果たしています。そして、1人静かに、大好きな味や香りを堪能する。大切な人たちと楽しい時を過ごす。豊かな食卓は自律神経系の安定化をもたらすことで、健康寿命の増進に一役買うとも考えられます。
私の蔵書に愉快な一冊があります。それは、今からもう300年も昔に、フランスの美食家・ブリア・サラヴァンが著した「美味礼賛」という本です。彼は大変優秀な人物で、解剖学者、生理学者、化学者、天文学者、しかも文学者でした。彼はここで、美食愛、即ち、うまいもの好きを「特に味覚を喜ばすものを情熱的に理知的にまた常習的に愛する心である」と定義しているのです。その上で、説明して彼はこうも言うのです。「肉体の方から言えば、美食愛とは人の栄養器官が健康で完全な状態にある結果であり、また証拠である。精神の方からいうと、それは造物主の命令に対して絶対に服従することである。その造物主は、我々に生きるがために食べることを強いる代わりに、食欲によって我々をそこに誘い、美味によって我々を支え、快楽によって我々に報いているのだ。」そうですよね。確かに、考えてみれば、食材を美味しく調理して食べるのはまず人間だけですね。弟子達が、「先生、召し上がってください」と弁当をイエス様に差し出した際に、これらのことを全部意識していたかどうかは、分かりませんが、それはともかくとして、食べることは人間にとって大変大切なことであることに変わりありません。
Ⅱ.未知の食べ物
その食べ物については、すでに主が語られた御言葉がよく知られていますね。あの荒野の試練で、サタンに石をパンに変えるよう唆された時に、「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのである」と語っておられます。また、山上の垂訓で、「何を食べようか、何を飲もうかと思い煩ってはなりません」とも語られており、そして、主の祈りでは「日用の糧を今日も与えてください」と祈るよう教えておられます。
ところがどうでしょうか、この時、主イエス様は、村から苦労してせっかく調達してきた食べ物を差し出す弟子達に対して、こう言われたのです。「私には、あなたがたの知らない食べ物がある」サマリアの女が突然、主に「あなたの夫を呼んできなさい」と言われた際に、驚いたのと同じく、弟子達も、このイエス様の唐突な発言には内心、大変な驚きを感じたではないでしょうか。ですから弟子達は「誰かが食べ物を持って来たのだろうか」と互いにぶつぶつ言い合わざるを得ません。「今、俺たちとすれ違いに村の女が井戸を離れて行ったが、まさか、あの女が弁当を提供したわけでもあるまい」とか、「俺たちの知らない食べ物と主は言われるが、一体どんな食べ物なのだろう。まさか変なゲテモノでもあるまいし」と考えたかもしれません。
ネット上で「知らない食べ物」で検索してみたら、直ぐ「世界の奇妙な食べ物50選」が出て来ました。写真入りで説明されるどの料理をとってもゾッとするものばかりです。中国の「世紀卵」というのは、生卵を粘土、灰、生石灰を混ぜたものに数ヶ月間漬けておくと、すると黄身は濃い緑色、あるいは黒くぬるぬるしたものになり、白身はこげ茶色の半透明のゼリー状になる。硫黄とアンモニアの強い臭いがするが、味はゆで卵のようだ。と紹介されています。食べてみたいと思いますか。タイの「ジンリード」という食べ物はバッタの唐揚げですよ。大きなバッタを塩、胡椒、唐辛子で味付けし、大きな中華鍋で揚げたものです。どうですか、食べてみたいと思いますか。カンボジアの蜘蛛のフライは人気の郷土料理だそうです。大きな蜘蛛を砂糖と塩に漬け込んで、ニンニクと一緒に揚げるそうです。食べてみたいと思いますか。
イエス様が、先にサマリアの女に「私が与える水を飲む者は決して渇かない。」と語られたのと同じことです。水は水でも自然の水のことを言われたのではありません。ここでも食べ物は食べ物でも普通の料理のことを言われたのではありません。弟子達には直ぐには理解できず、彼らは普通の弁当や食べ物のこととしてしか理解できませんでした。しかし、主は、そこでこう説明されたのです。「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。」イエス様にとって、決して飢えることのない本当の食べ物は、イエス様をお遣わしになられた父なる神様の御心を行うことと言われたのです。この先のヨハネ6章には、有名な5000人の給食の奇跡が語られています。そこでも、主は同じようにこのように語っておられます。「私が天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである。」(38節)イエス・キリストは、父なる神から遣わされた神の御子です。その遣わされた目的を果たすことが、主にとっては不可欠な食べ物のようであったのです。
先週の礼拝でも、イエス様と弟子達がユダヤ地方から北上してガリラヤ地方に旅するのに、ヨルダン川沿いの近道ではなく、明らかに遠回りとなる山間地のサマリアを通過するルートをお取りになったと話しました。その4節には「しかし、サマリアを通らねばならなかった。」と書かれてあります。先週も「礼拝しなければならない」の所で、この「ねばならない」は、原語では義務を強制する非常に強いデイという用語が使われていると語りました。その同じデイが使用されている箇所なのです。
何故、イエス様はわざわざ遠回りをしてまでサマリアを通ろうとされたのでしょうか。それは、今ここで、この主の食べ物の説明で明らかにされるのです。すなわち、ガリラヤ地方に北上するのにサマリアの村を敢えて通過すること、それが、父なる神様の御心であったからなのです。イエス様は、父なる神様がサマリア村に行くことを計画されておられること、サマリアの村で成すべきことがあることを知っておられたのです。その父なる神様の目的こそ、サマリアの女にイエス様が出会うことであり、この女が救われることであったのです。そして、イエス様が、父の御心を行うことを食べ物とされていたことを決定的に示された出来事こそ、ゲッセマネの祈りでしたね。
ルカ22章39〜46節に、オリーブ山のゲッセマネの園で十字架を直前に苦悶の祈祷をされた主の祈りの姿が描かれています。主は一人、弟子達から距離を置いて、跪き、三度も同じ祈りを捧げられました。「父よ、御心なら、この杯を私から取り除けてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください。」44節を見ると、その祈りが苦悶に満ちた戦いであったことが分かります。「イエスは苦しみ悶え、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」主の「取り除けてください」祈られた「この杯」とは、十字架の死刑のことです。ローマ帝国の死刑の仕方の中でも、最も残酷な死刑です。炎天下に衆人環視の元に裸で両手両足に五寸釘を撃ち抜かれ、さらしものにされ、長い時間をかけて悶絶死させる死刑の仕方です。神であるのに人となられたイエス様は、人間としてこの耐え難い拷問の死刑を引き受けることで苦しまれました。しかし、主は、人類の罪責の全てを引き受け、身代わりの犠牲となって十字架上で死ぬことが、父なる神様の御心であることを確信されたのです。イエス様にとって、父なる神様の御心を行い、その業を成し遂げることが必要不可欠な食べ物だったのです。
Ⅲ.特定の食べ物
そのイエス様が、続けて弟子達に、このように語り続けられました。「あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月ある』と言っているではないか。しかし、私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。すでに色づいて刈り入れを待っている。刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、蒔く人も刈る人も共に喜ぶのである。」(35、36)これは、遣わされた方の御心を行い、その業を成し遂げることを食べ物とされたイエス様が、弟子達もまた同じ食べ物を共に食べるようにとの招きの呼びかけであったのです。今まさに、彼らの目の前で、このサマリア人の村で起こりつつある出来事は、喩えて言えば、畑の麦の種蒔きとその収穫のようでした。パレスチナにおける農業では、春に収穫する小麦や大麦は秋に種を蒔くのが常でした。蒔かれた種が芽を出すと一冬越して、春先に刈り入れとなるのです。種は蒔かれて収穫を得るには数ヶ月かかります。蒔かれて直ぐに刈り取るようなことは自然には絶対ありません。しかし、今、このサマリア人の村では、種が蒔かれたと同時に、直ちに収穫を迎えようとしていたのです。種まく人はイエス様です。イエス様が井戸端でサマリアの女に語られたこと、それは霊的に種を蒔く行為でした。その御言葉という種を蒔いた結果、サマリア人の村には、一挙に収穫の時が到来しようとしていたのです。
28節から読んで見ると、サマリアの女は、水瓶を井戸に置いたまま、村に駆け入り、村人に触れ回っています。「さあ、見に来てください。私のしたことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」その結果をご覧ください。30節です。「人々は町を出て、イエスのもとへ向かった。」イエスは彼らが続々と井戸端に向けて、村から出て主の身元にやって来るのを、遠方からご覧になって言われたのです。「あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月ある』と言っているではないか。しかし、私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。すでに色づいて刈り入れを待っている。」サマリア人の村から続々とやって来る村人達の姿、それは、今まさに鎌を入れて刈り取らんばかりの色づいた畑のようでした。主は、ここにおいて、弟子達に、一緒に収穫に参加し、刈り入れる人となって収穫に参加するようにと促されたのです。この時、父なる神様の御心とは、サマリアの女が先ず救われ、その女の証しを聞いた大勢の村人達が、イエス様を信じて救われることでした。39節から読むと、大勢の村人達が信じて救われたことがわかります。「さて、町の多くのサマリア人は、「あの方は、私のしたことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。」更に、41、42節を読むと、彼らが直接イエス様に聞いて信じて救いに入れられたことがわかります。「そして、さらに多くの人が、イエスの言葉を聞いて信じた。彼らは女に言った。「私たちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからである。」」
この時、弟子達は、このサマリア人たちの救いという霊的な収穫の刈り入れ人にされていたのです。もちろん彼らが種を蒔いたのではありません。イエス様が種を蒔かれました。主イエス様が、37〜38節に語られたのはその意味なのです。「『一人が蒔き、一人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。私は、あなたがたを遣わして、あなたがたが自分で労苦しなかったものを刈り取らせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」」この「『一人が蒔き、一人が刈り入れる』ということわざ」こそ、それから2千年経過する今日まで、全てのキリストの教会が経験してきた驚くばかりの事実なのです。すなわち、福音の宣教の働きが、誰かが御言葉の種を蒔き、誰かが刈り取ることによって推進されて来たということなのです。
先週の水曜日の夕方のこと、岸和田市の西川兄弟がわざわざ訪ねて来られ、ギデオンの機関誌を置いて行ってくださいました。機関誌に載せられているそのうちの一人の証しを是非聞いてください。そのまま引用しておきます。それは茂木俊哉さんの証で、タイトルは「絶望の死の渕から希望の生命へ」です。
「私は 60 歳になるまでキリスト教とは全く無縁でした。そのような私が何故クリスチャンになったのかをお証させていただきたいと思います。2018 年 7 月当時、名古屋で建設業に従事していた私は職場の強烈なパワ八ラと離婚後の孤独感、更には自分以外の周囲の人は皆輝いてみえて、生きている意義や張り合いが見出せなくなり、ついには死ぬことを選択し、7 月 28 日午前 3 時頃に自宅近くの庄内川の橋から飛び込みました。気絶し溺死の予定でしたが実際は水を呑んだ苦しさから岸の街灯に向かって泳いでいました。生きたいという本能でしょうか。今思えばここで生かされたのも神様の御業としか思えません。さて、岸に上がり真夏の 1 日を葦の中で過ごすも、行く先も浮かばずで、夜になり星を見上げて思い出したのは、私が5歳の時に、父親のことで苦しんだ母親がノンクリスチヤンながら自宅近くの教会に行き、白髪のおじさん(牧師でしょうね)と話して何度か通ううちに、元気を取り戻したことでした。「教会に行ってみよう。」そう思い通勤路の途中にあつた昭和橋キリスト教会(グレイスゲートチャーチ)に行きました。日曜日の早朝に教会に着き玄関前の空池(バプテスマの時だけ水張り)で疲れから寝てしまい、礼拝のために玄関を開けに来た教会の方の「ワアー」という声で目覚めました。泥だらけのおつさんが空池の中で寝ているのですから、さぞかし驚かれたことでしよう。死にきれなかつたことを説明したら、教会内にいれてくださり、そのまま人生初の礼拝に参加しました。皆さんの温かさ、雰囲気が、想像していたキリスト教とは違い安らぎを覚えました。そして偶然飛び込んだこの教会に、八ンガーゼロ総主事の近藤高史氏がいらしたことが、私の人生を大きく変えることになるのです。
礼拝後、近藤氏が話しかけてくださり、結果当時発災した西日本豪雨の下、救援チームの一員として、岡山県倉敷市真備町支援へと向かうことになるのです。こんな私を迎え入れてくださった岡山キリスト災害支援室、そして、ベースキヤンプだった広江聖約キリスト教会の吉岡創牧師はじめ、教会員の皆さんには、今でも感謝しています。最初打ちひしがれている被災者さんたちが立ち直っていく姿、一致団結して作業するクリスチャンをみて、神様の存在を確信した私は、その年の 12 月 24 日に吉岡創牧師より洗礼を授かりました。そこからクリスチヤンライフが始まったのです。」聞いてお分かりでしょうか。茂木さんがイエス様を信じて救われたのは、これこそイエス様の語られる収穫に値します。しかしどうでしょう、それに先立ち、その母親に御言葉の種が蒔かれていたのです。彼は絶望のどん底で、その母親が教会に行って元気を取り戻した姿を思い出し、教会に行く決心をさせられたのでした。『一人が蒔き、一人が刈り入れる』それが実際に起こった結果なのです。主は今日も私たちにこう語られるのです。「目を上げて畑を見るがよい」そして「すでに色づいて刈り入れを待っている。」主は、このように、私たちの特定の置かれている地域をも、信仰の目で見るように促されておられるのではありませんか。ですから、私たちも、折あるごとに御言葉の種を、福音の種を蒔こうではありませんか。
昨日の役員会での議題の一つは、東京の全国家庭文書伝道協会から提案されているトラクト配布についてでした。この協会では、全国の諸教会の協力で、日本の5340万世帯にトラクトを配布するビジョンを掲げています。そして、今年の7月に発行される新五千円札の表写真に津田梅子さんが採用されるので、それに合わせて新しいトラクトが造られていると、言われます。津田梅子さんとは、明治初期に、国費でアメリカに留学した五人の女性の一人で、その時、梅子さんは何と 6歳でした。信じ難い年齢です。彼女は留学した米国の聖公会で洗礼を受け、帰国後には津田英語学校を発足させ、それが後の津田塾大学なのです。梅子さんがお札の写真に採用されたのは、日本の女子教育に貢献したからです。この日本でもよく知られた津田さんを紹介するトラクトを、1万枚配布する計画を立てることができるなら、無料でその教会の名入り印刷を施し、無料で提供することができると提案されているのです。
責任をもって配布するのにはかなりの人数と時間を要することです。福音の種を蒔くこの素晴らしい宣教ビジョンに参加できるなら、何と幸いなことでしょう。どうぞ祈って備えてください。
主イエス様がサマリアの女に出会うように父に導かれ、弟子達がサマリア人の村人の救いの収穫に導かれたように、あなたも私も、今週、誰か特定の人に出会うように、父なる神様が計画されておられるとするなら、そのためにもまた、祈り備えていようではありませんか。その時、詩篇126篇5、6節のあの歌、「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行く人も穂の束を背負い、喜びの歌と共に帰って来る。」が、私たちの現実となるに違いありません。主の祝福がありますように。
6月16日礼拝説教(詳細)
「天のエルサレム」 ヨハネ4章20、21節
「私どもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
イエスは言われた。「女よ、私を信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
ハレルヤ! 今日6月16日は、教会暦で言うところの聖霊降臨第五主日に当たります。そこで聖霊に関連した聖句として今日は、ヨハネ4章20、21節をお読みします。二週間前の2日の礼拝では、聖霊降臨第三主日ということで、前章の3章から語らせていただきました。3章と4章では、その登場人物は非常に対照的ですね。3章のニコデモは、政治的、宗教的、道徳的に社会的評判の高い老練な指導者です。一方、4章のサマリアの女は、差別され、不道徳でその町で評判の非常に悪い人物でした。しかしながら、対照的な二人に共通するのは、それなしには人間が生きていくことができない人間の絶対的条件が、彼らによって浮き彫りにされたことです。
ニコデモによって、人は新しく生まれなければならないことが明らかにされました。ではサマリアの女によって明らかにされる条件とは何でしょう。それは人が神を礼拝することなのです。19〜24節に限って数えて見てください、僅か6節の中に「礼拝」という文字が、10回も繰り返し使われていることから見ても明らかです。
1.礼拝の必要
10回語られている最後の24節では、主はこう語られました。「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真実をもって礼拝しなければならない。」この「ねばならない」に使われている原語は非常に強く、「必要である、当然である、することに決まっている、どうしてもせねばならない、不可避である、義務である」と訳される「デイ」という言葉が使われています。つまり、礼拝は人間として生きる上で、これは絶対必要条件であるということなのです。
① 必要の喚起
その時、イエスはユダヤを去り北上して、弟子たちとガリラヤに向う途中でありました。その途上でサマリアの村を通り過ぎようとされたのですが、旅のルートとしては当時、異例のことでした。なぜなら人々は通常、ヨルダン川沿いの近道を行くのが常識であるのに、イエスは敢えて遠回りをしているからです。しかしその結果、サマリアの女と出会うことになります。出会った場所は、町はずれのヤコブの井戸端でした。それは昼の正午で、弟子たちは弁当の買い出しで村に出かけて不在でした。そこに昼日中、水汲みに来た女と出会われたのです。実は、礼拝については、このサマリアの女との対話から生じ、サマリアの女の質問によって始まるのですが、その話しの流れからして、非常に唐突な印象を受けざるを得ません。何故なら、16節に始まるその直前のやり取りは、こうであるからです。イエス様は、女に「行って、あなたの夫をここに呼んできなさい」と言われます。すると女はぶっきらぼうに「私には夫はいません」と答えているのです。すると、それに対して、イエス様は女に「『夫はいません』というのは、もっともだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたの言ったことは本当だ。」とズバリ言ってのけられます。するとどうでしょうか、そのイエス様の言葉を受けて、突然女は礼拝のことを切り出しているということなのです。彼女に過去に五人の夫がいたとは、子がなくて夫と死別した妻は、血筋を絶やさないために夫の兄弟と結婚するというレビラト婚の慣習のことでしょうか。それとも五回も次々と結婚離婚を繰り返したということでしょうか。今連れ添っているのは夫ではないとは、正式な結婚手続きも踏まず同棲しているということでしょうか。それと礼拝とどういう関係がありますか。
一見、無縁と思えます。しかし私は、この女に対するこの唐突な語りかけによって、彼女の内に眠っていた人間としての礼拝の絶対的必要性を喚起されたのではなかったかと思うのです。イエス様は井戸に水汲みに来た全く初対面のサマリアの女に、「水を飲ませてください」と一杯の水を所望されました。これを端緒に、女との対話が発展し、その結果、女にイエス様がこのように語られたのです。「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」(4:13、14)そうです。イエス様は、この女の内深くにある魂の癒し難い渇きを見抜いておられたのです。このサマリアの女は、その渇きの癒しをどこに求めてきたのでしょうか。そうです。人に求めたのです。次々と違った男達に求めたのです。しかし、最初の男には期待に外れ、人を変え、次々に人を変え、求め続け、その挙句、今現在は失望しつつも、仕方なく六人目の男と同棲していたのです。イエス様にその隠された現実を指摘されることによって、サマリアの女は、人が魂の癒しを潤すことのできる源泉が、神を礼拝することにあることを、直感的に喚起させられたのではないですか。
ここに礼拝と訳された原語のプロスクネオーは注目に値する素晴らしい言葉です。プロスとは「前に」を意味し、クネオーは「接吻する」を意味する二つの合成語です。ですから「前に進み接吻する」が元々の意味です。そこから「敬意を表す、敬礼する、お辞儀する、伏し拝む、礼拝する」という訳が生まれているのです。サマリアの女は、次々と異性に愛情を注ぎ出し、愛され、癒されることを期待し、失望しきっていました。しかしここに、イエス様により、人間の渇きを本質的に潤し、癒すのは、人間を創造し愛される神を礼拝することにあることを呼び覚まされたのです。
② 必要な条件
主は女にヤコブの井戸を指し「この水を飲む者は誰でもまた渇く」(13)と語られました。「この水」即ち、ヤコブの井戸水は、人が心と魂の渇きを癒すために求め、使っているあらゆるものを代表しているでしょう。人は何か満たされない気持ち、思い、感情を癒そうと、それを満たそうと、好みのままに、思いのままに、何でも試して見るものです。ある日、公園を散歩していると体育館前の広場で、大人の男性が、自動操縦で小さな車を自由自在に操作して楽しんでいるのが見えました。「ああ、この人はこのオモチャで心を癒しているのだな」と、私は思いました。私個人としては、山崎製パンの「薄皮あんぱん」を食べること、ベートベンのピアノ第一協奏曲を聴くことが癒しです。同じことです。これらは何であれ人間の生きるためには必要な条件です。あなたにとって一時のストレス発散、癒し、潤いは何ですか。
③ 絶対の条件
しかし、礼拝することは、人間が人間であるための絶対必要条件なのです。「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真実をもって礼拝しなければならない。」(24節)
「礼拝しなければならない」と前に説明した通り、礼拝することは、「必要である、当然である、することに決まっている、どうしてもねばならない、不可避である、義務である」礼拝は本来、それなしには人間が生きていくことのできないものなのです。何故でしょうか。人間は本来、神に向かって創造された特別な被造物であり、神に向かうまでは決して満たされることはあり得ないのです。人間は神によって創造されているがゆえに、神を礼拝することが条件づけられているからなのです。聖書で人間が遵守するべき二つの条件がありますね。
一つは隣人愛ですが、その第一は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、主なるあなたの神を愛しなさい。」そうです。神を愛することなのです。それは絶対条件、それなしには人間が本来生きていくことのできないものであり、それは、最高の特権であり義務でもあるのです。
Ⅱ.礼拝の要請
そして、礼拝は、人間各自が生きるために必要、いや絶対的に必要な条件であると同時に、これは、そうするようにと神によって礼拝するよう要請されている、求められている行為でもあります。主は23節後半にこう語られました。「父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。」私たち人間が礼拝を必要とする以上に、神ご自身が、私たち人間に礼拝されることを求めておられる、要請されておられることなのです。
① サマリア人の礼拝
サマリアの女は、このヤコブの井戸の側で、イエス様により、神を礼拝する必要性を喚起していただくことができました。しかし、彼女自身はどうでしょう、現実的に礼拝によって心と魂の癒しを得ることができていたとは思われません。彼女はこう言います。「私どもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」サマリアの女が「この山」と言ったのは、村の南に聳える標高881m のゲリジム山のことです。歴史を遡れば、アブラハムがカナン到着後に最初に祭壇を築いたのはこの近くでした。エジプトを脱出した後に、指導者モーセは、このゲリジム山に祝福を、近くのエバル山には呪いを置くよう命じられていたことも分かっています。そして、更に時代を降って南ユダ王国がバビロンに滅ぼされた後に、周辺一体には、バビロンの民族同化政策によって、5つの多民族が移住させられ、残留ユダヤ人との雑婚で、血が混じり、彼らはサマリア人と呼ばれるようになった歴史があります。その結果、彼らは、モーセの五書でユダヤの伝統を守ると共に、異邦人の数々の偶像崇拝も交えた混淆宗教を作り出し、ゲリジム山で礼拝することを常としてきた歴史がありました。その意味で、サマリアの女は、自分の属する民族、サマリア人の礼拝の伝統を間違いなく知っていたことでしょう。また、その伝統に従って礼拝にも参加すらしていたことでしょう。しかし、彼女には、そのサマリア人の礼拝によって決して心の深みまで満足することができていなかったに違いないのです。
主は彼女に、「あなたがたは知らないものを礼拝しているが、私たちは知っているものを礼拝している。」(22)と語られました。サマリア人の礼拝は、真の意味で礼拝するべき方、神については全く無知です。そんな無知の礼拝に本当の意味での魂の満足と癒しがあるはずがありません。
② エルサレムの礼拝
では、ユダヤ人が胸をはって自分たちのこの礼拝こそ本物であると主張していた、エルサレムの神殿礼拝が、真の神礼拝でしょうか。古く歴史を遡れば、エルサレムこそ礼拝の本拠だと言えるかもしれません。第一にエルサレムには、アブラハムがイサクを捧げたモリヤの山があります。第二に、ダビデが即位した時、エルサレムを王国の首都とし、契約の箱を移し、ソロモンがエルサレムに壮麗な神殿を建設していました。ソロモンは、神殿献堂式の祈りの中で、主がこう語られたと、歴代誌下6章4〜6節に記録されています。「『わが民をエジプトの地から導き出した日からこの方、私の名を置く神殿を建てるため、私はイスラエルのいかなる部族の町も選ばず、また、わが民イスラエルの上に立ついかなる指導者も選びはしなかった。私はただエルサレムを選んで、そこに私の名を置き、ダビデを選んで、わが民イスラエルの上に立てた。』」これだけ主なる神が、エルサレムにつき明言され語られておられたとするならば、神を礼拝する最高・最良の場所であること、申し分なく確定的ではありませんか。そればかりか、イエス様がサマリアの女と語られた時代のエルサレム神殿は、ヘロデ大王によってBC20年ごろから改修工事が始まり、その工事は死後も引き継がれ紀元62年に完成している、80年以上かけて建築されている。それはそれは壮麗な世界七不思議の一つとされる建造物です。しかし主はそれをも一蹴されました。「あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(21)と語られたのです。
③ 神の求める礼拝
では神が求め、人間に要請されると言われる礼拝、人の魂を満足させ癒す礼拝とはいかなるものでしょうか。主は、明瞭に23節で「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真実を持って父を礼拝する時が来る」と言われました。それは、ゲリジム山方式の礼拝でもありません。エルサレム神殿方式の礼拝でもありません。神様の求め、要請される礼拝とは、「霊と真実をもつ礼拝」です。
この「霊による」という霊とは聖霊のことです。「真実による」という真実、これは神の言葉のことです。原語のアレテイアは真実と訳するよりも、以前の口語訳のように「まこと」乃至は「真理」がふさわしいでしょう。今日、聖霊降臨第五主日礼拝に、この聖書箇所が開かれていることは非常に意味あることです。主の聖霊の約束を、ヨハネ14章25節で今一度確認するとこうです。「しかし、弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」そうです。今や聖霊は、私たちの側近くに来られ、私たちの礼拝を導いてくださるお方なのです。そして、聖霊の働きの最も大切な任務は、主イエス様の語られたお言葉をことごとく、私たちに思い起こさせてくださることということです。
国語辞典を見れば、「礼拝」とは、神仏などを拝むこととあります。しかし、この世の礼拝では、身体を折りかがめて礼をする、手を合わせて合掌する、お賽銭をする、護摩を炊く、その他拝礼の仕方は宗派によって種々様々でしょう。しかし、キリスト教の礼拝の本質は、それら全てと全く違うのです。礼拝とは、それによって人の心に想起の業が行われることなのです。何かしら神聖な存在に敬意を表して拝むというような漠然とした行為ではありません。
最近ではよく話題になる病気に認知症がありますね。一度正常に達した認知機能(記憶や判断を行なう脳機能)が、何らかの脳障害によって脳の神経細胞のはたらきが徐々に減退し、認知機能が低下して日常生活や社会生活に支障が出るようになった状態をいいます。聖書はすべての人は罪を犯したために神を認知することができなくなっていると言います。ローマ書1章18節からは、人間の罪について教えられており、20節には「神の見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造以来、被造物を通してはっきりと認められる。」とあります。それにもかかわらず、21節には「彼らは神を知りながら、神として崇めることも感謝することもせず、かえって、空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」とすべての人間が霊的に認知症なのだと言います。それゆえ、イエス様を信じて救われるとは、罪が赦されることにより、霊的認知症が癒やされ、神を認知し記憶が回復されることです。その霊的な記憶を更新し、持続・発展させるために、礼拝が、聖霊の働きによって人の心に神を想起させる恵みの業となるのです。
想起、思い出しの業として、礼拝のイメージからは程遠いような事例ですが、ここであのペテロの大祭司の公邸での否認の出来事を見てみましょう。ルカ22章54〜62節に記録された記事によれば、イエス様が大祭司に尋問されている間、庭のかがり火にあたって暖をとっていたペテロは、そこに居合わせた女中や僕(しもべ)たちから、「お前は確か、あのイエスの仲間ではないか」と疑われ、問い詰められました。しかし彼は、三度も知らぬ、存ぜぬ、関係は全く無いと否認した途端に、鶏が鳴き、振り向かれたイエスに見つめられると、ペテロは主の語られた言葉を思い出し、そして外に出て激しく泣いた、というのです。神の求められる礼拝に起こる業とは、このような想起の業です。鶏の鳴き声、イエスの目線がペテロの記憶を刺激しました。彼の内に想起の業が起こりました。そして彼は変られました。
私たちは、礼拝を、招きの言葉で始め、司会者、奏楽者、執りなし祈祷者、証し者、賛美礼拝、説教、献金、主の祈り、頌栄、祝祷を、礼拝出席者全員を巻き込み、実施しています。神様が期待し、求め、私たちに要請されることは、これらすべての行為によって、思い起こすこと、想起の業が、礼拝者の内に起こされることなのです。一週間が七日と定められ、週の初めの日曜日に、何故、毎週毎週礼拝をするのですか。それは、それによって主の目線を受け止め、主の言葉を思い起こし、主に栄光を帰するためなのです。何故、主は聖餐式を聖定されましたか。ルカ22章19節をご覧ください。そこには、最後の晩餐の席上で聖餐式を聖定された主イエスの趣旨が語られています。「それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを献げてそれを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられる私の体である。私の記念としてこのように行いなさい。」」この「記念として」とは、想起すること、思い出すことです。聖霊が思い出させてくださるのと同じ言葉です。この思い出しの業、想起の業は、共同的な参与の奉仕によって為される業なのです。神が求められる礼拝は、礼拝者全員の奉仕によって為される思い出し、想起の業なのです。
Ⅲ.礼拝の場所
主は、このような生き生きとした想起の業が起こる礼拝の場所は、「ゲリジム山でもない、エルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」と言われました。想起の業が起きる場所とは何処ですか。私はヘブル12章22節から読んでいて、その場所こそ天のエルサレムだと教えられました。そこを読むとこうです。「しかし、あなたがたが到達したのは、シオンの山と生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たち、天に登録されている長子たちの大集会、すなわち教会、すべての人の審判者である神、完全な者とされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血より優れたことを語る注がれた血です。」天のエルサレムとは神の都のことですか? それはあの黙示録21章にヨハネが見せられたエルサレムのことですか?そこにはこう記されています。「また私は、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は過ぎ去り、もはや海もない。また私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために装った花嫁のように支度を整え、神のもとを出て、天から降って来るのを見た。そして、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となり、目から涙をことごとく拭い去ってくださる。もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない。最初のものが過ぎ去ったからである。」」
そうです。その通りです。天のエルサレムとは、聖なる都、新しいエルサレム、新天新地の神の都です。でも、それはまだまだ先のことではありませんか!主の空中再臨、大患難時代、千年王国、最後の審判、その上で到来する出来事ではありませんか? その通りです。しかし、ヘブル12章22節に何と書かれていますか。「しかし、あなたがたが到達したのは、シオンのやまと生ける神の都、天のエルサレム」この「到達した」というこの動詞は、時制からすれば現在完了形なのです。もうすでに到達したという意味です。イエス様は何と言われましたか。4章23節です。「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。」主は、「今がその時である」と言われました。それは「到達した」と同じです。どういうことでしょうか。これはイエス様が来られたことによって、完全な礼拝の業が行われる新天新地の天のエルサレムは「まだ」到来してはいないが、それにもかかわらず「今すでに」到来している、という意味です。主はサマリアの女に言われました。「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」決して再び渇くことのない水をイエス様は、私たちが奉仕する想起の業である礼拝を通して与えようとされておられるのです。愉快な逸話があるので紹介しておきます。
「あるアメリカの教会に、ルヤ執事」というあだ名をもった執事さんがいた。このあだ名は、その執事さんが牧師の説教の最中に深い感銘を受けては声を出し、「アーメン、ハレルヤ感謝します」と叫ぶので、つけられたものだ。その度毎に大いにあわてるのは、他でもなく、説教する牧師であった。牧師はいつもよく整理された原稿用紙を、厚い眼鏡をかけて一つ一つ読みながら説教する習慣があったので、この「ハレルヤ執事さん」が何回か大声で、「アーメン、ハレルヤ感謝します」と叫ぶと、つい、読んでいた原稿の筋道を失ってしまって、いらいらするのであった。ある時、その地方の知事と市長と警察署長が聖日の朝の礼拝に参加するという通知があった。牧師は、いつもよりも真心をこめて原稿を整理してきたが、その「ハレルヤ執事さん」のことを考えると、心に安心が持てなかった。牧師はその執事さんをどうしようかと思案しているうちに、ついに妙案が浮かんだ。感謝祭の当日の朝になって、牧師は礼拝を始める前に執事さんを事務室に呼んだ後、世界地理の本を一冊その執事さんにあげた。それから、「礼拝中に会堂の後方の事務室に座って絶対に聖書を読まずにその地理の本を読んでいなさい」と言った。従順なその執事さんは、なんのわけがあるかも知らず、地理の本をもらって事務室に入って行った。それを見た牧師は、やっと安堵の息をして礼拝を始めた。ところが、説教が一番絶頂に至る頃、だしぬけに全教会を震動させる大声で、「ハレルヤ、感謝します」という声が事務室から響きわたってきたのである。会衆はみな、一斉にその方に向かつて頭を廻した。こうなるやいなや、あわてた牧師は説教の筋道を忘れてしまった。言葉はどもるし、心も狼狽して眼鏡もかすみ、原稿が見えなくなった。牧師は早急に、説教の結論を下し、礼拝を終えた。余りにもやり方がきつかったと感じて怒りが爆発した牧師は、すぐに「ハレルヤ執事さん」の所へかけつけた。そして次のようにどなった。「執事さん。地理の本を読んで感謝であると叫ぶとは、世界にどうしてそんなことがあり得ますか?」「いや、そうではありません。先生。これを少しご覧下さい。フィリピン近海の海の深さを少し見て下さい」。「執事さん。大体、海の深さと、アーメン感謝しますとは一体何の関係がありますか」。「先生! 先生の説教の言葉に、父なる神様は私たちの罪を深い海に投げ捨てたと話されましたのに、一万メートルにもなる海の深さを考えてみてください。私の罪が永遠に沈んでしまって、二度と浮き上がることができないではありませんか?イエス様の宝血の恵みがどれほど感謝であるか、私はこれを考えて叫ばざるを得なかったのであります!」この言葉を聞いた牧師は、何とも返事のしようがなかったとのこと。」
人が礼拝に参加するときに、いかなる仕方であっても神の恵みを思い起こされるのです。今日、私は言葉を説教する奉仕で参加しています。主はここにおられる皆さんすべての共同的な参与、参加によって、その奉仕が何であれ、それによって、主と主の言葉を生き生きと想起させる礼拝をされようとしておられます。ゲリジム山でもありません。エルサレムでもありません。天のエルサレム、真の礼拝が行われる神の都が、今ここにあるのです。「今がその時です」アーメン。この礼拝によって生ける命の水を飲もうではありませんか。「誰でも渇いている者は、私のもとに来て飲みなさい。私を信じる者は、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。」
6月9日礼拝説教(詳細)
「人生の核心基盤」 ハバクク2章1〜4節
私は見張り場につき、砦の上に立って見張りをしよう。主が私に何を語り私の訴えに何と答えられるかを見よう。主は私に答えられた。
「この幻を書き記せ。一目で分かるように板の上にはっきりと記せ。この幻は、なお、定めの時のため、終わりの時について告げるもので、人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても待ち望め。それは必ず来る。遅れることはない。見よ、高慢な者を。その心は正しくない。しかし、正しき人はその信仰によって生きる。」
共に礼拝できる恵みに感謝します。まだウイーンに在住していた頃のことでした。私は数人の教会員を乗せてドイツ製の車アウディで中心街を運転していたところ、突然ハンドルが動かなくなってきました。その時の驚き想像できますか。これも数年前のことですが、愛用していた超薄型パソコン、エアマックがこれまた突然、動かなくなってしまいました。本当に困りました。これまた故障した思い出の一つですが、長年使用していたデータ保存用のメモリが、動かなくなってしまったのです。膨大な資料と写真データが、一挙に失う危険にさらされてしまいました。これらの事故に共通するのは、マイクロチップでできている小さな基盤が、劣化したために起こったことが原因であるということでした。
もう500年以上も昔のことです。キリスト教会が徹頭徹尾堕落した時代に、教会の核心基盤を再発見した人物がいました。それが宗教改革者マルチン・ルターだったのです。ルターが宗教改革の原動力とした聖書箇所が新約聖書に三箇所あります。ローマ書1章17節、ガラテヤ3章11節、そしてヘブル10章38節の三つです。ルターが発見した核心基盤は、その聖句のどれもが旧約聖書から引用している共通するたった一つの一句でした。それが旧約のハバクク2章4節の預言の言葉、「正しき人はその信仰によって生きる」でありました。
1.見張り場に立つ
このハバククに関しては、1節に「預言者ハバクク」と紹介されているだけであって、彼の人となりについて知る手がかりはほとんど残された資料がありません。恐らく、エレミヤと同時代の BC600年頃に南ユダ王国で、預言活動をした一人であろうと思われます。そのハバククがこの1節でこう独白するのです。
「私は見張り場につき砦の上に立って見張りをしよう。主が私に何を語り私の訴えに何と答えられるかを見よう。」
「見張り場につく」或いは「砦の上に立つ」とは、実際にその場に立つことではありません。主の主権を認めて祈り待望する信仰者の姿勢を表すものです。その狙いが後半部ですね。「主が私に何を語り、私の訴えに何と答えられるかを見よう。」神様に訴え祈り、神様の答えを聞こうとする祈りの姿勢です。一体何がハバククにそうさせたのでしょう。それは2章に先立つ1章のハバククと主なる神様との対話に合わせ、当時の歴史に照らし合わせて見れば、よく理解できるようです。それはハバククを取り巻く環境が、のっぴきならぬ危機的状況に置かれていたからであったのです。
① 国内的内憂
第一に国内事情が最悪でした。BC900頃にイスラエルが南北に分裂してから300年が経過した現在、国内の政治・宗教・道徳は、全く地に落ちていました。16代目のヨシヤが王に即位した時には、彼によって宗教改革が断行され、一時は大きな希望が与えられたものです。しかしそれも、ヨシヤ王がエジプトとの戦いで戦死してしまうと、たちまち国民は堕落し、国中に偶像崇拝が蔓延、民の宗教生活、道徳生活は地に落ちてしまいました。
その後の18代目のヨヤキム王については、列王記下23章36、37節にはこう記録されています。「ヨヤキムは二十五歳で王位につき、十一年間エルサレムで統治した。母の名はゼブダと言い、ルマ出身のペダヤの娘であった。彼は先祖が行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った。」この「彼は先祖が行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」という一文が最悪の事実を物語ります。
その国内事情の悲惨を訴えたハバククの祈りが1章2〜4節です。彼の祈りを聞いてみましょう。「主よ、いつまで助けを求めて叫べばよいのですか。あなたは耳を傾けてくださらない。「暴虐だ」とあなたに叫んでいるのに、あなたは救ってくださらない。なぜ、あなたは災いを私に見せ労を眺めたままなのですか。私の前には破壊と暴虐があり、争いといさかいが起こっています。こうして、律法は力を失い正しい裁きがいつまでも下されません。悪しき者が正しき者を取り囲み、そのため、裁きが曲げられています。」これが見張り場につき、砦に立ったハバククの訴えでした。
② 国外的外患
この時、ハバククを更に見張り場に追い詰めたのは、深刻な悪化する国外事情でした。小国南ユダ王国の周辺では、世界制覇を巡る熾烈な国際戦争が展開していました。新たに勃興した新バビロニア帝国が、それまで覇権を握っていたアッシリア帝国をB C609年に滅ぼしてしまいます。その数年後には、バビロニア帝国は、南の大国エジプトをも、605年のカルケミシュの戦役で完全に滅ぼしてしまいます。先程、開いた列王記下23章の次を読むと、こう記録されているのです。「ヨヤキムの治世に、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来た。ヨヤキムは三年間彼に隷属していたが、一転して反逆した。主はカルデアの部隊、アラムの部隊、モアブの部隊、そしてアンモン人の部隊を送られた。僕である預言者たちによって告げられた主の言葉のとおり、ユダを全滅させるために送られた。」このように、ハバククが見せられたのは、国内的政治・宗教の退廃に加えて、バビロニア帝国の残虐極まりない軍事的侵略でした。
これに対するハバククの痛ましいばかりの主に対する訴えが1章の後半の12節から17節ですね。その14節から17節を読んでみましょう。「あなたは人を海の魚のように、治める者のいない、這うもののようにされました。彼らはすべての者を釣り鉤で釣り上げ引き網で引き上げ、投網で集めています。こうして、彼らは喜び躍っています。それゆえ、彼らは引き網にいけにえを献げ投網に香をたいています。これらによってその分け前が豊かになりその食物も豊かになるからです。だからといって、彼らはその引き網を使い続け諸国民を容赦なく殺してもよいのでしょうか。」この「彼ら」とは、獰猛残忍なバビロンのことです。ハバククは、その外敵の辛辣な征服する有様を到底黙認できません。
③ 適 用
ハバククを見張り場につかせ、砦の上に立たせたのは、彼を巡るこの内憂外患の凄まじいまでの深刻さでした。ハバククは、あまりの事の重大さに「いつまでですか」「何故ですか」と主に詰め寄り、祈り訴えない訳にはいきません。このハバククの姿勢こそ、今日を生きる私たちにも、求められている姿勢ではないでしょうか。先週も引用したピリピ4章6節にも勧告されている通りです。「何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。」神様は私たちの祈りを確かに聞いてくださる、そして必ず答えてくださると確信して、私たちも祈ることにしましょう。
Ⅱ.板に書き記せ
そうです。思い煩わずに神に打ち明け、祈り願うなら、神は真実なお方ですから、必ず答えてくださるに違いありません。その次の2節をご覧ください。「主は答えられた」と記録されていますね。そして、主はその答えの中で、ハバククに命じ、「この幻を書き記せ。一目で分かるように板の上にはっきりと記せ。」と語られたのです。ということは、神様はハバククの訴えに応える仕方を、幻を見させることで答えられた、ということでしょう。幻とは、預言者に対して、神が御心を啓示するのに用いる手段の一つでした。実質的には、神の語りかけと一体です。ですから、古代においては、預言者は予見者、予め見る者とも呼ばれていたくらいです。ハバククは、ここで見せられた夢幻を言語化し、記録するよう命じられているのです。「一目で分かるように板の上にはっきりと記せ」と訳されている文を、口語訳は「これを板の上に明らかにしるし、走りながらも、これを読みうるようにせよ。」と訳しています。人が走れば、全身揺れ動きますから、手にした読み物を読むのは至難の技です。つまり、それでも読めるくらい、大きくはっきり書くよう命じられたのです。訴えに対する神の幻による回答を、自他共に明瞭に記録して読めるようにするようにとハバククは勧告されたのです。ここでハバククは、自分の訴えに対する神の答えを、明確に二つ与えられていたことが、2、3節で明らかになります。
① 第一の幻
第一の幻は2節で書き記せと命じられた「この幻」です。そして、「この幻」の板に書き記されたと思われる預言が、1章5〜11節に違いありません。ハバククが見せられた幻とは、堕落し切った南ユダ王国を、神様がバビロン帝国によって懲らしめ罰する計画です。主はこうハバククに語られました。5、6節です。「国々に目を向け、よく見よ。大いに驚くがよい。あなたがたの時代に一つの業が行われる。あなたがたは、そう告げられても信じないであろう。私はカルデア人を興す。彼らは残忍で残虐な国民。遠くの地まで軍を進め他人の住む土地を手に入れようとする。」この主が興すと言われるカルデア人こそ、ネブカドネザル王が率いる新バビロニア帝国のことなのです。このバビロンによる攻撃は、18代ヨヤキム王時代に始まり、20代目のゼデキヤ王時代には、バビロンに完全に滅ぼされ、主だった民の大半が、バビロンに捕囚の身とされることになったことを私たちは知っています。そのバビロンの獰猛さについて、主は8、9節に「彼らは身の毛もよだつ、恐ろしい民。裁きと威厳をわが物としている。その馬は豹よりも速く日暮れの狼よりも素早い。その騎兵は駆け回る。騎兵は遠くから来て、獲物を狙う鷲のように飛びかかる。こぞって押し寄せては暴虐を行い、その顔を前に向けて、捕虜を砂のように集める。」と、語られます。バビロン帝国を動物に形容し、豹のよう、狼のよう、鷲のようだと、言われたのです。しかし私たちが、歴史から学ぶことは何でしょう。この獰猛なバビロン帝国が、僅か70年後に、クロス王率いるペルシャ帝国に打ち破られ、見るも無惨に滅亡してしまうことです。神様は、神の民を懲らしめる道具としてバビロンを使いました。そうであるにもかかわらず、バビロンをも、その罪故に、彼らを滅ぼされるのです。1章11節に「彼らには罪がある。己の力を神とするからである。」とあります。この「彼ら」とはバビロン帝国です。ここには、道具として用いるにしても、罪を罰しないでおかない、義であられる主なる神が、啓示されているのです。
② 第二の幻
しかしどうでしょうか、3節を見ると、ハバククがどうやら第二の幻をも、見せられていたことが推察されるのです。「この幻は、なお、定めの時のため、終わりの時について告げるもので、人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても待ち望め。それは必ず来る。遅れることはない。」これは一体どのような幻、預言なのでしょう。これは、「定めの時」、「終わりの時」に関わる幻であると言われます。確かに、預言者ハバククは、自分の生きる時代に、今すぐにも起ころうとしている歴史的出来事を啓示されています。しかしながら、それと同時に、その時代を遥に超えた後の時代の出来事をも啓示されたということなのです。ハバククは1章冒頭で「主よ、いつまで助けを求めて叫べばよいのですか。」と訴えています。時間の問題です。私たち人間の寿命は束の間です。儚い存在なのです。歴史の時間的流れからすれば、ほんの僅かな瞬間に、私たちは存在させられているに過ぎません。しかし、永遠の神の計画は遠大であり壮大であり、計り知れないのです。
「終わりの時」の終わりのヘブライ語は二文字でケーツと発音されます。このケーツのゲマトリア(文字の数値)が、実は「100+900」で1000となるのです。あの第二ペテロ3章8節を思い出しませんか。「主のもとでは、1日は千年のようで、千年は1日のようです」そうです。「1000年は1日のよう」これが神の世界の歴史の単位なのです。この3節をリビング・バイブルが分かりやすくこう訳しています。「だが、わたしが計画しているこのことは、今すぐには起こらない。ゆっくりと、着実に、確かに、幻が実現する時が近づいている。遅いように思えても、失望してはならない。これらのことは必ず起こる。忍耐していなさい。ただの1日も遅れることはない。」ところが、ハバククが見せられたという第二の幻の詳細が、ここにはどうも文章化されていないようです。ただ、この3節からのみ推測するしかありません。ところが、有力な手がかりが実は新約聖書にあるのです。それは、ヘブル書10章です。聖書の解釈の原則の一つは、旧約は新約で、新約は旧約で解釈することです。旧約聖書を新約聖書に照らし合わせて、分かってくる真理があるのです。
ヘブル書は、ハバクク2章3節を10章37節に訳して、こう語っています。「もう少しすれば、来るべき方がお出でになる。遅れられることはない。」ハバククの2章3節の「それは必ず来る。」をヘブル書は「来るべき方がお出でになる。」と訳しています。これは一体どういう意味でしょうか。この「来るべき方」は、そうです。実は再臨のイエス・キリストであるという意味なのです。ハバククは、目前の自国の民の悲惨な状況に心が奪われ、訴えるのですが、神様は、歴史の彼方の遠大な人類救済の幻をハバククに魅せられてもいたのです。今こうして聖書を見る私たちは、ハバククから2,600年も後に生き、かつ存在する者たちではありませんか。この私たちに今現在、見せられていう現実とはいかがなものでしょうか。まさに「終わりの時」の現実なのではありませんか。
毎月発行されている教団ニュースのアッセンブリー6月号の巻頭言を読まれたでしょうか。巻頭言を担当されたのは、リバイバルセンターチャーチの婦人牧師・綾部裕子先生です。こう書き出されています。「今年は元日に能登半島地震に始まり、航空機の衝突事故があり、また世界各地での大規模な火事や洪水、戦争による惨禍を目にするとき、終末が迫っていることを感じます。経済の先行きが見通せない中で、A I やロボットに人間の職場を奪われる日がやってきます。」と綾部先生は率直に語っておられます。それは私たちも同感ではありませんか。そして、世の終わり、終末に臨んで主を信じる私たちには、実は輝かしい希望の時代でもあります。ヘブル10章37節に語られているように、「もう少しすれば、来るべき方がお出でになる。遅れられることはない。」そうです。希望とは私たちの愛する主イエス・キリストが再び間違いなく再臨なされるということです。主は、「しかり、私は直ぐに来る」と約束されました。間違いなく主はおいでくださるのです。
Ⅲ.真実に生きる
その意味で、今私たちは、預言と主の再臨の成就の中間時代に生きていることになります。そして、この4節は、その幻と実現成就の間の中間時代を如何に人はあるべきかを主は、ハバククに対して語っておられるのです。「見よ、高慢な者を。その心は正しくない。しかし、正しき人はその信仰によって生きる。」ここには、否定される態度と肯定される態度が語られています。
①否定されるべき態度
第一に、主の来臨を待望する者は、決して高慢であってはならない、ということです。この前半の句は、直訳すれば「彼の心は彼の内で膨らんでいて真すぐではない」となります。高慢な者とは、「膨張した者」なのです。自分を高め、さまざまなものを貪り、膨らんでいる膨張した人です。自分の力を頼り、自分の栄光を求め、自分を神のようにしている者です。この「彼」と言われるのは、前後関係からして、明らかにカルデヤ人、即ち、バビロン人のことです。その特徴は、自惚れていて素直でないことです。1章11節には「彼らには罪がある。己の力を神とするからである」罪の本質は自己神格化にあります。自分を頼み、力に信頼し自分を神とし、絶対化することです。それが高慢、高ぶりなのです。神は昂るものを退けられます。聖書は、高慢は滅びの前兆としています。「破滅に先立つのは驕り、つまずきに先立つのは高慢な霊」(箴言16章18節)信頼を神に置かずに、問題を対処し自分の力で解決しようとする、近代生活の複雑さを自分で征服しようとする、満足いく安定した生活を達成するために、自分の力と能力に依存、人間の腕前を過信しているなら滅びるのです。バビロンも70年で滅び、ペルシャも滅び、ギリシャも滅びました。現代でも、神を否定した共産主義国家のソビエトもあっけなく70年で崩壊してしまいました。神は国を起こし、国を廃するお方です。王を立て、王を退けるお方です。
③ 肯定される態度
主の再臨を前に求められる生き方、それは「正しき人はその信仰によって生きる」、この姿勢なのです。最初にマルチン・ルターが、宗教改革の原動力としたのがこの一句であったと言いました。ここから宗教改革の三つの標語、モットーが生み出されました。「信仰のみ」「恵みのみ」そして「聖書のみ」です。その「信仰のみ」は、このハバククの2章4節から生まれたのです。ここハバクク2章4節で「信仰」と訳された原語は、本来は「真実・誠実・忠信」です。それからすると、神様の目に正しい人とは、その人の神に対する真実さ(または信頼)によって特徴付けられるということを示しているのです。それは、自分の存在を神の中においてのみ生き、動き、持つことを意味するものです。自分が吸い込む息についても、自分が取る方向についても、自分がする決断についても、自分が定める目標についても、自分の生活の成果についても、神を頼りにすることを意味するのです。この2章4節に信仰の原点を見出したのは、ルターを遡ること1500年昔、そうです。使徒パウロでした。
先週の聖書深読セルで、そのパウロがピリピ1章に残した一句を学びましたが、パウロは21節に「私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです。」と語りました。その学びのテキストの一文を紹介しておきましょう。「パウロにとっては、命は神の目的に満ちた神聖な信託財産でした。」というものです。信託財産ということは、預けられた人は、その財産を運用し活用することが求められているということです。使徒パウロは、その意味で、自分の人生の全てをキリストのために活用したと証ししていることがわかります。
先に、アッセブリー6月号の巻頭言に触れましたが、その見開きの二頁に掲載された松尾敬文牧師の証しに深く感動させられました。彼は、63 歳で神学校通信科に入学、71歳で昨年の春に正教師になられています。仕事を引退して献身し、牧師になられたのです。彼は、退職間際に妻を亡くし、やがてボリビアから来た婦人宣教師と再婚され、福岡県で牧師をされています。その最後の部分で彼は読者に勧めてこう言われるのです。「私は信徒の方々に退職後に献身されることをお勧めいたします。」事実、今現在、退職後に献身して牧師になろうとする方がどんどん増えているのです。これは、自分に神が与えられた命を信託財産と受け止め、最後の最後まで、キリストのために働かせていただこうという献身の姿勢であります。
「正しい人はその信仰によって生きる」これが主の再臨を待望する中間時代に生きる人に求められる真の姿勢です。最後にハバククの最後の証言をお読みして祈りましょう。「いちじくの木に花は咲かずぶどうの木は実をつけずオリーブも不作に終わり畑は実りをもたらさない。羊はすべて囲いから絶え牛舎には牛がいなくなる。それでも、私は主にあって喜び、わが救いの神に喜び躍る。神である主はわが力私の足を雌鹿のようにし、高き所を歩ませてくださる。」祈りましょう。
6月2日礼拝説教(詳細)
「風は思いのままに」 ヨハネ3章1〜15節
さて、ファリサイ派の一人で、ニコデモと言う人がいた。ユダヤ人たちの指導者であった。
この人が、夜イエスのもとに来て言った。「先生、私どもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、誰も行うことはできないからです。」
イエスは答えて言われた。「よくよく言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
ニコデモは言った。「年を取った者が、どうして生まれることができましょう。もう一度、母の胎に入って生まれることができるでしょうか。」
イエスはお答えになった。「よくよく言っておく。誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれなければならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことも分からないのか。よくよく言っておく。私たちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたは私たちの証しを受け入れない。私が地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者は誰もいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」
6月第一主日礼拝を共に捧げる恵みに感謝です。今日は聖霊降臨節第三主日ですから、聖書はヨハネ3章1〜15節をお読みします。また祝福を祈ります。先々週の火曜日のこと、私たち夫婦を遠路はるばる訪ねて来客がありました。米国のオハイオ州シンシナチに住む、元国際原子力機関に長年勤務されたIさんです。もう83歳ということで、これが最後の日本訪問になると、15 時間かけて空路到着され、わざわざ私たちに会いに来てくださいました。何を目的でしょう。それは14年前、彼が69歳の時、ウイーンに滞在された3ヶ月間毎日曜日に、日本語教会の礼拝に出席され、米国帰宅直前に、信仰を告白なされ洗礼を受けておられたからなのです。積り積もる話しは尽きず1時間余の会話はそれはそれは楽しく意義深いものでした。
ところで、今日の聖書箇所はと言うと、主イエス・キリストがその公生涯の初期のある夜、密かに訪ねてきた来客と交わした会話の記録なのです。その来客の名はニコデモです。この箇所からだけでも直ぐ分かるその人物の特徴が挙げられます。彼がパリサイ派であったこと、ユダヤ人の指導者であったこと、年齢的にはかなり老齢であったことです。ニコデモがパリサイ派であったことは、彼が律法を始めから終わりまでとことん遵守することを誓った、大変な宗教熱心家であったことを意味します。ニコデモがユダヤ人の指導者であったことは、彼が71人で構成されるユダヤ最高議会サンへドリンの議員であり、政治的権威者であったことを意味します。ニコデモが老齢であったことは、彼が、酸も甘いも噛み分けた人生経験豊かな人物であったことを意味することでしょう。ニコデモは学識、教養、地位、名声、権威を兼ね備えたユダヤでも非常に相当社会的地位の高い人物であったことが分かります。
1.新たに生まれる
そのニコデモが、わざわざ夜分にこっそり、貧しいナザレの大工ヨセフの息子、しかも若い無名のイエスを訪ねることは異例のことでした。そのニコデモが、礼をわきまえて慇懃にしかも謙遜に「先生、私どもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。」とイエス様に切り出したその時です。何と、主イエスは、「よくよく言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と唐突に彼に語られたのです。人が生まれること、それは勿論、何も珍しいことではありません。普通のこと、馴染み深いこと、当たり前の出来事です。しかし、ニコデモに「人は、新たに生まれなければ」と語りかけることによって、いったい何を主イエスは言わんとされたのでしょうか。
① 誕生の神秘
人が生まれること、出産は珍し事ではないと言いはしましたが、本当は人の出産そのものが実に神秘、不思議ではありませんか。ネット上で「出産の神秘」と検索したところ、たちまち N H K の番組報道記録が現れ、こう書き出されていました。「私たちのはじまりは、『受精卵』というたった1つの細胞です。この受精卵が母親の子宮の中で分裂を繰り返しながら、さまざまな細胞に分かれ、臓器をつくり、体がひとりでにつくり上げられていきます。精子が卵子に侵入することで受精卵となりますが、新しい命が生まれるのは、受精卵の中で、遺伝子情報をもつ父親の染色体と母親の染色体が合わさったときです。」番組ではこの瞬間をとらえた映像を紹介しました。その上で、次々と映像が紹介され解説がされていました。精子が卵子に受精して十月十日、赤ちゃんが出産するのです。その全ての行程はそれこそ神秘ではありませんか。ここにいる私たち全てが実は、その神秘的出産を経て、ここ今日があるのではありませんか。不思議ですね。
② 新生の用例
主イエスが、では、その神秘的な誕生を自分自身も経験しているニコデモ、しかも老齢期に達しているニコデモに、「人は、新たに生まれなければ」と語られたのは、いったいどういう意味があったのでしょう。この「新たに生まれる」とか「新しく生まれる」という言い回しは、場合によっては、私たちの間でも普通一般に使われていない訳ではありませんね。つまり一大決心をする場合、心を入れ替えて、新しくやり直そうとする、といった場合に、「新しく生まれ変わったつもりで」という表現を使うことがあるのです。しかし、イエス様の語られたのは、「つもり」とか「気持ち」という心の構え方を問題にしているのではありません。或いはまた、輪廻転生思想による「生まれ代わり」でもありません。チベット人は、チベットの人々を救済するという菩薩行を実現するために、ダライ・ラマ法王が繰り返し生き変わり死に変わりして転生している、と信じていると言われます。現在の法王14世は、14回にわたって輪廻を繰り返してきたというのです。しかし、主イエスの言われる「新たに生まれる」とは、勿論のこと輪廻転生ではありません。
③ 新生の真意
では主がニコデモに「人は、新たに生まれなければ」と語られた真意はどこにあるのでしょう。それは、人が母の胎内から出生する誕生の神秘に譬えることで、主は人に与えられる魂の救いを語られようとされたのです。人の誕生とは、十月十日母の真っ暗な胎内に滞在した胎児が、突然、明るく広い世界に「オギャー」と出生することです。それは闇から光に移される瞬間です。胎児は、胎内でしていたエラ呼吸を止め、突然肺呼吸をし始め、見たことも聞いたこともない新しい世界に飛び出してくるのです。ニコデモがイエス様を訪ねたのは暗い夜のことでした。それはニコデモの心の状態を暗示しているとも言えます。ニコデモは確かに、学識、教養、地位、権力、豊富な経験があり、人間的には申し分ありません。しかし、主イエスの目からすれば、ニコデモは母の暗い体内にいる胎児のようなものです。
ローマ書の10章9節には、こう記されています。「口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです」イエス・キリストを信じ告白して救われるとは、どういうことですか。それがこの主の語られた喩えで言えば、胎児が母の暗い胎内を出て、全く明るく広く光り輝く世界に入ることのような出来事なのです。救いの経験は、胎児にとって真っ暗な母の胎内から、光り輝く広い世界に飛び出すような、明確な決定的な経験なのです。
Ⅱ.神の国に入る
そして、母の胎内から出生した胎児が、突然入り生き始める世界に匹敵するのが、主の語られる神の国なのです。主はニコデモに「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と語りました。私は今までに、自分発見のために世界旅行を試みた何人かの青年たちを個人的に存じ上げております。まだ見ぬ未知の国々を自分の足で踏み歩き、自分の目で確かめ、自分が何者であるかを発見しようとするのです。数年働いてお金を貯めて世界一周を試みた青年もいました。中には無銭旅行をした人もいます。その中でもユニークな一人は、今現在スイスに在住される松林幸次郎さんです。
若き日の彼は志を立てるや、船でハバロフスクに向かい、そこからシベリア鉄道で欧州を目指し、イギリスで英語学校に通い、そこでスイス出身の女性と知り合い、結婚してスイスに住むことになりました。その奥さんのお名前がハイジなのです。彼は母の胎内を出て、やがて青年となり、この未知の広い世界へ冒険を試みました。しかし、彼は感謝なことに、その途上で、イエス・キリストを信じる信仰を得て、新たに生まれる経験に導かれたのです。彼はそれまで全く見たことも聞いたこともない新しい世界、神の国を見せられ、すなわち神の国に入られたのです。「神の国を見る」とは、神の国の支配、神の恵み、神の愛を真に、生々しく現実に経験できると言うことです。その特徴をローマ書14章17節が端的に語っていますから手短に三点挙げておきましょう。聖書は神の国の特徴をこのように言うのです。「神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。」
① 神の国は義
第一に、神が支配されるところにはキリストによる義があります。聖書において、義とは神と人、人と人との正常な関係のことです。人間は関係によって生きる生き物です。神と関係し、人と関係し生きる存在です。しかし人間は、罪によって神との正しい関係が破れ、断絶し、交流することができなくなってしまいました。しかし、救い主である神の子イエス・キリストが十字架に罪の身代わりとなり、人類に代わって罰を受けてくださることにより、信じる人の罪が赦され、キリストの義が転嫁されることによって、神との関係が回復させられる道が開かれたのです。人は信仰により神との関係を回復し、神に呼びかけ、神と交わることができるのです。これこそ神の国の第一の特徴です。
② 神の国は平和
第二に、神が支配されるところには平和があります。神の国の特徴は平和と平安です。この世界の特徴はその正反対で争いと恐れと不安です。世界に漂う基本的な感情は不安です。そして争い、戦争、戦いです。不安を払拭させるため、人は富を蓄えます。不安を避けるために保険の制度を強化します。不安を回避するために軍事力を、これでもかこれでもかと増強します。不安とは、守られていない感覚から生じる感情なのです。しかしながらどうでしょうか。自分で自分を守ろうと努力するのですが、すればするほどに不安が募るものではありませんか。これで万全である、これでもう大丈夫だ、というような状況を人は完全に造り出すことができないのです。しかし、感謝なことに、イエス・キリストを信じて救われた結果、その人の心にはいいしれない平安が訪れます。
先週の水曜日は第五祈祷会ということで、私が奨励の当番に当たり、奨励の箇所をピリピ4章4〜7節として話しました。そこにこう勧告されているのです。「何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平安が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。」神の国に入るとは、祈りによって神と語り交わることが赦され、その結果として、神の確かな守りを実感し、平安によって心と考えが支配されることを経験させられるのです。
③ 神の国は喜び
そして、何と幸いなことに、神の国に入るとそこに待ち受けているのはいいしれぬ込み上げてくる喜悦なのです。喜びなのです。人生に喜びが感じられないなら、それは悲劇と言わざるを得ません。人は喜びなしに生きることはできません。旧約のコヘレトの言葉の2章にこういうある人物の独り言が出てきます。「私は心の中で言った。『さあ、喜びでお前を試そう。幸せを味わうがよい。』しかし、これもまた空であった。笑いについては、『馬鹿げたこと』と私は言い、また喜びについては『それが何になろう』と言った。」こう語っているのは誰であるのかについては意見の分かれるところです。ソロモン王のように身分の高い裕福な権力者であったようです。彼は自分の立場と財力を活用し、自分の持てる全てを働かせて自分を楽しませ、喜ばせようと出来ることは何でもやってみたというのです。しかし、それなりの笑いや喜びがないわけではないが、結局それらは空騒ぎであって、空しい、風を追うようなものだと率直に認めるのです。しかし感謝なことに、真の持続する喜び、楽しみ、それは神との関係が回復され、神に支配された生活の中には、内側から湧き上がってくるものなのです。
Ⅲ.どの様に入る
しかし、ニコデモは、このキリストの唐突な発言を到底理解できません。キリストが「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と言われると、即座に、「年を取った者が、どうして生まれることができましょう。もう一度、母の胎に入って生まれることができるでしょうか。」と、ニコデモは直ちに反発し、疑問を率直に呈しました。ニコデモは、「新たに生まれること」を救いの喩えと受け止めることができません。自然の赤ちゃんの出産と思い違いをしたための、当然の反発でした。一度、母親の胎内から出生した人は、二度と再び、母親の胎内に出戻りすることなどは、絶対にあり得ません。ではどうしたら、主が語られるように、新たに生まれることができるのですか。新生して神の国を見ることが、神の国に入ることがどうしたらできるというのでしょうか。
① 神の絶対恩寵による
それゆえに、キリストは次のようにニコデモに語られたのです。「よくよく言っておく。誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。」キリストが、ここで、「新たに生まれなければ」に変えて「水と霊から生まれなければ」と言い改められたのはどういう意味があるのでしょうか。聖書をずっと遡って水と霊の語源となる出来事を探ると、実は創世記1章1〜3節に至ることが分かります。これは神の天地創造の記述です。ここ2節によれば、「神の霊が水の面を動いていた。」とあります。これによれば、水と霊は天地創造された当初から天において共にある存在であったことが分かります。ということは、「水と霊による」という表現は、天に生まれる、神によって生まれることの言い換え表現であるということなのです。そして、イエス様が最初に「新たに生まれなければ」と語られたと訳されているこの「新たに」はギリシャ語のアノーセンですが、「新たに」の他に「上から」の意味があるのです。では「上から生まれる」とは、どういうことですか。これは神から生まれることなのです。ここで、ヨハネ1章12、13節をご覧ください。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。この人々は、血によらず、肉の欲によらず、人の欲にもよらず、神によって生まれたのである。」ここに「神によって生まれた」と、あります。これからもわかるように、「水と霊によって生まれる」とは「上から生まれる」ことであり「神によって生まれる」ことなのです。そればかりか、主はそれに続けて7節からこう語られました。「『あなたがたは新たに生まれなければならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」ここで主は「霊から生まれること」「上から生まれること」「神から生まれること」を風に喩えられていることが分かります。風が吹けば音を聞くことはできます。しかし、どこから来てどこへ行くのか分かりません。風の吹く軌道の予測は不可能です。風は、人間の願望や操作から全く独立した軌道を持ち、人間は全く制御することはできません。そうです。主が言われるとおり「風は思いのままに吹く」のです。そして「霊から生まれた者も皆そのとおりである」と言われます。それは、人が救われ神の国を見させられる、神の国に入る、すなわち人が救われるのは、全く神の絶対的な主権的行為であることを意味されたのです。そして、この語りかけを受けた人物の名前がニコデモであること自体が、意味を持ちます。
聖書の登場人物の名前には、どれも意味が込められており、ニコデモのヘブライ語名のスペルには、その中に「先に、前もって〜する」という意味の動詞カーダムが入っております。この「先に、前もって〜する」を意味する動詞の入った名前のニコデモに対して、「水と霊によらなければ」と語られたところには、実に驚くばかりのメッセージが込められていたのです。すなわち、神の国を見る者、神の国に入ることのできる者、救われる者は、上で、天で、神によって、天地創造前から前もって、そうなるように選ばれていた、ということなのです。エペソ1章3〜5節に何と書いてありますか。「私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上で、あらゆる霊の祝福をもって私たちを祝福し、天地創造の前に、キリストにあって私たちをお選びになりました。私たちが愛の内に御前で聖なる、傷のない者となるためです。御心の良しとされるままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、前もってお定めになったのです。」素晴らしいではありませんか。そうです。人が救われること、神の国に入れていただけること、それは神の絶対的な一方的な選びであり、予知予定なのです。神の絶対恩寵的な働きなのです。
② 人の信仰告白による
しかし、救いを確かにするもう一つの要因があります。私たち人間の側の信仰告白です。ニコデモが9節で再び「どうしてそんなことがありえましょうか」と反発すると、主イエスは14、15節でこう語られました。「そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」この「モーセが荒れ野で蛇を上げた」という歴史的事件は、民数記21章に記録された出来事です。これは、エジプトを脱出した民が、モーセに率いられて荒野を旅する途中で、神に対して呟き罪を犯した民に対する裁きの出来事です。民は酷く神を非難し、それに対して主が、その裁きのために炎(ほのお)の蛇を送ったとされています。6節はこう記されます。「主は民に対して炎の蛇を送られた。これらの蛇は民をかみ、イスラエルの民のうち、多くの者が死んだ。」その結果、民が悔い改め、モーセに救ってくれるよう祈りを願いました。すると、主はモーセに炎の蛇を造り、竿の先に掛けるよう命じました。その結果が9節です。「モーセは青銅の蛇を造り、竿の先に掛けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生き延びた。」主イエスがニコデモとの対話で「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。」と語られたのは、この古の出来事が十字架の予表であることを示されたということなのです。「人の子も上げられねばならない」これは十字架に御子イエス様がかけられることです。そして、主は15節でこう結ばれました。「それは、信じるものが皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」呟き罪を犯した民が蛇に噛まれた時、彼らが竿にかけられた炎の蛇を仰ぎ見ると、癒されて生き延びました。それと同じように、今や十字架に架けられた救い主イエス・キリストを、信仰により仰ぎ見る者は誰でも救われるのです。神の国に入ることができるのです。コリント第一の12章3節にパウロは言いました。
「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』と言うことはできません。」誰であっても救われるのは神の絶対的な選び、予知予定によるものです。そして、実際に救われるのは、人が十字架のイエスを仰ぎ信じて「イエスは主である」と告白することによるのですが、それ自体が聖霊の働きの結果であると聖書は教えるのです。今日、これから第一主日礼拝ですから、私たちはこの礼拝に続いて聖餐式に預かろうとしております。改めて、この聖餐式に預かることにより、十字架で割かれた主の体を象徴するパンを食べ、十字架で流された主の血を象徴する盃を飲みつつ、神の絶対的恩寵の恵みを感謝することにしましょう。
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